「本気で言うてんか?」
明日の試合に行かないか、などと言い出した三井に、つい、らしくない声を上げてしまった。
行く、といっても応援にではなく、三井の言葉の意味するところは「ベンチに入る」ことだと察したからだ。
「本気…だよ」
パスタをかき混ぜる手を止めて、返す三井は、土屋の言いようにムッとしたのだろうか。何だか不服そうな顔をしている。
「せやかて、あん時やっぱり無理や言うてたやん」
一度は検討してみたが、やはり無理だろうというところで落ち着いた。それは、三井も承知のはずだった。
なのに土屋がそう言っても、うーんと唸るばかりで。
「でもなぁ」
「『でも』もへったくれもあれへん。諦めたんちゃうんかい」
心持ち語尾をきつくしてみたが、それでも納得してないらしい。
「…でもなぁ…」
まだ、こんな接続詞を口にする。
ムカ。
思わずこちらも、サラダの残骸の上をさまよっていたフォークを止めた。
気持ちも分からないではないが、一旦ハナシがついたものをまた蒸し返されるのは嫌いだ。
しかも、1ヶ月ぶりに二人で外食している時に、だ。
たとえファミレスとはいえ、土屋にとっては久しぶりのデートである。それが三井には、さほど大事な時間ではないということなのだろうか。
「ちゅーか、もう引退してんから今更やろ」
まだ現役ならともかく。
この間もそう言い交わしたはずなのに、まだ迷っている。実はちっとも諦めてなんかいないことは、顔を見れば分かった。
「だってよ…オレら引退して、1年しか居ねぇんだぜ?」
先月まで二人が居たK大のバスケ部は、三井や土屋の代までは、そこそこの成績をあげていた。だが、1つ下の代が不祥事を起こして、軒並み退部してしまったのだ。
今となってはレギュラーも控えも1年。そして明日の試合は、1年だけになってから初めての公式戦である。
「せやからて、いつまでも手助けしてられるワケちゃうやろ?」
「…そりゃそうだけどよ…」
もちろん、それは三井とて分かっているに違いない。しかし、残された1年たちというのが、これまたどうにも頼りないのも事実。
(けどなぁ)
引退した者が、応援に行くならまだしも、試合に出るかもしれないことを前提に、ベンチ入りするなどと言う。
というのも、チームはレギュラー5人と控え2人で構成されているのだが、レギュラーの1人が怪我で治療中、控えの1人が実家に不幸があったとかで、今夜から帰省すると聞いたからだった。
先週、レギュラーが怪我をした時に、監督を通して一度相談を受けた。だが、二人とも外せない先約があるから無理だと断っている。
しかし、今度はさらに控えが1人居なくなる。後輩からそのことを知らされて、三井の決意が揺らいだらしい。
書類の提出が遅れていて、選手登録はまだ抹消していないはずだ。ギリギリ人数は足りているが、明日は3回戦までの予定である。間に休憩を挟むとはいえ、5人だけで廻せる可能性はあまり高くない。1年ばかりのメンツでは、控え2人を含めた全員が揃っていたところで、心もとないというのに。
(それでもな)
もしもの時の要員として、ベンチに詰めていたいという気持ちは、本当は土屋にも分かる。
ただ、そういう訳に行かないのには、他にも理由があった。
「第一、明日は試験やろ」
そう、ふたりとも明日は、ある国家資格の試験を受けるのだ。
そしてそれは、この先の進路において――有り体に言えば就職活動に際して、かなりの重要度を占める。だから最初にの時断った。
「…うん、まぁ」
同じ学部で同じ学科。しかも同じバスケ部。
志望しているのも同じ系統の業種で、それには必要不可欠の資格である。
