起き抜けに、三井の顔を見た。
それ自体、今まで経験したことはある。しかし、こういうシチュエーションはさすがに初めてのことだったので、土屋は不覚にも一瞬固まってしまった。
「…これ、やる」
玄関先、ドアを開けた目の前に、三井。
ずい、と差し出されたのは、綺麗なラッピングが施されてはいるが、確かコンビニで売っているチョコだ。
「――あ、ああ…おおきに」
吐く息の白さ。
朝焼けの陽を背にして、自転車を走らせて来たのだろうか、心なしか頬が紅い。
何度か改造を加えたこともあるらしい、微妙に着崩した学ランの襟が、オフホワイトのマフラーの隙間から覗いている。黒いダッフルコートが似合って居なさ過ぎて、それでもこの上なく可愛いと思えるあたり、病も硬膏に入るというヤツだ。3つの年の差があるとはいえ、この真直ぐさは羨ましくさえある。一見こまっしゃくれているように思われがちだが、外面に騙されてはいけない。
(照れてくれてんねやったら、嬉しいねんけど)
意外に三井は照れ屋で、我侭な割には素直じゃない。この日にわざわざ土屋にチョコを持って来てくれたということは、自分達の関係がどういうものかということくらいは自覚しているらしい。このわずかに低い位置にある頬や首筋や耳朶も、土屋のために染まってくれているのだとしたら、嬉しい限りなのだけれど。
「じゃ。先、練習行ってっから」
「ちょお待ってーや」
思わず見惚れてしまったが、身を翻す腕を掴むことは忘れない。
ドアを開ける前、手近にあったカーディガンを取った時に時計を見た。
時刻は6時半、今日は土曜日。普通に行けばまだ、体育館は開いてない。というより、土屋だって顔すら洗っていないのだ。どう考えても早すぎる。
「んだよ」
ムッとした風な三井には動じない。こういう時の不機嫌そうな声音は、ただのポーズだ。一瞬ムカついただろうが、真剣に怒っている訳ではない。夏につきあい始めてから半年、それくらいは簡単に読める。
「まだ早いやろ、ちょっと中で待っとって。軽くメシ食うわ」
実際、その程度の余裕は充分にある。ということは、三井はよっぽど早起きして来たのだろう。ひょっとすると朝飯すら食べていないかもしれない。
「待ってろってか?」
「何か用事でもあるん?」
「…別にねーけど、」
やなこった、と言われるより先に、強引に引き入れてドアを閉めた。ムカつきが甦ったのだろうか、睨まれたけれど笑顔を返す。
「コーヒーぐらい淹れたるやん。食うんやったら、おまえの分もメシ作るで?」
実家に居た頃から料理は得意だった。そして、神奈川の大学に通い始めて3年、趣味と実益を兼ねた自炊にもすっかり慣れた。贅沢な食材を使わずとも、それなりの味は保証できる。そのことは三井も知っている。
「食うか?」
「――…」
答えを待たずに問いを重ねれば、ぐーきゅるるる、と腹の鳴る音がした。三井はハッとしたように目を開き、次いで口を尖らせてそっぽを向く。
「な、ほら。一緒に行ったらええやん。どうせ土曜の午前中は自主練やねんし」
春からの入学が決まっている三井たちが、練習に参加しはじめたのは先月から。しかし、そう言われたところで手を抜くタイプでないことも分かっている。伊達に他のヤツらより、三井を長く見ているワケではない。
有望な高校生をスカウトするという監督に連れられて、インターハイを見に行ったのが去年の夏。リーグ入れ替え戦の常連校は、安定したシューターが欲しかった。三井に狙いを定めたのも土屋だが、新主将の特権を利用して、交渉役を買って出たのには驚かれた。
最初はただ「気になる存在」だったのが、選手としてだけでなく、いち個人としても特別な感情を抱くようになっていて。本当は、そんな自分に驚いたのは、誰より自分自身だったのだ。
三井が手に入るなんて、思ってもみなかった。
少なくとも、「恋人」としては。
土屋の方は最初から、運命を感じていた。だが、それが勝手な思い込みだということくらいは、わきまえていたつもりだった。
(せやから、かな)
今でも自信がない。
一緒のコートに立てる時間さえ、そう長くはなくて。
身体を重ねても、その瞬間くらいしか「想われている」という実感が湧かなくて。
いちどそれを言ったら、三井にひどく拗ねられて参った。おかげでようやく少しはホッとしたものの、やっぱり不安なのは仕方がない。
だから、こんな風に尋ねて来てくれたことが嬉しい。
「言っとくけど、たくさん貰ったから『おすそわけ』してやるだけだかンな」
