|
開演時間が迫って、土屋が焦っているのが分かる。日頃、冷静なヤツらしくない。
「慌てなくたって、先に予告とかあるだろ?」
そう言う三井に、苛立ったような視線が応えた。
「アホ! 映画は客電落ちたらもう始まっとんや」
らしくない土屋の、荒げた声。
ぴりぴりした空気が、三井にも伝わる。
「…まあ、間に合うだろ。何とかよ」
その言葉には、無言で頷きだけが返って来た。さすがにムッとしたのだが、常ならぬ様子に気押されて、突っかかることが出来なかった。
(けど、意外だよなあ)
いま、二人が開始に間に合うべく急いでいるのは、話題のファンタジー映画。およそ土屋には似つかわしくない、不朽の名作と呼ばれる小説が原作だ。
三井も、映画は好きで、前評判だけは知っていた。だが、基本的にアクションものやホラー、SF、サスペンスなんかが守備範囲なのだ。
ファンタジーというと、どうも「女子供のもの」というイメージがある。
土屋は、顔立ちこそ整った和風の美形で、そのくせ髪も瞳も薄茶色をしている。だが、受ける印象にも性格にも、女性的な部分はない。三井同様、細身とはいえ、春からは実業団バスケの選手でもある。
そして、世間でのヤツの評価は、よく言えば「温和なのにクール」、悪く言えば「いつも笑っているのに何を考えているか分からない」というもの。三井も、親しくなるまではその通りだと思っていた。到底、ファンタジー映画が似合うタイプではない。
(そりゃオレも、似合わねぇつっちゃ、似合わねぇんだけどよ)
二人揃って190近い背丈、しかも今は、春から通う建設会社で、バイトがてら現場に通っている。その帰り道だから、身につけているのはツナギの作業着で、おまけにホコリにまみれている自覚もあった。
(今日が初日らしいから、しょうがねっか)
いつもはバイトの後、下宿に帰って着替えてから練習に向かう。ついでにシャワーも浴びるのだが、今日はそういう訳に行かない。
『ナルニア国物語』というのが、子供の頃からの土屋の愛読書。
まるでイメージにそぐわないそれが、この春話題の新作映画として公開される。
恥ずかしいと渋る「相方」を、説得するのはいつもなら三井の役目だ。だが、今回に限っては、土屋は公開が決まった時から「何が何でも初日に見に行くぞ」と三井を根気強く説得し続けた。
窓口では、土屋がさっと入場料を出した。よほど急いでいたのだろう、ショッピングセンターの中にある映画館なのだが、建物の中に入ったあたりで、すでに財布を握り締めていた。釣銭もなしにぴったり料金を払うと、チケットをひっ掴み、三井の方を振り向きもせず扉を押し開ける。
時計を見れば、客電の落ちる2分前。やはりどうにか間に合った。
館内を見渡すと、それなりに混んでいたけれど、なぜか真ん中のあたりだけがぽっかりと空いている。予約席か何かだろうか。そう言えば、ちょうどスクリーンが見やすそうな場所だ。
(ん?)