もちろん、それだけで採用される訳ではない。だが、新卒の人間にとって資格というのは数少ないアピールポイントだ。少しでも就活を有利に進めるためにも、取っておいた方がいい。合格率はあまり高くないが、その業種を目指す者の大半は、学生時代に取得しているという。いわば、持っていて当然のものでもある。
(何のために頑張って来てん)
土屋の第一志望の企業は、三井と同じ。主体性がないと言われればそれまでだが、他人の目まで構っていられないのが正直なところ。
三井には「バスケ部があること」というのも志望動機のひとつだが、土屋にとっては「三井と同じ職場である」というのも重要なポイントである。一緒にバスケを続けられればいい、という気持ちは確かめ合ったけれど、それだけでは足りない。いつもつれない恋人とせめて少しでも近くで働きたい、と願うのも土屋の正直な感情なのだ。
「せっかくダブルスクールまでしたのに、まさかブッチする気ぃちゃうやろな」
土屋が言うと、三井は、俯きかけた顔をハッとしたように挙げた。
「ちげーよっ」
いかにも心外だという表情。さすがにそれはないということか。いつになく三井が真剣に頑張っていたのは、土屋ももちろん知っている。
「ほんなら」
「だから、試験終わってからの話だよ。3回戦まで残ってたら、時間的には間に合うじゃん」
試験は朝から夕方まで。
確かに、3回戦くらいに焦点を絞るなら間に合わない時刻ではない。
「…せやけどな」
試験会場から試合のある体育館までは結構距離がある。電車の乗り継ぎが悪くて、手間取っている間に試合が終わるという可能性もなくはない。
「だって、やっぱあいつら何か放っとけねぇし…」
頼りにされると弱いのは、三井の長所でもあり欠点でもあると思う。
「けど、あいつらの実力はそれなりのモンやで。あんまり甘やかすんもええことないやろ」
1つ下の代が居なくなってからというもの、いずれは彼らだけでどうにかやって行けるようにと鍛え上げたつもりだ。おかげで、1年生だけでも「弱小」とは言われないだけの力は身につけていると思う。だから三井も、3回戦まで残っていたら、という考え方をしたのだろう。
「つってもさ、頼んねぇってのはおまえも言ってただろ」
問題はそこだ。
怪我をしているレギュラーは、副将だがチームを引っ張るタイプである。主将はむしろ真面目で大人しい性格で、その分、副将より人望が厚い。
一人を欠いたくらいで動揺していては、この先が思いやられる。
そう言ってやりたいところだが、確かに、1年生だけになって初めての試合でこんな状況では、心細くなるなという方が無理だ。
(とは言うてもなぁ)
自分たちだって、大事な試験を控えた身である。
ゼミが違うから、普通に帰れば一緒になることは滅多にない。部活をしていた時ならいざ知らず、引退してからこの半月というもの、二人きりになるのは週二回、資格の専門学校の帰り道だけだった。
しかも、帰り道ということは「外」だ。人目を気にする三井が、素直にイチャつかせてくれるはずもない。分からないところは大学の図書館で懇切丁寧に教えてやり、集中したいと言われて、三井の部屋に入り浸るのも控えた。
――それでも、土屋は不平ひとつ洩らさなかったのに。
なんであいつらには、頼られていとも簡単に折れるのか。
半分くらいは、八つ当たりなような気がしなくもない。けれど、ヤツらを甘やかしてはならない、というのも筋が通った話のはずだ。そう思ったので土屋は、三井を納得させるための切り札を出した。
「人の心配できるてことは、試験、楽勝なんか?」
「――…」
三井は、ぐっと言葉に詰まった。どうやらあまり自信はないらしい。
専門学校での模試は、そこそこの点だったはずだ。しかし、本来三井は、テストと名のつくものはすべて苦手なのだと聞いたことがある。苦手意識というものは、せっかくの実力を出し切れなくしてしまうことも多い。
そこで、畳み掛けるようにダメ押ししてみる。
