7月某日・午前11:30。
土屋のパソコンに、三井の携帯からメール。
『今日の昼定食、何?』
『さわらのおろし煮やって。帰って来れそうなんか?』
他部署からのデータ待ちでヒマだった土屋は、すぐ返信する。社食の日替わりメニューを訊いてきた、ということは、会社で昼メシを食うつもりだろうか。ということは、今日は近くに営業廻りに出ているのかもしれない。
『今、坂口商事出たとこ。次は有村産業に2時だから、一旦戻って報告書上げとこうかなって』
やはり近所だ。徒歩でも10分ほどの商社だった。
『ほな余裕やな』
『魚かー…どーしよっかなー』
しかし、返って来たメールは、あまり芳しい内容ではない。三井は魚は嫌いではないが、社食のメニューを作っている給食会社は、どうも和風の味付けがイマイチなのだ。食堂前に貼りだされているメニューを見た時、正直、土屋もちょっとばかり「げっ」と思った。今日は外食組が増えるだろう。
『久しぶりに外行けへん? 今日はそんな暑ないし』
近くにあまりレストランのたぐいがないせいで、大抵は社食で済ませる人間が多い。だが、人気の高くないメニューの時には、それでも、数少ない定食屋や喫茶店やスーパーのファーストフードコーナーに足を伸ばす人間が多くなって来るのだ。土屋はそれを提案した。幸いというべきか、今日は7月にしては陽射しも穏やかで、空気は爽やかだ。
すかさずこんな返事が届く。
『あ、いいな。らんぷ亭のハンバーグ定食!』
三井がお気に入りの居酒屋は、昼には定食もやっている。しかし、少々値が張るのと時間がかかるのが難点で、そうしょっちゅう行く訳には行かない。
『三井のおごり?』
『無理! ぜってー無理!』
そうは分かっていても、即答されるとややヘコむ。そろそろ腹もすいて来たけれど、給料日直前はやはり、いつもより財布の紐を固くしなければならないのだ。多分、三井も同じだろうけれど。
『ええやん。オレ、今カネないし』
素直に告げれば、今度は少しの間を置いて次が来た。そこには、こんなことが書かれている。
『席取って、先に注文するくらいならやっとくぜ。その代わりおまえのおごりでさ』
カネない、ゆーてるやろ!とモニタ相手に怒鳴りたいのを、かろうじて堪える。
12時に会社を出ると、同僚や近くの会社や周辺住民でごった返すタイミングだ。三井はちょうど手がすいているから、その手間を代行して、代わりにおごってもらおうという魂胆なのだ。
(なんでやねんな…)
懐が寂しいのはいずこも同じ。
しかし、互いに押し付けあうのも何だか侘しい話なので、とりあえずは自分が少し退くことにした。
(だってやっぱり、三井とメシ食いたいし)
腹が立っても、それに勝るものはない。
『おごったんのはえーけど、らんぷ亭は無理』
これが土屋なりの譲歩。
今月は車検もあるし、出費は最小限に抑えたい。どこかに出かける時、大体車は土屋が出すのだから、そのあたり気遣ってくれてもよさそうなものなのだが。
それでも、これが惚れた弱みというヤツで。
同じ会社なのに、部署が違えばフロアが違う。開発の土屋と違って、三井は営業マンだから、外に出ていることがほとんどだ。少しでも時間があるなら会いたいと、思ってもバチは当たらないだろう。
『なんだよ、おまえもそんなレベルかよ』
けれど、茶化すような嘲るような台詞には、さすがにカチンと来た。
そこで意地悪ゴコロが疼いてしまうのも、三井が相手だからに他ならないのだけれど。
どうせきっと最後に折れるのは自分だ。それなら、ちょっと苛めてもいいじゃないかと思って、今度はこう返す。
『新北京のギョーザ定食やったらおごったるわ』
ここも、近くでは評判がいい店だ。ギョーザ定食は、ギョーザとご飯とスープだけというシンプルなものだが、具だくさんの巨大なギョーザが5個だ。値段もらんぷ亭のハンバーグ定食の6割で、出て来るのも早いしそこそこ旨い。
