観覧車に男が二人で、というのは結構恥ずかしいものだと、並んでいる時に気がついた。
しかし「やっぱりやめようか」と言い出すには遅すぎた。切符売り場はもう目の前に迫っていて、後ろにもそこそこ列が出来ている。途中で抜けると、余計に悪目立ちするだろうというのは察せられた。
(あー……)
たまたま立ち寄ったミナミのディスカウントショップで、出来たばかりの変わった形の観覧車を見つけて。
こういうタイプは日本初だとか言われて、新しいもの好きの三井は、深く考えずに「乗りたい」と言ってしまった。
(あの沈黙は、こーいうことだったのかよ…)
土屋は、一瞬大きく目をみはり、それから少しして頷いたのだ。
先に指摘しろよ、と思わないでもなかったが、三井がワクワクしていたのは感じ取れたのだろう。特には何も言わず、切符売り場の列に並んだ。
だが、大抵の遊園地でそうであるように、観覧車になんて乗るのは、家族連れかカップルがほとんどだ。女同士の二人連れさえ滅多に見ない。なのにそれには気づかず、小さい頃や、今までつきあって来た女たちとの時と同じ感覚で、何も気にせず乗ることにしてしまった。
(…まぁいっか)
乗っている時間は、せいぜい10分とか15分とかそんなものだろう。切符売り場から乗り場までは、それほど遠くない。ということは、切符さえ買えばすぐ乗れるということだ。あとほんの少しのガマンなのだ。それで楽しい気分が味わえるなら、まぁ仕方ない。土屋と乗ること自体は、別に嫌でも何でもないのだし。
そんなことを考えていたら、ちょうど順番が来た。
がしかし、財布を出そうと料金の表示を見て、思わず固まる。
(なんだこれ?)
普通、多くてもせいぜい2種類くらいだろう。だが、この観覧車の料金は4パターンに分かれていた。
「当店の観覧車は、1BOXが四人掛けになっております。お二人様でしたら、ペアチケットは1200円、1BOX貸切は2000円になります。ペアチケットの場合は、相席になる場合もございます」
そう説明されたのだが、とっさにどういうことか判断できない。
(え? 1200円てのは二人で、ってことだよな?)
暗算するくらいは訳もないが、一瞬、どっちがお得なのかと考えたら迷う。
いや、そもそも「お得」とか何だとか考えているあたり、土屋の思考回路に影響されているのかもしれない。
(普通に考えたら、ペアの方がお得だよなぁ)
貸切というのは、何だか贅沢な気もするし。大体、観覧車に一人1000円も使うのはちょっと高すぎないか。三井がそう思ったくらいだから、土屋もきっと同じ考えだろう。単純にそう考えて、500円玉と100円玉を出そうとした。
――したのだが。
「1BOXで」
有無を言わさぬ雰囲気で、千円札が二枚。
料金トレーの上に置かれたかと思ったら、間を置かずに仕切りの向こうから手が伸びて来て、「1BOX」と書かれた切符が代わりに差し出された。
「え?」
「1000円、あとでええから」
行こ、と土屋は切符を取り、早足でそのまま乗り場に向かう。置いて行かれそうになって、慌てて三井は後を追った。
(なんだ?)
