*** 曇りのち晴れ ***

 七月六日の、夜のこと。
 異端審問局・局長ブラザーペテロは、自分の執務机の内側の足元に、白い布で作った小さな人形をこっそり吊るしていた。異教で呼ぶところの「てるてる坊主」というそれを、部下であり天敵(笑)でもあるブラザー・マタイに見咎められてしまったところから、話は始まる(お約束)。

「まさかアンタ、本気でそんなの信じてるんですか?」
 蔑む様子を隠すこともなく、嘲る口調でマタイ。日頃の行状から、おそらくそう来るだろうと読んではいたのだろう。ペテロはムッとした顔をしながらも、抑えた声で返す。
「…そんなのとは何だ。某にも浪漫を解する心くらいある」
「浪漫、ですか」
 いきなり耳慣れぬ単語が聞こえた。
 思わずツッコんだとしても、マタイを責める者は居ないはずだ。
「む。何だその顔は」
「いえねぇ…アンタが浪漫ねぇ…」
 一体どのへんが浪漫なのか、小一時間説明して欲しいものだ。それはさすがに口にすることなく、ジロジロと上から下まで、目の前の上司を眺める。ペテロは居心地悪そうにしながらも、物言いたげな視線を振り切るように、おもむろに口を開いた。
「微力ながら、年に一度の逢瀬の機会を得んとする者どもの後押しになれば、と祈るのがいかんのか」
「へ?」
 つい、間の抜けた声が出る。
 さらに聞き慣れない言葉がつらつらとこぼれ出て来て、しばし呆然。
 ツッコミどころがありすぎて、何をどう言っていいのか分からなくなったというのが正直なところだった。

 マタイとしては、てるてる坊主の効果を信じているペテロをからかうつもりだったのだが、それが他ならぬ「七夕」という異教の伝承のために吊るされたものだと知って、ますますどうツッコんでいいのか分からなくなってしまったのだ。
 こともあろうに、牽牛と織女のエピソードを信じていて、そのふたりが無事に逢瀬を果たせるようにと、てるてる坊主を作って祈っているのだと。
 そもそも、こんな白い布っきれに祈りを捧げるだなんて、聖職者としての道にもとるとは思わないのだろうか。そういう基本的なことを失念してしまうあたりが、この男のこの男たるゆえんかもしれない。
「貴様もあやかりたいなら、ひとつくらい吊るさせてやってもよいぞ」
 あやかるとは一体「何に」だ、と思いながらも、机の抽斗からわらわらと出て来る白い物体に、重ねてツッコむタイミングを逃してしまい。
「はぁ」
 ではいただきます、と力なく応えて、差し出されたてるてる坊主をヒョイと摘み上げた。
 いっそのこと、頭の部分に目の前の人物の顔でも描いて、中に変な色の髪を一本入れ込んで、これ見よがしに針で自室の壁にでも留めておいてやろうかと考えてみる。しかし、そんなものが自分の部屋にあるという絵面を考えただけで、うんざりするのだから仕方ない。
 