ただし――もちろんのこと、ギョーザにはたっぷりニンニクが入っている。
普段なら、三井も土屋も好物のひとつである。残業で半端に遅くなって腹が減り、家までもたない時には、駅へ向かう途中に立ち寄ることもある。結構遅くまでやっているし、都心に出る頃には飲み屋しか開いてない時間になるからだ。ビールと一緒にすきっ腹にかき込めば、一日の疲れも少しは癒される気がする。
だが、今はまだ平日の昼間。
土屋は社内の人間に顔をしかめられるだけで済むが、三井は外回りなのだ。
『ギョーザはなぁ…』
やはり、真っ先にそれは思ったらしい。また、力ない返事がやって来た。
モニタの右下を見れば、時刻は11:45。
昼休みは短い。外に出るなら、チャイムが鳴ってすぐに出れるようにしていた方がいい。
ここで折れるか代案を出すべきだと、土屋の勘が告げていた。
『ほな、昼定食にしとくか』
金がないなら、おとなしく会社に戻って来ればいいのだ。社食の昼定食なら、380円で済む。
自分に言い聞かせる意味もこめて、そう書いて送った。
だが、もたらされたのは意外にも意外な言葉で。
『せっかく、久しぶりにおまえと外で昼メシ食えるって思ったのに』
だから、わざわざメールしたのだと。
周りが全員知り合いな社食より、たまにはふたり外で昼メシを食いたい。
三井もそう思ったからこそ、気分よく話に乗って来たのだと。
そんな気持ちが伝わってしまったから。
ほんのささやかな文字の数でも、それを口にしている姿が見えるようで。
ちょっと拗ねた様子とか、ふてくされたフリをしながら、ちらちらとこちらを伺う視線とか。
そんなのを、思い浮かべてしまったらもうダメだ。
――でもやっぱり、カネがないのだけはどうしようもないので。
『ジャスコのマクドやったら、おごったってもええで』
今の財布の中身では、それが精一杯。
それでも、やっぱり、どうしても――なんて思ってしまった。
幸い、これまた近所のスーパーにはファーストフード店も入っている。口が肥えているくせにジャンクなものもイケる口で、そこのメニューは、どれもそれなりに三井の好みだと知っていた。だから、こんな案を出したのだけれど。
さすがにマクドはマズかったろうか、と思いながらも、これ以上あからさまに退くのは癪だ。
その程度には意地もあると考えていた時に、間髪を入れず返されたのでホッとする。
『バリューセット、てりやきチキンのやつが食いてーなー』
しかも、心なしか声が弾んでいる。
どうせセットなら値段は同じなのに、とりあえず申告してみるあたりが三井らしい。
だが、こんなお手軽でもよかったのか、とちょっぴり脱力したのも確か。フクザツな男心というヤツだ。
(でも、たまにはええやんな)
別に今更ムードを気にするような仲でも状況でもないし。
とりあえず、一緒に仲良く食事ができるという、その事実が大事。
『オレ、ベーコンエッグのん言うといて。ポテト半分やるから、サラダ半分ちょーだい』
こういうやりとりをメールでするのも、たまにはいい。
思わず顔が緩みそうになって来るのを、土屋は必死で引き締めた。
あと5分で、正午。
『わかった。じゃあ席取っとく』
『頼む』
最後の短いメールを送信したあと、土屋はメーラーを閉じた。
帰って来たらとりあえず、データは削除しなければ。
「もったいないから、家に転送しとこ」
ぽつりと呟いた言葉は、ここに居ない三井には聞こえない。
もちろん、気を抜けばニヤケそうになる土屋の表情も見えない。
(…ま、このカオぐらいは想像つくかな)
自分が、三井の姿を思い浮かべたように。
土屋の姿を頭に描きながら、ファーストフードの注文カウンタに並んでくれるのだろうか。
そう思って席を立った瞬間に、昼のチャイムが鳴った。
ある晴れた夏の、平和な昼の話。
Das Ende
リーマン土三・おひるごはん小ネタ。
仕事しなさいよ、というツッコミは、むしろ私が甘んじて受けます…。
|