Snowy White




「寒いと思ったら、すげー降ってんぜ」
 こんなことを言いながら、三井はサッシ窓を5cmほど開けた。途端に、冷たい空気が部屋に吹き込んで来る。
「おい…」
「ほら、雪」
 言われるまでもない。外は珍しく吹雪だ。
 すでに日が落ちて久しく、闇夜の中を轟々と音を立て、真っ白な激流が通り過ぎてゆく。
 土屋とて、どちらかと言えば雪が珍しい地域で生まれ育った。見るのは決して嫌いではない。だが、今目の前で繰り広げられているそれは、粉雪とかぼたん雪とか、可愛らしい言葉で表現される代物ではない。
「…ちゅーか…めっちゃ吹雪やろ…寒いっちゅーねんな…」
 ただでさえ、土屋は寒がりだ。
 この部屋にはこたつも入れてあるが、暑がりな三井のたっての希望で、ストーブはつけていない。それでも何もナシでは凍え死んでしまいそうだから、窓用エアコンの暖房を入れてはいる。
 しかし、それも普通のエアコンの暖房よりよっぽど効果が低くて、今日のように寒い日ではあまり期待できない。現に温度計は22℃を差しているけれど、さっき三井が窓を開けたおかげで、土屋の吐く息はかすかに白かった。
「あー、わりぃわりぃ」
 おまえ寒がりだったっけ、と三井は笑いながらサッシを閉めた。
 寒がりだったっけ、も何も、一緒暮らし始めて何ヶ月が経っていると思っているのだ。三井が暑がりなのと同じくらい、土屋は寒がりだ。それはお互いに了解した事実で、それでも一緒に過ごしたいという気持ちがあるのも事実だった。
(…せやんな?)
 多分、三井の方にも。
 自分と同じくらい強い感情が、変わらずにあるのだと。
「暑いの嫌やったら、自分の部屋で勉強したらええねん」
 三井は、ゼミのレポートを片付けようと、土屋の部屋にやって来ていた。三井の部屋ならこんな風に暖房が入っている訳でもないし、かといって凍えそうだというほどでもない。寒がりな土屋には耐えられないが、おそらく暑がりの三井なら充分過ごし易いはずなのだ。
「えー、だってよ…この部屋こたつあんじゃん」
「こたつはええんかい」
 理不尽な言葉に、思わずすかさずツッコミ。
「こたつはそりゃいいんだよ。あったかいけど暑くねーし。冬の雰囲気があってさ」
 そう言って三井は、土屋の隣に入り込んで来る。冷たい空気をまとって、それでも身体を近寄せられれば、どきりと鼓動が跳ねる。
「…ンな可愛いツラしても、レポート写させへんで…」
 つい喜びがにじみそうになる声を、必死で低く押し殺した。じろり、と上目で見上げると、三井は不服そうに口を尖らせた。
「ちぇ。なんだよケチ」
「ケチて何やねん。あーいうんは、自分でやらな意味ないやろ」
 同じゼミを取っていて、土屋は既に課題のレポートを終わらせている。締切は週明けの一限で、今は土曜の夜。
 その状況は互いに分かっているけれど、こんな風にあからさまにアテにされると、さすがの土屋もあまりいい気はしない。
「っとに、うるせぇよなー」
 肩で、土屋の肩を軽く小突く。もちろん本気ではないが、土屋はちょっとばかりムッとしていたので、三井をビビらせてやりたくなったのだ。
「あ…」
 バランスを崩したふりで、横に転がる。そしてその弾みと言わんばかりに、三井の腕を取って引っ張った。
「うわっ」
 三井は、引かれるまま土屋を追うように、まんまと床に転がる。そのままごろりと二人して、薄いこたつ布団の上に寝転んだ。

「…あー、すげ…」 
 天井を見ていた三井が、不意に窓の方に視線を移して呟く。
 つられて土屋も、仰のいて斜め上の夜空を見上げた。
「あぁ…」
 いつしか風は止んだらしい。真っ暗な空の向こうから、大きな純白の結晶が、幾重にも幾重にも降り注いでくる。
 澄んだ空気の切れそうな清冽さはすぐそばにあるのに、身体の半分ほどは、ほっこりとあたたかい温もりに包まれている。そしてそれとは異なるたぐいのあたたかさが、かすかに触れるほどの距離で、手を伸ばしてくる。