「確かに、おまえの集中力は大したもんやと思うけどな。明日の試験終わっても、まだそれ保ってられるか?」
「え…っ」
「試験て大概、終わったら集中力切れるやん。疲れも一気に出るやろな。それから試合なんか出て、かえって足引っ張ることになったら面目立たへんのちゃう?」
大学入試の翌日、高熱を出して家族や友人から「知恵熱だ」とさんざんからかわれたという。そんな経験のある三井には、効果的なひとことだったらしい。いつもなら、こういう言い方をされれば逆ギレしそうなものだが、さすがに知恵熱事件は自分でもショックだったのだろう。何かを言いたげにこちらを睨んだが、それ以上の言葉は出て来なかった。
部活を引退したと言っても、バスケ自体は今後も続けるつもりだ。身体がなまらないように、適度に走ったり筋トレくらいはしている。お互いそれは知っているから、三井もこんなことを言い出したのだろう。しかし、この半月、自分もおそらく三井もボールには触っていない。
「3回戦てことは、相手もそれ相応の実力あるっちゅーこっちゃ。そういうトコとやんのに、疲れて呆けたヤツが、ほんまに戦力になれる思うか?」
最初からその気で気構えをしていれば、もしかしたらどうにかなったかもしれない。
だが、一旦は結論が出たものを、直前になって急に蒸し返されても、どうにもできないのが正直なところだ。
「…わかったよ」
ぼそり、と小さな返事がこぼれた。
目を逸らして三井は、グラスの氷水を流し込む。そしてそれから拗ねたように、そっぽを向いてしまった。
後輩の力になってやれないことよりも、本当は、しょげた三井の横顔を見ることの方が辛い。
でも、無理ではなくともきっと無謀だということを、三井にも察して欲しかったのだ。
(けどな)
それでも力を尽くしてやりたいと考える、そんな三井こそが好きなのも事実。
できることなら手を貸してやりたい、けれどそれがこいつの負担になるのは嫌だ。
逃れられないジレンマに、気づかれないよう唇を噛む。
(あーあ…)
無謀だということは、おそらく理解したのだろう。だがその姿を見ても、心は痛むばかりで。
自分が原因ではないはずなのに、傷つけてしまった迂闊さを憎む。
こんな土屋の心境を、こいつは分かっているのかどうか。
(どないしたもんかな)
何か、手立てはあるのだろうか。
冷静に考えれば、「ない」というのが唯一の答えのように思えるけれど。
食事を終えて土屋は、あえて冷めたコーヒーを飲み干す。
ソーサーにカップを戻す時、知らず気持ちが現れてしまったのだろうか。いつも以上に、ガチャン、と荒っぽい音がした。
三井の前では、同じくとうに湯気を立てなくなった紅茶が、主に忘れられたことを嘆くように、カップの中でかすかに揺れていた。
◆ ◆
翌日。
土屋とは待ち合わせて試験会場に行ったが、結局ほとんど口をきかなかった。
さすがに気が咎めたというのもあって、終わった後、出口のところで三井はメールを入れる。
『帰り、どうする?』
短すぎる、といつも愚痴られたが、これは性分だから仕方ない。
五十音順の受験番号なので、部屋も階も別だった。試験の最後は、終わった者から回答用紙を提出して帰っていいことになっている。ほとんどのヤツはギリギリまで時間を使うと言われているし、模試の時のことを思い出せば、自分もギリギリまでかかるのは分かっていた。だが、もしかしたら土屋は、もう終わって帰ったのかもしれない。そんなことを考えてしまうほど、返事が来るのは遅かった。
(いつもだったら、すぐ来んのに)
終了時刻は過ぎているから、まだ会場の室内に居るとは考えられない。しかし、建物を振り返ってみても、出て来る受験者の中にそれらしき姿は見当たらなかった。
(どーしてんだよ)
いつも煩いくらい、三井にまとわりついて来るのに。