何となく、いつもと様子が違う気がする。
やけに無愛想というか不機嫌そうというか、そんなオーラが漂っている。
とは言っても、違いなんて些細なもので、三井の思い過ごしなのかもしれない、とも思うけれど。
(こーいうの、嫌いなのかな)
ありえない話ではない。だが、もしそうだったら最初に提案した時に、嫌だと言うのではないだろうか。そのあたり、お互い気兼ねするような仲ではない。
(何でだろ)
珍しいこともあるもんだ。その時はそう思っただけだった。
そもそもこの観覧車は、ビルの壁面に貼りつく形で、縦長の楕円形軌道で動いている。ゴンドラは、スキーのリフトが横向きになったような感じで、ビルの方を向いて横一列に4つの座席がある。リフトと違うのは、後ろ側にだけカプセルを半分に切ったような風防と窓がついていることだ。
4つ並びの真ん中に二人で座れば、目の前にジェットコースターの座席にあるようなバーが降りて来た。
(つーか、足元結構コワイんですけど)
乗り場がすでにビルの3階だった。地上まではかなりある。真直ぐ下を見下ろせば、ビルの横を流れる川の水面が見える。だが、その距離はやはり遠い。
「――うわ?!」
しかも、思わず声を上げてしまうような事態がいきなり発生した。
座席がぐるんと回転し、背後にあったはずの風防が目の前に現れる。
慌てて後ろを振り返れば、後ろ側にもちゃんと、同じような窓と風防。
(あれ…てことは)
最初から、カプセルの蓋と中身の部分が、二重になって後ろについていたのだ。それが、座席が回転することによって、片方だけが前に回って来て、蓋がかぶさるように密閉される仕組みらしい。
「よくできてんなぁ」
ちょっとばかり感動。
だが、ゴンドラが高く上がるにつれて、時折がくんがくんと大きな振動が起こる。そのたび三井は「わっ!」とか「うお!」とか雄叫びを上げてしまうのだ。そしてその直後に我に返り、冷静な土屋を見て恥ずかしくなる。
(別に…怖かねぇぞ…)
足元さえ見えなければ、結構快適だ。ただ、観覧車というよりは低速のジェットコースーターめいていて、いまいちバランスが悪いのが気になる。多分それが売りなのだろうが、どうにも不安感を煽るようなつくりなのだ。
がくん、がたんと言いながらも、少しずつゴンドラは上ってゆく。飽きもせずそのたびに腰を浮かしかけ、それでも次第に大阪の遠景が視界に入って来ると、三井の視線はそちらに奪われてしまう。
「あっ、かに道楽!」
「…なぁ、あれって通天閣だよな」
「なぁなぁ、あの辺がなんばの駅だろ?」
日も暮れて、ネオンが灯り始めるほんの少し前。
土屋とつきあうようになってから、見慣れたものになって来た大阪の風景。
だが、こんな風に繁華街の真ん中で、遠景を見るのは初めてかもしれない。
(この角度ってのが、また微妙なんだけどさ)
周りは高いビルも多い。最初のうちはごく近くしか見えなかったが、上に行くに従って、遠くまで見渡せるようになる。
「なんかおもしれぇよなー」
大阪も東京も、ごちゃごちゃして雑多な建物が建て込んでいる。だから昼間は特にゴミゴミした印象が強い。
だが、こうして上空から見ると、それすらも気にならなくなる。ただ、街の発するパワーに圧倒されるのだ。
そして、後ろを振り返った時には、また違った感慨が湧き上がった。
「わ…あれすげぇ…」
取り壊し最中らしいビルが、足元に広がっている。あまり背後を振り返る客はいないのだろうか、それとも、観覧車が出来てしまってから、取り壊しが決まったのだろうか。いかにも廃墟といった風情のビルが、こんなところにあるというのは珍しい。それも、景観を壊すといって何らかの手段が講じられているわけでもなく、ただ、きらびやかで賑やかな街の反対側に、打ち捨てられた様子のビルの残骸が剥き出しのまま放置されているのだ。
「なんか、大阪って妙な街…」
ひとことで言うなら、それが感想。
でも嫌いじゃない。
その言葉に込めた気持ちが、多少は伝わったのかもしれない。黙ったままだった土屋も「せやな」と呟き静かに頷いた。
わかりやすいようでいて、実は結構不可思議。
けれど、掴みどころのなさで言えば、こいつの方が上かもしれない。
そう思って、ふと隣に視線を向けた。
そこで、土屋の様子がおかしいことに気がついた。
(――え?)