こういうタイプの映画館は、シネコンと呼ばれる。立ち見をなるべく出さないために、ほとんどが指定席だ。だが、土屋に払わせてしまったので、三井は座席番号を見ていない。
「あ、おい。ちょっと」
前の方はすでに、ほぼ満席。しかし土屋は、それを気にした風もなく、ずんずんと歩いて行く。
そして辿り着いた場所は、そのぽっかりと空いているど真ん中の席だった。
(え…)
周囲の視線を一斉に浴びて、どかりと腰を降ろす。よくよく見てみれば、椅子はまるで一流ホテルのロビーのように、革張りでふかふかのソファだった。
「うわ、すげぇ!」
つい、驚きの声を上げてしまったとして、誰が三井を責められるだろうか。
あの土屋でさえ、ポーカーフェイスをだらしなく崩して、得意げな笑みを浮かべている。
「な、これって割引とかあんのか?」
思わず渡されたチケットの半券を見れば、案の定というべきか、普通の映画料金よりもやや高めの値段設定になっていた。『エグゼクティブシート』と呼ばれるその席には、どうやらソフトドリンクまでついているらしい。「引換券」という文字が目に入った。
「いや」
土屋は、あっさりと首を横に振る。今更何を言っているのだ、と言いたげな視線を寄越しながら。
「…って、おまえ」
ということは、ここに書かれている通りの正規料金を払っているということだ。
椅子に座って改めてを見上げると、さっき予想した通り、おそらく会館中でいちばん見やすい場所だろうことが分かる。
二人で4000円、土日は5000円。
まるで溺れてしまいそうなほどに、深くゆったりと身体を抱きとめるソファ。
絶妙の角度で設えられてあるおかげで、障害物は何ひとつ視界に入らず、眼前に広がるスクリーンの迫力。
――正真正銘の「特等席」というヤツだ。
「ナルニアは、いちばんええ席で見たかったんや。ちょっとぐらい値ぇ張ってもえぇやろ」
ご満悦、といわんばかりの土屋なんて、今まで見たこともない。うんうん、と嬉しそうに頷いて、切れ長の瞳をさらに細める。
(あーあー幸せなカオしちゃってまぁ…)
今日に至るまでに、どれほど原作が素晴らしいかを懇々と話して聞かされた。だが、三井は活字は苦手だったので、貸してもらったものをまだ読んでいない。
(いや…その方が映画に先入観なくていいじゃん)
それは言い訳でもあるのだが、三井的には本音でもある。特に、原作の評価が高い場合、見る者は大抵それを念頭に置いている。良くも悪くも、原作を基準として映画を見てしまうのだ。
(そんなにいい話なんだったら、なおさら、まっさらの状態で見てぇじゃん)
三井にも、こだわりはある。自分のなりの楽しみ方というのを譲りたくない部分もあった。
「まぁ、確かにこういうトコで見んのって気分いいもんな」
それは分かる。
だが、周囲の視線をいまだに集めっぱなしであることも、ひしひしと感じていた。
集めっぱなしというか、集めまくりというか、釘づけというか。
親子連れやカップルの多い、土曜の夜のシネコンで。
標準以上にガタイのでかい(そして一応、ルックスも人並み以上にはいいはずの)作業着をまとったホコリまみれの男が二人、特別席とも言うべきシートに陣取っている。
満席に近い映画館で、この特設席に、他の客はなかった。
しかも、こともあろうに上映タイトルは、世界に名だたるファンタジーの名作だ。
注目されないはずがない。
いや、三井より遥かに聡くて敏感な土屋のことだ。気づいていないはずはないのだが、恐らく綺麗に無視を決め込むつもりだろう。
(ったくよ)
チ、と舌打ちしてはみたものの、隣の土屋のニヤケっぷりを見ていると、しょうがないなという気分にもなる。
ただ、いつも苛められている分、せめて一矢を報いてやろうと思ったのだ。
しかし、口を開いた瞬間、残念なことに上映開始のブザーが鳴った。
◆
エンドロールが流れ始め、灯りがついて隣を見て、死ぬほど驚いた。
(ええっ?!)
土屋が泣いてる。
いや、正確には目を潤ませているだけなのだが、傍目にも明らかなほど、鼻の頭も赤かった。
しょうゆ顔なパーツのくせに、欧米人と見まがうほど土屋は色素が薄い。そんなヤツが鼻を赤くしていれば、それだけで目立つ。
ただでさえ、これだけ目立っているというのに。
(おい、頼むよー)
カンベンしてくれ、と内心でため息をついた。女に泣かれるのでも、苦手この上ないのだ。チームメイトで親友とはいえ、何が哀しくて公衆の面前で男にぐすぐすされなければならないのか。