そんなことを許しているのは、あいつだからこそだと知っているはずなのに。
昨日のやり取りは、確かに気まずかった。今朝、ほとんど口をきかなかった三井も悪い。
だが、そんなことでヘソを曲げる土屋ではないはずなのだ。
まさかそれとも、本気で愛想をつかされてしまったとでもいうのだろうか。
(…んなワケねぇだろ)
本人には絶対言わないが、そのくらいには三井だってあいつのことを知っている。ああ見えて、ちょっとやそっとでは挫けないタイプであることも。
三井の申し出に異を唱えて、それには三井も納得せざるを得なかった。気まずさはあったが、それでもおかげで昨日の夜は、試験勉強に集中することが出来たのだ。今回は、疲れも意外に出ていない。それもこれも、あいつの気遣いのおかげだと思う。
頑張ったのはもちろん自分だ。しかし、しばらく素っ気なくしていた自覚はある。だから、特に礼を言うつもりではないけれど、まずは後輩たちに連絡して試合の結果を訊いて、少しだけでも様子を見に行って――その帰りはあいつの部屋に寄ってもいいか、なんてことを考えたりしていたのに。
ぐるぐる考え込んでいたら、マナーモードにしていた携帯がぶるぶる振動した。画面の表示を見るまでもなく、送信者は土屋だった。しかし、開いたメールを目にして、違和感を覚える。ひとことで言えば、土屋らしくないメールというやつだ。
『今どこ?』
こんなメールが返って来るとは思わなかった。
三井なみにシンプルで、しかも微妙に偉そうだ(三井がそう感じるだけだろうか)。
『さっきのB棟ってとこの出口。おまえはどこよ』
ムッとしてしまいそうなのを押しとどめ、すぐ後ろの建物を見上げて、入口にあった文字をそのまま打った。
(訊いて来るっつーことは、まだ帰ったりしてねぇってコトだよな?)
少なくとも、近くに居るとかどこかで合流するとか、そういう意思があるということではないのか。
そう思って少しホッとしたけれど、そんな自分にムカつきもした。
何だって、いつでもあいつに振り回されなければならないのだ。
「くそ」
思わず、言葉が声になって出た。木枯らしが吹き付けて来て、三井は慌ててジャケットの前を合わせる。日が暮れはじめているせいか、風は思った以上に冷たかった。
『試験、どないやった?』
しかしそんな三井の心情にはもちろん気づいた風もなく、今度は脈絡のない質問メール。
目の前に居たら、人の話聞いてんのかよ!とツッコんでやりたいくらいだ。
(まぁ、そりゃーさ)
土屋のおかげで揺らいでいた気持ちが落ち着いた。それは本当。
そして、思っていたよりも出来た気がするのも、実は結構嬉しかったりする。だから、あまりキツいことは言わずにおこうと、また自分を諌める。
『思ってたよりイケてるかも。で、どこに居んだよ?』
そう正直に返したら、今度は速攻で返信が来た。
『ほな、ちょっとそこで待ってて』
相変わらずの聞いてなさに、文字を打つ手に力が入る。こちらもすぐに返信。
『だからどこなんだよ!』
待ってて、ということは、あまり近くには居ないということか。だが、簡単に言うということは、さほど離れている訳でもないのかもしれない。
だが、返信が来るより先に、そいつは目の前に現れた。
そのありえない様子に、三井は目を瞬かせる。
「おまえ…なにソレ」
今までにも見たことはあったが、驚いたのは仕方ない。
まさか、今ここで目にするとは思わなかったからだ。
現れた土屋は愛用のバイクにまたがっていた。
いかにも、今日はこの愛車でここに来ましたと言わんばかりに。
それも大型バイク、俗に言うナナハンというやつだ。グレていた頃の連れが乗っていたやつに、ちょっと似ているかもしれない。しかし、それなりに見慣れてはいても、やっぱり意外だと感じるのは否めない。
(なんで???)