いや、おかしかったのは、もっと前からだ。
だが、今はハッキリ分かるほど妙な具合だった。
「大丈夫かよ?」
そう言ってしまうほどに、おかしい。
どうおかしいのかと言えば――そう、何かひどく緊張しているような。
(なんか、手ぇ震えてるし)
唇を噛んで、視線は斜め下。
あまりに土屋らしからぬ姿は、一体何が起こったのだろうかと三井を案じさせる。
「なぁおい、土屋ってば」
具合でも悪いのか、腹でも痛いのか、と問う三井に、ぼそぼそと小さくひとこと。
「…だいじょ…ぶや」
「でもさ」
「や、ホンマに大丈夫やから…」
そう言っている間にも、ゴンドラは上へ上へと登って行く。その目がちらりと窓の外を見やったのを見て、三井は「もしや」と思った。
「ひょっとして…まさかとは思うけど、おまえ高いトコだめなのか?」
「――…」
返事はない。
だが、あろうことか土屋の肩は、今まで見たこともないほど大きく震えた。
動揺している。
明らかに、この、土屋が。
「マジで?」
それでも応えはない。
ただ、ぎこちなく伸びて来た手がそっと、三井の手に重ねられる。
そして力を込めて強く握る。
その手のひらは汗ばんでいて、土屋の緊張を伝えて来た。
「…マジかよ…」
まさか土屋が、高所恐怖症だなんて思わなかった。だが、この様子はどう考えてもそれだ。
(うーん…)
だとしたら、ひとりで勝手にはしゃいでいた三井に、多少はムカついてるかもしれない。
(…それでかぁ…)
最初から、あまり乗り気なようではなかった。それは多分、高いところが苦手だからなのだろう。こいつの本性を知っていれば、にわかには信じがたい。だが、今の状況を見れば、自分の推測が正しいことを認めざるを得ない気がする。
(悪いことしちまった、よな)
せっかくの久々の「デート」なのだ。
口に出すのも恥ずかしい単語だが、それは確かに間違っては居ない。なのに今日の自分は、土屋の様子に気づくことも出来ず、ひとりで盛り上がっていた。
そう思ったら、自然と言葉が口をついて出た。
「その…悪かったな」
だから、掴まれた手も振り解かない。
ただやっぱり――外の景色は気になる。
土屋に悪いと思いながら、それでも。
目の端で土屋をちらちら窺いながら、つい窓の向こうに意識が向いてしまうのだ。
悪いな、とは思っているけれど。
そんな三井を、土屋がどういう心境で見ていたかは分からないけれど。
「外、見えへんかったら大丈夫やねんけどな…」
その時、か細い声が聞こえて、ハッとして三井はまた隣を向く。土屋は、すまなさそうな顔をしてこちらを見ていた。
「土屋」
「せっかく楽しんでんのに、水さしてごめんな」
「なん…」
「夜とかやったらまだ、マシなんかもしれへんけど。足元モロに見えたら、やっぱちょおアカンわ」
実のところ「先に言えばいいのに」と思わなかったと言えば嘘だ。だが、こんな言葉を聞いてしまったら、もう何も言えなかった。
「いや、オレこそごめん」
早くに気づいてやるべきだったのだ。いつだって土屋は、三井の些細な変化でも気がついてくれている。たまには自分だって、土屋の変化に注意を払って、気づいてやらなければならなかったのに。
「三井…」
本気で謝ったということを、土屋は分かってくれたらしい。かろうじて浮かべられたと言わんばかりの笑みが、その口元を彩る。
(あれ、なんか)
ちょっと、色っぽいかもしれない。
普段は意地の悪い笑みを浮かべるこいつなのに、こんな風にも笑えるのだ。憔悴しきったような表情で、それでも必死に笑おうとしている土屋は、何だかひどく可愛くて、そして妙に色っぽい気がした。
不意に、高まる鼓動。
頬が、段々熱くなって来る。
「あ…その、えっと」
ちょうど、ゴンドラは頂上に着いたらしい。動きがほんのわずかの間、完全に停止する。
その瞬間に土屋を見たら、ばっちり目が合ってしまった。
金茶色の瞳が、ふ、と細められる。
(ああ、)
細められた目は、そのまま静かに目蓋を閉ざす。
土屋が何を望んでいるのか、震える睫毛が伝えていた。
――三井も目を閉じて、軽く触れるだけのキス。
だが、次の瞬間、事態は一変した。
「んん…んっ」
土屋の手に頭を掴まえられ、がっちり固定される。
軽いキスのつもりだったはずが、しっかり舌が口の中をまさぐりに来ている。
(こいつー!!!)