そう思ってはみたが、放って帰る訳にも行かず。
作業着のポケットを探り、汚れてないハンカチを見つけると、無言でそれを手渡した。
「さんきゅ」
心なしか、声もかすかに震えている。三井はかなり涙もろい方で、立場が逆になったことなら何度かある。
だが、相手は土屋なのだ。いつも不敵に笑っているような。三井よりよほど冷静で、頭の回転も早くて、少々のことでは動じないような。
泣くようなシーンはなかったと思うのだが、長年の思い入れがあると違うのだろう。それは、三井にも分かる。
「二作目以降も映画やんだよな? そん時も見に来ようぜ」
なかば土屋に言い聞かせるように、残り半分は自分の本音で、そう言って土屋の肩をぽんぽんと叩いた。土屋は、小さく頷きで答える。さらさらの前髪が、オレンジ色の灯りを受けて、金にきらめいていた。
こいつにも、こんな面があるのだ。そう思うと、何となく親近感も湧く。他のヤツよりは土屋のことを知っているという自負はあるが、それでもまだ、こうして新しい一面を目にすれば、新鮮だとも思う。
何の因果か運命の悪戯か、こともあろうに同性で、チームメイトで友達で、進路まで同じで。単なる親友という言葉で括れないだろう相手と、いつの間にやら(というか、相手のたくらみにハマって自分の気持ちを自覚させられる形で)「そういう仲」になってしまった。
知り合って8年、ツルむようになって4年。
それでもまだ知らないところを見つけるというのは、ささやかながらも嬉しいようなくすぐったいような感動がある。
(いっつもこうだったらいいのに…)
と、ちょっとばかり思ってしまったのは内緒。
いつも、口が達者なこの男に、三井はさんざ苛められている。特別な存在だという想いは嘘ではないが、時々、本気でぶん殴りたくなるのも事実だった。
(そりゃまぁな)
そういうところもひっくるめて、土屋だと思う。
そんなヤツがこんな風に、しおらしいと調子が狂うとさえ思う。
が、しかし。
しかし、だ。
「そろそろ出ようぜ」
うるうるの瞳で席を立った三井を見上げながらも、首を横に振られたりすると。
さすがにいい加減、ウザくなって来るもので。
「…あのなあ」
呆れた顔で立ち上がり、三井は唇をへの字に曲げる。だが、土屋ももちろんここでは退かない。
「エンドロール終わるまでが映画やろが」
泣きそうな顔をしながらも、不機嫌になったのが分かった。こんなあからさまな表情も、他ではあまり見せないものだ。
(けどよ)
確かに、土屋の言葉が正しい。
映画は、最後に配給会社のロゴが出て、幕が閉まってはじめて「完結」なのだ。しかし、現に周りの客はほとんど、がやがやと席を立ち始めていた。
「座っとき」
作業着のズボンを軽く引っ張られ、仕方なくもう一度座り直す。その拍子に、ふかふかのソファのような椅子は、ばふん、と空気を吐き出した。
「掃除来るまで、もうちょい時間あるし。余韻、味おうてもええやろ」
馴染みのシネコンは、最終回の上映が済んでからも、清掃開始まで少しの間がある。それは知っているけれど、三井としては、一刻も早く、この場から逃げ出してしまいたかったのだ。
(よっぽど感動したんだろけどな…)
三井も、予想以上の面白さにワクワクしたくちだ。ファンタジーといって侮ってはいけない。それはしみじみ実感したけれど、それとこれとは話が別だ。
そう言おうと口を開きかけたのだが。
「この席、見やすいし座り心地もええやろ」
「ああ…そりゃ、まぁ」
見事なタイミングで出端をくじかれた。このあたり、「たくらみ系」と一部でひそかに囁かれている、土屋の土屋たるゆえんだろうか。
座り心地は最高。自宅のソファでも映画館の普通の席でも、こんなに見ごたえはない。
(でも、「居心地」がいいワケじゃねぇぞっ)
どれだけ他の客の視線が痛かったと思っているのだ。
しかし、そう切り返してやろうとした台詞も、続く言葉で遮られた。
「今、混んでるやん。外出る方がうっといで」
言いながら、また腰を浮かしかけた三井をぐいと引っ張る。
「おい、」
「オレは別に、人目とか気にせぇへんけど?」
にっこり笑った瞳には、涙はどこにも見当たらなかった。
いつもの意地の悪い笑みが、楽しげな光をたたえてこちらを見ている。
「――…」
慌てて外に出る方が、他の客の視線をふたたび浴びるだろうと言いたいのだ。そしてそれを分かっていて、土屋はのんびりと特等席 に背を預けている。
(くっそー!)