たとえこんな言葉を付け加えられたとしても。
おまえのためじゃない、と念を押されたとしても。
コートを脱いだ三井をリビングに通す。学生向けの割に広いこのマンションは、そこそこ家賃も値が張っている。たまたま管理人がバスケ部のOBで、特別に安く借りさせてもらっているのだ。春からは、三井もここに越して来ることにしたらしい。
「そっか。今年は土曜やから、みんな昨日渡したんやな」
大学だと、同じゼミでも毎日は顔を合わせない。だが、高校生はほとんど毎日クラスメイトと会うものだ。当日が休みなら前日に、というのは、ごく当たり前の発想だろう。
言いながら、ガラスのローテーブルにコーヒーを置き、手早く支度した朝食を運んだ。プレートに乗せたハムエッグとトースト。更にたんぱく質補給のために、レバーペーストを添えてある。
「そーそー。オレなんて人気者だから、すっげぇ貰いすぎちまってさ」
その台詞も、もちろん本当だと知ってはいるけれど。
おすそわけ、などと言いつつ、自分がせっかく貰ったものを他の人間に横流しするような性分ではない。それに三井はこう見えて、甘いものは大好きなのだ。
「…の割には、一個しか余らんかったんや?」
ツッコんでやれば、またムッとした顔をしつつも目が泳ぐ。何かを隠したい時のクセだった。
こんなに分かりやすい面ばかりなら、もっと気は楽なのに。そう考えつつも、意地っ張りの部分すら可愛いと思ってしまうので。
「ほとんど食っちまったんだよ。だって、そんなに甘いもの好きじゃねぇって言ってたじゃん…」
だから気を遣って一個だけにしたのだと、小さく付け加える。
「三井から貰えんねやったら、なんぼでもかまへんけどな。そんなに好きやない、ていうだけで、嫌いなワケやないし」
それも一応は事実。
取り立てて自分から食べたいとは思わないが、疲れている時なんかは結構美味しいと思う。ただ、三井のように無類の甘いもの好きと一緒にされては困る、という程度なのだ。
「そ、か」
本当は、不味くさえなければ何でもいい。三井ほどのこだわりは、土屋にはない。だが、わざとらしく当てこすってやれば、すかさず反論が返って来た。
「うん。三井がわざわざ買うて来てくれてんから、コンビニチョコでも充分嬉しいで」
「だから、買ったワケじゃねぇって!」
それでも、コンビニチョコであることは否定しないらしい。
かと言って、そうだと知らなかった訳でもないようで――それはつまり、やっぱり買ったのは三井で、その場所はコンビニだったと見るべきだろう。
土屋は、三井が甘党だと知っていたから、つい気にして見ていた。だが、そんな理由でもない限り、大抵の男はコンビニでバレンタインのコーナーなんてまじまじとは見ない。ましてや、三井は結構見栄っ張りでもある。「貰えない男」「自分で買おうとしている男」だと勘違いされるのは嫌なはずだ。
だからきっとこれは、三井が買ったものなのだ。
土屋のためにわざわざ買って、こんな朝早くに持って来てくれたのだ。
いつもなら時間ギリギリにしか来ない三井が、土屋の部屋に寄るために早起きまでしたのだろう。
その証拠に、また頬がほんのり紅いし。
何となく、意識的に「それ」から目を逸らしている気がするし。
「それでもええで」
そう考えれば、たとえようのないいとしさが胸を詰まらせる。
だからこんな台詞が、口をついて出る。
静かに繰り出した言葉を、三井はどう思ったのだろうか。忙しなく長い睫毛が瞬く。それは照れているようでもあり、しかし、どこか困惑しているようにも見えた。
(三井…)
何度も高校に偵察には行った。周りの人間を丸め込んで、色々話は聞いた。
けれど、基本的に土屋は三井の生活を知らない。
それでも、それなりにモテるだろうことは容易に想像がつく。
(せめて、同い年とかやったらなぁ)
高校が違っても、大学で一緒にプレーできる時間は長い。その間に少しずつ、距離を詰めて行くこともできる。それなのに三井は高3で、土屋は大学3年だ。たとえ土屋が昔から神奈川に住んでいたとしても、中学高校では入れ違いになる。
もっと一緒に居たい。
同じ場所でプレーもしたい。
(オレの行くチームに追いかけて来てくれ、て言うたら、どんなカオするやろ)
土屋にはすでに、実業団のチームから、いくつかオファーが来ている。まだどこに行くのかさえ決めていないのに、それどころか、正式にチームメイトにすらなっていないのに、こんなことを言うと笑われるだろうか。
(そんなことないやんな?)