 けれど、このまま相手のペースに押し切られるのはプライドが許さない。
 よりにもよってこの男に、こんな形で敗北を喫するというのは、悪魔の二つ名が黙っちゃいない。

「時に、局長」
「なんだ」
 あらためて歩を進めれば、ペテロは応じるように席を立つ。部下といえど、対等に話す場合に限っては目線を同じくする。偉そうな態度は変わらねど、それが、唯一マタイがこの上司を純粋に評価できる点だった。
「この布っきれ…いや、てるてる坊主とやらには、ちゃんとご利益があるんでしょうね」
 けれど、その問いに返って来た答えは、あまりにもあんまりなシロモノで。
「当然である。某の祈りが込められたものであるからして」
 根拠は何だ、根拠は。
 上司でさえなければ、そう言って胸倉を掴んで詰め寄りたいところ。
 だがしかし、一応のところ、ここはぐっとガマンの子であった。冷静さを失っては、見えるものも見えて来なくなる。
「ということは、ですね」
「うむ」
「その効用というのは、交通安全、家運隆昌、開運招福、学業成就…」
「は? 何だ? そのような効用はないぞ」
「おや、違いましたか。では安産、厄除…」
「アンザン? アンザンとは何であるか」
 厄除どころか、災厄そのもののような知り合いばかりだったり、本人みずから災厄以外の何物でもないような人間に対して言うことではなかったか。そんなことを考えながら、どうにか形勢逆転の切っ掛けを掴もうと四苦八苦する。
「アンザンとはですね、あれですよ。頭の中で計算をめぐらせることです」
 ちょっとばかり意味が違うが、大体において合っているなら問題ない。
「それは貴様の得意とするところではないか。今更、祈願などする必要なかろう」
「――…」
 意外にも、マタイの窮地を見抜いているのか。今日はなにやら分が悪い。
 しれっとギャグをかましたつもりが、軽く流され。しかも追い討ちを掛けられる形になって、マタイは本気で弱り果てた。よりにもよってこんな時に、相手は珍しく冴えているようだ。

 困った。
 顔には死んでも出さないが、正直かなり困っていた。
 しかし、ここで引き下がるマタイではない。
 このままやり込められてなるものか。
 せっかく見つけたツッコミどころを、みすみす逃すばかりでなく、ただでさえ振り回されている相手に、弱みを見せるようなことがあってはならない。

 とはいえ、打開策として残された案は、結構ありがちのような気がした。
 だが今となっては、他に妙案が浮かぶ訳もなく。
 とりあえず強引に押し切ってしまえ。心の中の悪魔が囁く。
 押し切ってしまえばこっちのものだ。それでどうにかなる。いや、してみせる。

 ――そして、悪魔の囁きに、逆らうことなく身を任せてみたりして。

「ああ、そうか」
 ぽむ、と手を打ってにっこり笑顔。
 禍々しさ全開、胡散臭さ満載であるが、今更、この上司相手に繕っても始まらないのは承知の上だ。
「…なんだ」
 やはりというのか何と言うのか、冴えている(らしい)ペテロは、マタイの笑顔に咄嗟に身構える。
「縁結び」
「は?」
「やはり、七夕というからには縁結びの御守りですね」
「え?」
 もちろんこちらも、根拠なんてない。
「さすがは局長。伝説上の恋人同士にすら、年に一度の逢瀬を晴れさせてやりたいというお心遣い、そしてそのご利益をこのマタイめにも賜らんとする懐の深さ、さすがは我が上司殿。まこと感服すべき器の大きさとは、まさにこのことですな!」
 あからさまに相手の口調を真似てあてこすれば、すぐ通じたらしい。瞬間湯沸かし器が一瞬のうちに沸点に達したようで、怒りのためか白い頬が朱に染まっていた。
「貴様…」
「縁結びと言うからには、も・ち・ろ・ん、望む相手とのご縁が深まるということに相違ありませんね」
 怒鳴るタイミングを失させてしまえば、ペテロはぐっと言葉に詰まる。
 も・ち・ろ・ん、とわざわざ強調することも忘れない。
 曲がりなりにも浅からぬ――いや、有り体に言えば深い仲であるところの自分に対して、日頃どんな仕打ちをしているのか、この男は考えたことがあるのだろうか。どうも「自分の方がマタイに振り回されている」と思い込んでいるようなふしがあるが、そんなのはただの錯覚に他ならない。たまにはこちらが振り回したところで、許されるべきだろう。それが、マタイの行動の原動力だった。
「うむ…いや、あの…ああ。そう、そうだ。その通りだ! この縁結びの御守りは霊験あらたかだ。どんな相手であろうと思いのままなのだ!」
 どうだおそれ入ったか!と勢いづいたペテロは高笑い。
 どこの怪しい修行僧だ、とツッコミかけた自分にブレーキ。
 うっかり乗せられて、自分が何を口走ったのか気づいていない。この浅はかなところが何とも言えず気に入っているのだが、そんなことはこの際置いておく。つい緩んでしまいそうになる口元を、引き締めるのには結構な労力が要った。
「ほう、どんな相手でも思いのままと」
「然り」
 まだまだ自信満々なペテロ。失言には気づいていない。
「…では、早速試してみるとしますか」
 