頭の中を疑問符が駆け巡る。
確かに朝は、三井と一緒に電車で来たはずなのに。
一体、何がどうなってこんな姿で登場したというのか。
三井がぽかーんとしてしまっても、無理はないと誰もが思うはずだ。
「はよ終わったから、一旦帰った」
「へ?」
それは、さっきの三井の言葉に対する答えなのだろう。だが、やっぱり事情は飲み込めなかった。
確かに、土屋の部屋も三井の部屋も、ここから遠いというほどではない。しかし、電車と徒歩なら片道30分近くかかる。一旦帰ってまた戻って来るには、よっぽど早くに試験を終わらせなければならないはずだ。
(いくら何でもそりゃ早過ぎだろ…)
そんな疑問に気づいたのか、土屋はニヤリと笑ってみせた。続けられた言葉は、しかし、三井を更に驚かせるのに充分すぎるものだった。
「っちゅーのは、ウソやけど。もしかして要るかな、思て、昨日のうちにこの近所のツレんとこに止めさせてもろとった」
「え――」
「行くだけ行こや。急いだら間に合うかもしらん」
この方が早い。
そう言って、手にしたメットを渡される。「どこに」とか「何に」とか訊こうとしたが、その前に答えに思い当たって息を飲んだ。
「なんで…」
次に口をついて出た疑問には、土屋は笑みを深めるだけで。
「別に、試合に出るとは言うてへんけどな」
「…――」
「まぁ、見に行くぐらいかまへんのんちゃう?」
土屋は、ただ見に行くだけのつもりなのだろう。もしかして、と希望を持ったのは束の間のことだった。
ほんの一瞬の期待が、急速にしぼんで行く。やっぱりな、という言葉が思い浮かんで、三井は俯いた。
だがしかし。
強引に三井にメットを持たせた土屋は、自分のカバンを顎で示しながら、こんなことを口にした。
「こん中に、誰かと誰かのユニフォームが入ってるとも言わへんけど」
「――な…っ?!」
もしかしてそれは――もしかしたりするのだろうか。
そして、さらに驚くべきひとこと。
「見に行ってるヤツにさっき電話したら、出番なんかなさそうやけどな」
オレはその方がええけど、などと、うそぶく土屋。
益々、何がどうなっているのか訊きたい。まどろっこしい言い方するな!という言葉が喉元まで出て来そうになる。
「ってことは」
すでに負けているのか、それともとても奮闘しているのか。
だが、聞き出す間もなくほとんど無理やり、後ろに乗せられる。土屋は、これまた準備万端の様子で、自分用のメットを別に出して来た。
「行ってもしゃーないトコに行くんは気が進まんけど、おまえの気が済むんやったら、そないしたらええやん」
どうとでも取れる答えに、わずかに苛立つ。しかし、もう乗ってしまったものはしょうがない。
何より、やっぱりこいつも気にかけているのだということが嬉しかった。
だからつい、その誘いに応じてしまったのだ。
「でも、なんで?」
「ま、試験頑張ったごほうびかな。あかんかったら、知らんふりして帰ったろ思てたけど」
そう返す表情は、いつも三井を苛める時のもの。
ニヤニヤ笑いながらも、どこかちょっと嬉しそうなのが、いつもならムカつくのだけれど。
多分、本当はそんなことは思ってないはずだ。言葉を表情が裏切っている。こいつの場合は、ほとんどわざとじゃないのかとは思ったけれど。
(まぁな…)
どっちにしろ、昨日はこいつの言葉のおかげで気持ちの整理がついた。狙ったのかどうかまでは知らないが、あれもこれも、きっと三井のことを想っての言動なのだろう。そして同じことを、きっと土屋自身も望んでいる。
(そういうことかよ)
そう考えたら、意地を張り続けることも怒ることもできなかった。
やられた、と思いはするけれど、腹が立たない。
大事なことを三井に内緒で、勝手にひとりで根回ししているコイツには、いつもならもっと苛立つはずなのに。
(なんだよもう…)
結局、自分だって気にしてたんじゃないのかよ。そうツッコんでやりたかった。
こいつのヒネクレっぷりには頭が下がる。呆れて苦笑いがこみ上げて来るけれど、それ以上に心を満たす感情がある。
(でも、素直じゃねぇよな、まったく)
自分のことは、もちろん棚上げ。
涼しい顔をして、いきなり人を驚かせるコトをやらかす。
クールぶっているくせに、実は案外情にももろい。
何よりも、他のヤツらに対する以上に、三井には相当甘いのだ。
(バカじゃねーの)
でも、土屋のそんなところを、どうやら自分は嫌いじゃないらしい。
あんまり認めたくない結論に辿り着きそうになったところで、今度はさっきの台詞をふと思い出した。
(あ、そういや)
確か土屋は「間に合う」という表現を使った。ということはつまり、まだ勝ち残っているということだ。
(だよな?)