ほんの少しプレーしただけでも、相性がいい悪いは分かる。自分なら、きちんと調整すれば、他の誰より三井を上手く使える自信がある。そして三井に上手く使われる自信もある。だがそれを現実のものにするには、時間がなさすぎた。
バスケにはそれほど執着がないはずだったのに、三井というプレーヤーに出会って、その認識は崩れ去ってしまった。大学限りにするはずだったのに、気がつけば「その先」を考えている。三井とプレーをする時間が欲しいと、いつの間にか切に願っている。
今のチームに大きな不満がある訳ではない。
ただ、三井となら違う世界が見れそうな気がするのだ。
三井となら、どこまででも行けそうな気がするのだ。
そのための努力を惜しもうとも思えない。
そしてそれは、プレーヤーとしてだけのことに留まらない。
(けど、まだ今はこんなこと言わん方がええな)
そのくらいは自制ができるつもりだ。三井の気持ちは今、自分の方を向いている。プレーヤーとしても人間としても、これから距離を縮めて行くことくらい、出来ないはずはない。焦る必要はないのだ。
――そう自分に言い聞かせて。
「ほな、帰り晩メシご馳走したるわ。ちょっと寄り道しよや」
駅前に美味いイタメシ屋出来てんで、と言えば、三井は途端に目を輝かせる。
「え、マジ?! いいのかよ?!」
「ああ。オレからは何も用意してへんし。行ってみたかってんけど、ひとりで食うてもしゃーないしな」
そもそも三井は、コンビニチョコくらいでは満足しない。気に入るものを選んでやりたかったが、切り出しそびれていた。まさか三井から貰えると思っていなかったので、考えあぐねていたというのもある。
イタメシ屋とは我ながらベタ過ぎるとも思ったけれど、幸い三井は気にしていないらしい。しかしこんな日に行けば、周りがカップルだらけなのは目に見えていることで。
(ちょっとは、『デート』やて意識してくれるやろか)
虚しい期待かもしれないが、それは追い追い分からせてやればいい。そのためには今は、先へと続く時間を確かなものにしなければならないのだ。
「やりぃ!」
とりあえず今は、色気より食い気だろうか。それでも嬉しそうな三井を見ていると、幸せな気分になる。
(ま、もうじき正式に『後輩』になんねんしな)
しっかり根回しをして、足場を固めて。
三井を迎え入れる態勢を、万全にしていよう。
そんなことを考えて、土屋は静かに笑んだ。
手近にある琥珀色のやわらかな髪を、くしゃくしゃとかき混ぜる。三井は鬱陶しそうに頭を振ったが、抱き寄せればその手を振り払いはしなかった。
◆ ◆
土屋はモテると思っていたのだが、そうではなかったのだろうか。
チョコを貰ったらしい痕跡が、まるで何処にもない。見慣れた部屋の中に視線を巡らせて、三井は考えた。
(嫌いとか言ってても、押し付けるヤツって居るよな、フツーはさ)
そのあたり、三井にも経験があるから分かる。チョコは家に持ち帰れるし、日持ちもするからいい。だが、どれだけ要らないと言っていても、弁当やスポーツドリンクなんかの差し入れをして来るヤツは居る。弁当は何人分も食えないし、いたみも早い。それに、他人に貰ったものが口にあった試しはあまりないから、下手に受け取りたくないのだ。三井と比べて土屋は、愛想も外面もいい。たとえ断ったとしても、強引に押し付けるヤツくらい居そうなものなのに。
ドリンク類についても、我ながらうるさいと思う。別に特殊な好みではないけれど、欲しいタイミングというのがあるのだ。差し入れでもらったものは、飲みたいと思った頃にはぬるくなっていることが多い。しかし、あまり冷たすぎても身体を冷やす。クーラーボックスに入れて、ちょうどよい頃に出してくれる、そんな気遣いが出来るのは、マネージャー以外では土屋くらいのものだ。
(まぁ、こいつが作るメシとかは美味いんだけどなー)
それを考えるに、餌付けされたのかも、と思わなくもない。
まさか自分が、男と付き合うようになるなんて考えてもみなかった。
最初は、プレーヤーとして惹かれているだけだと思っていた。けれど、真剣に告られて、不思議に嫌だとは思えなかったのだ。
自分よりずっと大人なヤツが。
それも、つい目を奪われてしまうほどのプレーをするこいつが。
冷静で、皮肉屋で、意地悪で。
それでも本気で三井と一緒にプレーしたいと言ったこいつが、その同じまなざしで三井が好きだと告げた。