 えへん。と得意げな男の肩に手を掛け、そのままずずいっと壁際まで追い詰める。

「ええええ? なななななんだ?!」
「ですから、試してみようと」
 それでもまだ、気づかないのは愛すべき愚鈍と言うべきか。
「あぁン? どういうことだ? 説明してみよ!」
 うっかりガラが悪くなる、やんごとなき生まれのお貴族サマである。
「ですから、思いのままになるのかどうか」
「は?」
「縁結びの御守りなんでしょう?」
 そう言って、手にした白い物体を、ぷらぷら目の前でかざしてみせる。
 そこでようやくペテロは、自分の掘った墓穴の大きさを自覚したらしい。返す言葉が見つからぬ様子で、とりあえず睨まれた。
「――…」
「よもや、異端審問局・局長ともあろうお方が、大事な部下の切なる祈りをお聞きくださらない…などということはございませんね?」
 もはやこれは、問いというより脅迫である。
 というより、いかな民間信仰といえど、これは充分に偶像崇拝の禁忌を犯していることになるのではないかとか。
 そもそも聖職者としてというか、人としてそれはどうなんだとか。
 そんなツッコミを誰がして来ても、にっこり笑って握り潰すくらいには、マタイはうかれていた。
 反論なんてあっさり論破してしまう自信もあったし、ようやく調子が出て来たと、ホッとしている部分もある。
「え…と、あの…いや」
「私の気持ちをないがしろになさるような、冷酷なお方ではございませんね」
 じっと覗き込めば、透き通った瞳がマタイを捉え、それは次の瞬間、不貞腐れたように逸らされた。

 ああ、なんて可愛い。
 ますます苛めたくなるじゃないか。

 うきうきしていることは、多分まだバレてない。いつも、さんざ好き勝手に振り回されている。本当なら、この程度の意趣返しは許されてしかるべきなのだ。しかし、あまりに突付きすぎると逆ギレされる。
 何事もタイミングが大切。この、何とも愛らしい重戦車どのを、まだまだ末永く可愛がって差し上げるには、あまり苛めすぎないことも重要なポイントと言えるだろう。
 
 ここが引き際。
 そう考えてマタイは、名残惜しさを押し隠し、すいと身を引いた。
 ほんの一瞬だけ残念そうな顔をペテロがしたのを、もちろん見逃すはずはなかったけれど。

「冗談ですよ」

 少なくとも、困惑する程度には自覚してくれているらしい。このニブチンが、マタイの口から「縁結び」という単語が発せられて、その相手が誰なのかをちゃんと理解する程度には、「この関係」が身に染み付いているということだ。

 とりあえずは、こんなところにしておくか。
 策は、搦め手の方が楽しい。
 一気に墜としてしまうより、じわじわ真綿で首を絞める方が、楽しみが長続きするではないか。

「貴様っ! 人をからかうのもいい加減に…っ」
「おや、まさか本当に信じてたんですか?」
「え?」
「縁結び」
「だからっ!」
「ご利益なんてあるワケないでしょう」
 ばっさり斬って捨てるのも愛情の一環。
 何と言っても、この怒りと情けなさの綯い交ぜになった顔が、殊のほかマタイは好きなのだ。
「この…っ」
 とうとう怒髪天を衝く勢いで、ペテロが怒鳴りかけた隙をついて。
 あまりの可愛さに、ついうっかり――そう、本当にうっかり衝動的に唇を奪ってしまった。
 