息があがりそうになって、必死で土屋を押し戻す。はぁはぁと荒い呼吸を整えて、その頭をぺしりとはたいた。
「てめ…っ、さっきまでのは演技かよっっ?!」
まんまと三井は騙されてしまったのだろうか。
自分にも土屋にも、怒りが湧いて来た。思わず雰囲気に酔ってしまいそうになった、自分が何よりムカつく。
がしかし、土屋はいつもの綺麗な笑顔で。
にっこりと嬉しそうに目を眇めて、また手を伸ばして来た。
「うん、今は三井しか見えてへんから大丈夫♪」
「…はぁ?」
思わず眉を寄せる三井。
構わぬそぶりで土屋は、横から三井の肩を抱く。
そしてぎゅっと引き寄せて、顔はもちろん三井に向けて。
「高いトコ弱いのはホンマやけどな。今は三井以外、なんも見えてへんから」
本気なのか冗談なのか、まったく読めない。だが、どうも本気で言っているような気がするから、こついは始末に終えない。
「…――」
「このまま三井だけ見てられたら、降りるまで平気やねんけど」
言葉に詰まった三井に、さらに畳み掛けるように。
それでもあくまで口調はおだやかな、その内に隠された熱さが怖かった。
(つーか、やっぱさっきまでのは演技なのか?)
だとしたら、益々腹立たしい。
しかし、ふと視線を落としたところに土屋の膝があって、それもさっきの手と同じく、妙に力が入っているような感じがしたのだ。
(てことは、一応マジだった?)
少なくとも、高所恐怖症であることは間違いないのか。
それでも三井と一緒に居たいと思って、こうしてついて来ているのか。
本当のところは、どうしても分からないけれど。
三井と居たくて、今こいつはここに座っている。
そのことだけは、多分嘘じゃないと思えたから。
「あー…そうかよ…」
とりあえず、力ない返事を返してはみても。
こっちを見つめているヤツから、逃れようとは思えなかった。
「うん、せやから三井もオレだけ見て?」
こんなバカげた台詞を吐かれても、脱力するだけで済んだ。
そしてまた頭を引き寄せた手が、髪に滑り込んで来ても逃げない。
「…何のために乗ってんだよコレ…」
はぁぁ、とため息をついてみせるけれど、悔しいことに土屋の方が一枚上だった。
「そら、三井とふたりきりになるためやろ?」
みんなおんなじやん、というのには、さすがに反論しようとしたが、確かに並んでいる時の他の客を思い出せば、あながち間違いでもないような気分になる。
「な?」
極上の笑みを唇に刷いて。
この上なく嬉しそうな土屋に、仕方なく三井はもたれかかった。
こいつのこんな言い草を、結構好きだと思っている自分に愕然としてみたり。
髪を梳く指が気持ちよくて、逃れたくなくなってしまったのだと自分に言い訳してみたり。
「もー、何でもいいけどよ…」
そう言いながら、掴まれた手をそっと外させて、今度は自分から土屋の腕に巻きつける。
土屋は一瞬驚いたような顔をして、それから少しだけ泣きそうな表情になって。
そして、ややあって、ふたたび顔を近寄せて来る。
(しょーがねぇな)
心の中で毒づくフリをして、三井は。
乞われるまま、求められるまま、深い口づけをまた土屋に与えた。
ゴンドラが終着点に戻った時の気まずさは、とりあえずすぐに忘れよう。
即効で店を出て、なるべく遠くまで行くのだ。
近づいて来る係員の姿を目の端に捉えて、三井はそんなことをふと考えた。
――土屋が本当に高所恐怖症なのかどうか、真実はまだ闇の中である。
Das Ende
チャイさんとたこ焼きって来た時に乗りました(笑)。道頓堀のド●キの観覧車。 まぁ、ありがちなネタですが、犬も食わないバカップルってことで。
きちゃないドブ川も、バカップルの目にはろまんちっくに映るのでしょう(笑)。
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