いつもよりずっと切なげな声で。
抱きしめて来る腕に込められた力とか、そのくせかすかに震えていた指先とか、あまりにらしくなくて笑ってしまった。それなのにひどく優しくて、いつもとは違う、静かで熱い瞳に見つめられて。
気がつけば、重ねられた唇に応えている自分が居た。
(しょーがねぇじゃんよ)
本当は、食い物に釣られたワケなんかじゃない。それは自分でも分かってる。
ただ、今まで向けられたこともない強い想いは正直怖かった。何かで紛らせてしまいたいと思うほど、理由の分からない不安に囚われる。
(でもさ)
本当は、そんな自分が嫌なのだ。何をビビってやがる、と蹴りを入れてやりたくなる。
ただでさえ、今の自分達の年頃で3つの年の差は大きい。高校生と大学生では生活も違う。体格も、プレーヤーとしての力量も、男としての器も。
何もかもが届かなくて、届けなくて。
本来なら、多分悔しいとも思わないレベルの差なのだろう。だが、今の自分達は違う。
手を伸ばして来る男が居る。
それはひとりの人間としての三井を求めていて、けれどそれだけではない。
ふとした瞬間に感じる、土屋のまなざし。
コートに立つ三井に向けられるそれは、傍に居るとき肌を合わせているときの、やわらかなやさしさに充ちてはいない。
ここまで上がって来い、と痛いほどに強いる。
三井がそうできることを、信じて疑わない瞳だった。
「――三井?」
ふいに覗き込まれて、心臓が跳ねる。
とりとめなく広がった考えとか、何より今思い出していた「はじめて」の時のことを見られたような気がして、飛び上がりそうになった。
「なっ、何だよっ」
「そろそろ出よか」
言われて時計を見れば、ちょうどいい時間だ。さっさと練習に行かれて、他の誰かにチョコを貰うより先に、渡してしまいたかったのだ。だから早起きして来た。おかげで、朝メシは家で食えなかったが、思いもよらず土屋の相伴にあずかれた。しかも帰りは晩飯まで奢ってくれるらしい。
「あ、ああ」
チャリは置いておかせてもらえばいいだろう。海老で鯛を釣ったような気もするが、それはそれ。バレてしまっているらしいのは悔しいけれど、コンビニでチョコを買った時の精神的プレッシャーを思えば、これくらいの見返りはあって当然だと思うのだ。
(だよな)
こう見えても一応、土屋のコトを思いやっては居るのだから。
そう考えながら立ち上がり、三井はドアに向かう背中を追いかけた。
◇
午前中の自主練のあと、午後からは紅白戦だった。コートサイドでゲームの展開を見ながら、三井の視線は知らず土屋を追う。早くあそこに行きたい、早く追いつきたい、と絶えず心が叫んでいる。
「ちょっと入ってみるか?」
そんな三井の内心を知ってか知らずか、隣で見ていた監督が声をかけて来た。ためらう間もなく、三井は大きく頷きを返す。
たとえ今は敵わなくても、いつか。
そう思うことくらいは許されているはずだ。
「三井」
眇めた目で、土屋がこちらを見る。
こめかみから頬を流れ、首筋を伝う汗。
いつもサラサラの髪は、今は湿って額に貼りついている。
「よろしく頼んます」
どきりとする鼓動に、気づかない振りをして頭を下げた。軽く肩を叩く手は、ほっそりとしていて、それでも大きく力強い。無言の期待と信頼が伝わって来る。そして触れ慣れたそれは、同時に、三井の胸に不思議な力をもたらしてくれる。
やわらかな笑みと。
その奥に隠された酷薄さと。
けれどそれだけではない熱と。
普通なら共存するとは思えないものが、すべて土屋の中にはある。
土屋が自分のことを好きなように、自分は土屋を好きなのかどうか分からない。だが、多分、他の誰かでは駄目だと思う。こんな風に思える相手とは、きっと出逢えない。
それが、分かってしまった。
(それにしても、チョコ貰ってねーのかな…)
わざとそんな軽いことを考えなければ、つい余計な方に意識が行ってしまいそうで。少なくともその程度には、土屋のことが好きなのだ。だから咄嗟に思い出した疑問を、三井は心の中で呟いてみた。
そして、その疑問が解き明かされるのは、その日の帰り際のことだった。
「はい、これは三井君の分ね」
「あっ、ども…スイマセン」
マネージャーは、ご丁寧に全員分のチョコを用意していたらしい。もちろん三井や監督の分もあった。だが何故か、土屋の分だけがないようだ。
(なんで?)