「――…!!」
 輪をかけて紅くなった白い首筋に、さらに不覚なことに、ますます不埒な衝動をもよおしてしまったので。
「大丈夫ですよ。こんなものに頼らなくても、私はアンタの思いのままですから」
 そう言って、よしよし、とその手触りのよい髪を撫でる。
 この際、話が完全にすり替わっていることは、気づかないフリ。
 今日三度目の全開笑顔(胡散臭い)を向けてやれば、わずかに遅れて、ペテロは拳を固めて振りかぶった。
 ひょいとかわしてそれを避け、ちょうど上手い具合に無防備になった手首を掴む。
「おい、放さんか!」
「嫌ですよ。放したら、アンタ殴るじゃないですか」
「殴られるようなことをしたのは誰だっっ」

 ああもう本当に、ぞくぞくする。
 この目で睨まれたら、心ゆくまで踏みにじってめちゃくちゃにして、それから存分に撫でくり回して慈しみたくなる。
 どうやら自分はこの男を前にすると、堪え性がなくなるらしい。
 そんな今更なことをふと思い浮かべて、また、笑ってしまった。
 今度は、くくく、と声が出る。すると途端にペテロは、「何がおかしいっ」と声を荒げる。

「いえ、私の滑稽で無様な姿が」
「――え」
「何でもありません。独り言です」
 目を伏せて、ことさら静かな声で。
 けれど、しっかり聞こえるであろうほどには、トーンを落とさない。
「そんなでかい声で独り言を言うヤツがあるか!」
 まったく、わざとらしいヤツめ、と不満げな声音が応える。
 だが、これがまったくの本音であることは、幸いまだ気づかれていないらしかった。

「それはともかく、天気予報によれば、明日は晴れらしいですよ」
「…む…それはまことか」
 毒気を抜かれたのだろう相手は、振り上げた拳から力を抜いた。ここぞとばかりに引き寄せてみたが、抵抗も忘れているようだ。
「ええ、よかったですね」
「なに」
「年に一度しか逢えない恋人たちが、無事逢えるじゃないですか」
 そんな風にマタイが言うとは、夢にも思わなかったのだろう。この上なく大きく見開かれた瞳が、ぱちぱちと二回、大きく瞬きをする。
 ついでに半開きになった唇は、もちろんありがたく頂戴したけれど。よほど衝撃だったのか、罵声は返って来なかった。
「マタイ」
「冗談ですよ」
 しかし、すかさず遮ることも忘れてはならない。ペテロが言葉を発するより早く、さらに続ける。
「まったく、冗談の通じない人ですね。私が他人の恋路やなんかに興味があるわけないでしょう」
 見知らぬ他人が一年ぶりに逢えるかどうかより、興味があるのはむしろ、一週間ぶりに自分が、恋しい相手をベッドに引っ張り込めるかどうかである。
「な…」
「ああ、でも」
 怒鳴ろうとしていたらしい声を、また遮って。
 まだ手にしていた白いてるてる坊主を、ふたたび目の前でかざしてみせた。
「これは、ご利益あるかもしれませんね」
「は?」
「縁結びの御守り」
 その単語を聞いて、何とも言えぬ嫌そうな顔で、ペテロは口元をへの字に曲げる。

 鰯の頭も信心から、と言いますからね。

 ――そんな不遜な言葉を呑み込んだのは、さすがに賢明と言うべきか。
 とりあえず、明日が晴れるように祈ってやるくらいはいいか、と思ったのは、ぼそりと呟かれた台詞を耳にしたからだった。

「そんなものに頼らなくとも大丈夫だ、と言ったのはどこのどいつだ」

 たまには聞こえなかったフリをしてやるのも、それはそれでアリかもしれない。
 珍しくそんなことを思うくらいには、やっぱりマタイは浮かれていた。




                           Das Ende
  




小ネタ。
プレ七夕deマタペテ。
敬愛する「マタペテ・愛の伝道師」まおうつじさまに勝手に捧げます。
いろいろ激しく間違っているような気がしなくもないですが、
強引に押し付ける所存で(笑)。







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