だったら、もちろん出番なんてない方がいい。
けれどやっぱり、その場に行ってやりたい気持ちは消えない。おそらくそれは、土屋も同じた。
そう気がついて、知らず口元がほころんだ。素直でない恋人を持つと、色々苦労が絶えないものなのだ。
しょうがないヤツだ、と思ったら、すべてのわだかまりがゆっくり解けてゆく気がした。
そして、三井は土屋のマネをして、ニヤリと唇を笑みの形に吊り上げる。
「間に合うかも、じゃなくて、何が何でも間に合わせろよ」
自分たちが出る出ないに関わらず、と言外に付け加えるように言う。
これについてもきっと、こいつもそのつもりなのだろう。だからこそ、わざわざバイクに乗り換えて来たのだ。
(そう思っていいんだよな?)
三井の推測は、多分正しい。
その証拠に、頭だけ振り返った土屋は、ひどく嬉しそうに笑った。
「了解」
それを確かめて、自分もメットを被る。土屋の腰に腕を回せば、勢いよくバイクは走り出した。
「ほんま、オレって三井に弱いわぁ」
――なんて言葉が聞こえて来たのには、とりあえず気づかないフリをして。
「サンキューな」
だからこんな言葉も、エンジンと風の音にかき消されてしまうだろうと思うことにして。
「お礼はカラダで払ろてくれてええで」
もちろん、この暴言もさっくり無視。
いや。
無視、するつもりだったのだけれど。
「おんなじコト考えてたくせに、よく言うよ」
ついそう呟いて、土屋を後ろから抱いた腕に力を込めた。
すると更なる暴言が、風に乗って聞こえて来た。
「身も心も通じ合うてるからかな」
くく、と楽しげに喉を鳴らして笑うさままで、目に見えるようで。
「――おまえはひとこと余計だっっ!」
思わず怒鳴ってしまったのは、ほとんど条件反射。
(あー、クソ)
それでも、互いの上着越し、かすかに感じるぬくもりを逃したくない。
そう思ったから、今度は別の手段に出ることにした。
「帰りはおまえンちに寄るから、明日はガッコまで送れよ?」
その言葉に含ませた意味を、取り違える土屋ではない。それくらいのことは、三井にも分かった。
「え…マジで!?」
ぱっと顔を輝かせた土屋が、いきなり振り返る。
しかし、さすがにここまでの反応は予測していなかった。
「おいっ! 前見ろ、前っっ!!」
バイクは大きく蛇行して、対向車線ぎりぎりまでヨタる。だが幸いにして、車通りはほとんどなかった。メットを掴んで無理やり前を向かせたところで、大きなバイクはようやく体勢を立て直す。
(あれ…なんか…)
いつもは白い首筋が、ほんのり紅く染まっているようにも見える。
もしかしてこれは、今の三井の台詞ゆえだろうか。
そう思えば、なんだか妙に嬉しくなって来た。
よく考えてみると、他のヤツらに対するよりずっと、土屋は三井にだけ色んな顔を見せる。この一瞬も、そのひとつに数えられるのかもしれない。
(ちょっと、いいかも)
吹き抜ける木枯らしも、今は冷たく感じない。
ほんのついさっきまで、貴重な体温を奪うもののように感じていたのに。
その理由に気づいて、小さく三井は微笑んだ。
土屋にだけは絶対に悟られないよう、細心の注意を払いながら。
Das Ende
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