前もって貰っていたのだろうか。そう思いつつも首を捻る。
「なに? どうかした?」
よほど、不思議そうな顔をしていたらしい。応じるように首を傾げたマネージャーに、意を決した三井は小声で訊いた。
「あの、土屋…サンの分って」
そう言ったら、すぐに納得された。三井を引っ張って来たのが土屋だということは、今では皆が知っている。その土屋のことが気になるのは、別に不自然ではないはずだ。
「何かね、本命が出来たから、今年から誰にも貰わないんだって」
内緒だよ、と続けられた言葉に息を呑んだ。
「本命…」
おうむ返しにした単語に、今度は頷きが返る。
「うん。今までは断るの面倒で貰ってたらしいけど、今年はゼミの子とかもぜーんぶシャットアウトらしいよ。でも、そんなこと言って、肝心のコから貰えなかったらどーすんのよね」
そう言って笑われて三井は、笑い返す自分の顔が引きつっているような気がした。耳や頬が急に熱くなる。しかもその時に、背後から当の本人がやって来たのだからたまらない。
「なにコソコソ内緒話しとんねん」
「え…っ」
慌てて振り返った三井をよそに、マネージャーは意地の悪い笑みを浮かべた。
「土屋君の『本命』のハナシ。も・ち・ろ・ん、ちゃんとチョコ貰ったんでしょうね?」
バスケ部の影の実力者と名高い美人マネは、うりうりと土屋の背中を小突く。しかし土屋も負けてはいなかった。全開の笑顔で応える。
「あたりまえやろ」
その瞬間、ちらりと三井に視線を寄越して。
しかも、こんなことまで言い出す始末で。
「三井は知ってるもんなー」
「え、なに、三井君会ったことあるの?」
「…いや、あの」
そこで口ごもったのがマズかった。興味津々という顔をしたマネージャーに、どう返していいか分からない。
だが、さらなる攻撃がやって来る前に、土屋の言葉がすべての思考を奪う。
「しかも今夜は、で・え・とv」
マネージャーも、同じだったようだ。ぱちくりと瞬きをして、そのまま凍り付いてしまった。
「――…」
「…あのね…」
しばらくの沈黙の後、マネージャーはわさとらしく大きな溜息をつく。
「こんなヒトだとは思わなかったわ…ええ、ええ、訊いた私がバカでしたー」
同じく黙り込んでしまった三井も、土屋のノロケに呆れていると思ってくれたらしい。本当のところは、恥ずかしさでいたたまれなかっただけなのだが。それにしても、「クールでドライ」で通っている男のノロケがこんなに破壊力に充ちたものだとは、対象であるはずの三井も知らなかった。
(おまえなー!)
視線で無言の抗議を送ったが、にこやかに黙殺された。肩を掴んで引き寄せられ、耳元で囁かれる。
「嘘ちゃうやろが」
怒った素振りで背を向けたマネージャーには、幸い見られていなかった。
「そう…だけどさ」
ホッと胸を撫で下ろし、とりあえずはそう返すのが精一杯。一応まだ正式の部員ではない。バスケ以外のところで悪目立ちしたくないという三井の気持ちなんて、こいつには分からないのだろう。
(くっそー)
悔しい。
もちろん、理由はそれだけじゃないけれど。
それに、ムカつくのは土屋にだけじゃないけれど。
(あーあ)
それでも好きなのは、一体どういうコトなのだろうか。
そんな自分に何より腹を立てながら、三井は土屋の身体を押し返した。
追いかけて、追いついて、いつか追い越す。
そして、そのあかつきには絶対シメてやる。
三井の心の中に新たな目標が生まれた。
(負けねぇからな!)
無闇に闘志を燃やしてみたりもする。
絶対に、どれだけかかっても「参った」と言わせてみせる。自分だけがこんなに振り回されているなんて、気に食わないのだ。
いつか必ず。
この先、絶対に「おまえには負けた」と思わせてみせる。
だが、その決意こそが実は土屋の思うツボだとか。
本当は、すでに半分達成できているようなものだとか。
そんな肝心なことに、三井はまだ気づいていなかった。
Das Ende
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