気を揉んで損した。
それが正直な気持ち。
三井も大きく息をつき、椅子の上でうーんと伸びをする。こうなったら、この特別感をしっかり味わわなければもったいない。
「なぁ…せやけどアスラン、カッコええよなぁ…」
ややあって、ぼそり、と落ちる呟き。
ざわめきは次第に遠のいて、館内清掃の時間が迫っていることを告げている。
「え、あ…ああ。アスランな! いいよな!」
そんななか、ナルニア建国の王と称される獅子の名を、土屋は口にした。
本国イギリスでは、キリストをイメージしたキャラクターだとも言われているらしいが、宗教とは縁のない三井にはピンと来なかった。土屋もそうだろう。ただもしかすると、かつてはこのうつくしくも雄々しい獅子に憧れでもしていたのかもしれない。
しかし、初めて「かれ」を見た三井の印象は、また少し違ったものだった。
(なんかさ)
ふとした瞬間、金にも見えるたてがみが、まるでこいつのようだと思った。
コートに立ち、ボールを追うその時。
きつく敵を見据える、鋭い視線と。
しなやかに延びた腕、弾む身体、彼方を見はるかすようにもたげられた頭。
バカバカしいたとえかもしれない。鼻で笑われるかもしれない。そう思ったから、言葉にはしなかったけれど。
「なんや、おまえみたいやんなぁ」
「…え?」
だから、同じ言葉を相手がこぼしたことには、ひどく驚いた。
「初めて会うた時から、思とったけど」
「――…」
「バスケしてるおまえって、そらもうホンマにカッコええもんな…」
ガラじゃねぇよ、と言おうとしてやめた。
土屋のまなざしは、真剣そのものだったからだ。
「…バスケしてる時だけかよ」
思わずふてくされた口調になってしまったのは、仕方がない。くすりと笑う土屋はやはり楽しそうで、けれど、その言葉に嘘はないのだと、少なくとも三井には感じられた。
「つーか、都合のいい時だけ持ち上げんなっつーの!」
「なんや、バレたか」
「バレバレだろ!」
たとえ、こんなやりとりを交わしたとしても。
やわらぐ瞳の彩は、自分にしか見せないのだと知っているから。
「…そりゃおまえだろーがよ…」
小さく、あえて聞こえないほどの声で呟いたのを、聞き咎められても。
「えっっ! なに三井? いま何かゆーた?!」
わざとらしく聞き返して来るのは、さっくり無視。
「なぁ、みついー」
「知らねぇょ、気のせいじゃね?」
多分こいつにはきっと、悟られてしまっているから。
「なぁ、て」
館内清掃の係が、扉を開けた気配がした。だが、そんなのは知らぬ素振りで、土屋は肩にしなだれかかる。このまま放っておいたら、掃除が始まってもここでベタベタして来るかもしれない。そう思ったから、三井は半ばヤケクソで、土屋の髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。
「またここで見てぇよな、つったの!」
頭ごと引き寄せて、耳元で怒鳴る。土屋は大仰に顔をしかめたが、こっちが無視してやる番だ。
「あーもう…乱暴やねんから三井はー」
ぶつぶつぼやく土屋を尻目に、今度こそ席を立つ。けれどとりあえずのところは、譲歩もした。
「ほら、もう掃除始まるって! 行くぞ!」
そう言って、手を差し出してみれば。
土屋は、にこりと嬉しそうに目を眇めて。
握られた手は、振り解かずにおいた。
そうしてそのまま、誰とも目を合わせないようにして、シネコンの入ったショッピングセンターを後にする。
ちくちく痛い視線も、今だけは気づかないのだと自分に必死で言い聞かせて。
知り合いに合わないことだけを、心の中で祈り続けて。
◆
本当は、土屋がそこの会員に登録している、いわば常連であるとか。
ポイントが溜まれば割引価格になるとそそのかされ、それからは他の映画も見にふたりで通うことになるとか。
しかし結局、エグゼクティブシートは対象外だということを、満了してから知らされて三井が拗ねるとか。
――そして、なにもかもが、実は土屋のたくらみ通りに運んだ出来事だったとか。
三井が知るのは、まだずっと先のこと。
それはまた、別の話である。
Das Ende
映画館に入ってから「いちばんいい席で〜」の台詞までの部分は、ほぼ実話です。
私はまだ映画は見てないのですが、初日に見に行ったという知人の日記に
「若い作業服姿の男性二人が、なんとエグゼクティブシートに!」みたいなことが書いてあって、
ついつい脳内土三変換してしまいました…。わはは、すみません〜
タイトルは某有名マンガのアレです(笑)。
いつもは三井が泣くので、今回はあえて土屋で。
確かにナルニアっていうイメージじゃないけど(笑)。
|