「土屋」
「…みつい」
 軽く髪を梳き上げられて、土屋はうっとり目を眇める。
 同時に、同じような仕草で、三井のこめかみのあたりの髪を、指先でそっとくすぐった。
「なんかすげー…気持ちイイ…」
 うぅん…と、甘えるような声を三井がこぼす。奥深くからゆっくり這い上がってくる、静かな官能。
「気持ちええ?」
「ん…」
 頬に唇を寄せれば、撫でる指先をぱくりと食まれた。
 予期せぬ感触に、柄にもなく混乱する。
「ちょ…三井っ?」
 だが、三井の舌先は、特定の目的を持っている風ではなく、土屋の指先を、そのままの意味で味わうように舐めてからおもむろに離れた。土屋にはその真意は分からない。
 けれど。
「なんかおまえの指って、いい匂いがして美味そうでさ…」
 そう呟く声は、すでにうつらうつらと夢のきざはしを昇り始めていた。ついさっき、土屋自身が浮かべたのと同じような表情で、うっとりと心地よさそうに目を細める。
「いい匂い?」
「なんつーか…みかんの匂い…?」
 そこまで言われてハッとする。そう言えば、三井が部屋に来る直前まで、土屋はこたつでみかんを食っていた。手は洗ったはずだが、石鹸で丁寧に洗ったという訳でもない。匂いや味が染み付いて残っていたとしても不思議はなかった。

「色気より食い気かいや…」
 がっくり脱力して、それでも諦める気にはなかなかなれず。
 覆い被さって唇を貪れば、三井は意外なことに応えて来た。
「んー…でも、無理…ごめ、眠い…」
「はぁ?」
 舌を絡ませながら、こんなことを言われても困る。
 とは言うものの、半分以上本気で眠りの縁に向かっている恋人を、無理やり揺すり起こすのも可哀相な気がした。
「…明日」
「え」
「あした、続き…しよ」
 ぼそりと耳元で、かすかな呟き。
 驚いて目をみはる土屋の唇を、ちゅ、と三井が音を立てて吸った。
「みつい…?」
 三井の唇は、頬を滑ってふたたび耳元に。
 いとおしむように耳朶を食んで、伸ばした手で土屋の頭を抱きしめる。
「ここ、あったかすぎて…今は、無理…」
 だから明日、と誘う声。
 跳ね上がりそうになる心臓を、土屋は必死で抑えた。こんな苦行を強いながら、きっと離れて眠ることは、この残酷な恋人は許してくれそうにない。
 それでもただ、土屋だけを求める腕がすがるように絡みついて来るのを、胸が痛くなるほどいとおしいと思う。

 振り解くことなんて、できるはずがない。
 だからせめて今は、ほんの少しでも意趣返しをしたかった。

「明日…レポートやってから、な?」
 からかうように、けれど紛うことなくハッキリと、その単語を吹き込んでやる。三井は鬱陶しそうに片目を開けたが、起き上がることはもう無理なようだった。
「マジ…かよ…」
「それがまず先決やろ」
 オレは助けへんからな、と意地悪な声音で。
 不満げな顔をしながらも、睡魔には勝てないらしい。三井はそれでもほどなく、すうすうと小さな寝息を立て始めた。

 やわらかな髪をそっと梳いて、こめかみに唇を押し当てる。
 見上げた窓の外はまだ雪で、予報では明日の朝まで降り続くという。
(とりあえず、明日の朝は寒すぎて動く気ぃせーへんやろし)
 三井をけしかけてレポートをさっさと終わらせ、それからゆっくりベッドの中で、三井とあたたまりたい。
 そううまく行くはずはないと思いながらも、策を巡らせることは止められなかった。
 
 暑がりな三井が、それでも土屋に身を寄せてくる。
 それは単にこたつのぬくもりが好きだから、というだけではないことを、土屋は知っている。
 そして三井自身にも、自覚はあるのだ。
 土屋を抱き寄せた腕が、それを明確に物語っている。
(だって、あんな寒いのに窓開けれるヤツやねんで?)
 その三井が、寒いからという理由で自分に縋ってくるはずがない。
 けれど今この瞬間だけは、気づかないフリをしてやるのもいい。

 何より自分が、三井のぬくもりを離したくないのだ。
 降りしきる雪が視界の中で、闇を縫ってはらはらと落ちて来る。
 冷たいはずのそれが、今だけはあたたかなものに土屋には思えた。
 虚空に伸ばした腕はしかし、ひどく寒くて、慌ててこたつの中へと戻す。

「うー、寒ぅ」
 眠りに落ちて体温が上がった三井の身体を、もう一度しっかり抱き直す。
 土屋の頭を抱えていた三井の手が、そっと背に回された。
(意識は…ないんやろな)
 安らかな寝息が、耳をくすぐる。
 けれどぎゅっと力を込めた腕は、いとおしさを交わし合うかのように、きつく土屋を引き寄せた。

 雪は静かに降り積もる。
 まだ朝日ははるかに遠く、それでも闇はあたたかく、抱き合うふたりを包み込んでゆく。
 穏やかな睡魔がさざ波のように押し寄せて、土屋もまたそっと目を閉じた。








                 
                                        Das Ende





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