*** CHRONOS ***


 カーテンコールが終わって、客電がついても、三井はまだ鼻をぐすぐすいわせていた。
 まぁ、周りも皆、似たようなものだからそれはそれでいいのだが、この後の展開が何となく予測できるだけに、土屋はちょっとばかり心の中で溜息をついた。

「なぁ」
 会場を出て、駅に向かう道すがら。
 まだ潤んだ瞳で軽く見上げられ、どきりとしたけれど。
「ん?」
 平静を装って返せば、三井は少し不服そうだった。
「おまえは感動ってしねぇの?」
「いや、そんなことないで?」
 それは本当。
 今年初めてのデートは、珍しく劇場だった。
 今まで、こんな場にふたりで出掛けたことはない。
 最初は映画にでも行こうと思っていたのだが、たまたま知り合いのSF作家からチケットをもらったのだ。
(原作とは結構ちごてたけどな)
 その作家が書いた小説が、原作となった舞台。極力それに忠実に展開してはいたが、劇団の脚本家もSFが好きなのだそうで、独自の解釈を加えたエピソードがいくつか付け加えられていた。だが、それでも物語本来の味を損なうことはない。原作を愛読していた土屋にも、満足行く出来だった。
「でもなんか…しれっとしてるしよ…」
 おまえはいつもそうだけどさ、と、小さく呟くように。
「そんなわけないやん。知ってるやろ?」
 土屋のポーカーフェイスは、三井の前では効果がない。そんなこと、誰よりもよく知っているのは三井なのに。
 単に、先に原作を読んで結末を知っていたから。だから三井ほどには、新鮮な感動がないだけの話。
 それに土屋はもともと、涙もろい方ではない。確かに会場には泣いている男も沢山居たけれど、全員が全員、ボロ泣きするほどではない。感動したからと言って、必ずしも泣かなければならないという道理はないだろう。
(充分、おもろかったし)
 普段、演劇なんてものには興味はない。そんな土屋ですら、我を忘れて見入ったほどだ。
 そう説明すれば、どうにか納得したようだった。だが、それでもどことなく、まだ物言いたげに見えるのは何故だろう。
(原作読んでても、新鮮な感動おぼえるヤツはようけおるやろけどな…)
 もちろん、それだけの説得力がある物語だった。
 ただ、土屋の場合は、少しばかり事情が違うのだ。

 電車を降りて、家へと向かう。
 今年は、大晦日の夜から三井の部屋で過ごして、そのまま居座ってしまった。土屋が実家から送られて来たおせちを持ち込むと、普段ならぶつぶつ文句を言う三井も、意外にあっさりと引き下がった。
 まったくのオフは三が日のみで、あっという間に過ぎた。明日からは、部の練習に参加しなければならない。
 三日目の今日は、昼間、三井の実家に挨拶がてら顔を出した。明日はふたりで大阪に戻ったついでに、土屋の実家に三井を連れて行く。三井はこの春から大阪の営業所に転勤が決まっていて、それを機に、土屋の部屋で一緒に暮らすことになっていた。それぞれ名義の違う会社に勤めてはいるものの、親会社が同じでバスケ部も合同である。だから、大学時代からの仲は、一年の遠距離恋愛を経ても途切れず続いていた。
 互いの親に仲を暴露した時、それはそれは大変な騒ぎだった。だが、結局なかば強引に押し切って、今に至っている。どちらも母親は割に寛大なのだが、やはり父親はいまだ完全には容認していないらしい。
(それでも、「黙認」にまではどうにかこぎつけたもんな)
 ここに至るまでの道のりは、決して平坦ではなかった。
 だが、三井が傍に居たから、ふたりだったからここまで来れた。
「…せやんなぁ」
「なに?」
 ぼそりとこぼした言葉を、聞き咎められた。だが、土屋はそれには応えず、静かに三井の肩を引き寄せる。
「なんや、寒ない?」
「べつに」
 そう言いながらも、わざとらしく身体をくっつける土屋を拒もうとはしていない。素っ気ない口調を作ってはいるけれど、これが三井の精一杯だと知っているから。

「な。さっき、何や言いたそうやったやん」
 周りには人影もなくて、ここならちゃんと話が出来る。そう思ったから、電車の中ではずっと黙っていたのだ。会場から駅までの道なんて、大半はあの舞台を見た帰りの客だ。下手に突っ込んだ話をすれば、妙な連中を引き寄せないとは限らない。原作小説にも、劇団にも、かなりコアで濃いマニアなファンがついているという噂だ。
「んー、いや…つまんねぇことなんだけど…あれって、アレで終わりなんだよな?」
 それを聞いて、土屋には三井の言いたいことが分かった。
(ああ、それか)
 ラストはハッピーエンド。
 そう話して連れて行ったのだが、どうも三井には納得行かないらしい。
「てことは?」
 それでもあえて、三井の言葉を聞きたい。そう思って続きを促す。
「なんかさ…彼女はあれで助かったってのは分かったんだけど、それで結局主人公とは離れ離れなんだろ?」
 やはり、そういうコトらしい。
 土屋も、初めて原作を読んだ時に同じことを思ったのだ。

 物語のおおまかなストーリーはこうだ。

 主人公の勤める会社では、タイムマシンを開発している。だがその研究のさなか、主人公は片想いの女性を交通事故で亡くしてしまう。まだ想いを告げることもできなかったかれは、彼女を救おうと、未完成な、しかも致命的な欠陥を持つタイムマシンに乗って過去へと旅立つのだ。
 とはいえ、「君はこの後事故で死ぬ」と告げられても、そんな奇妙な話を彼女が信じるはずもない。
 それだけではなく、他にも多くの障壁に立ち塞がられ、最初の過去への旅は失敗に終わる。
 けれど、かれは諦めない。
 タイムマシンの欠陥ゆえに、過去への旅を続ければ続けるほど自分の身に危険が迫るということを知ってもなお、諦めることはなかった。
 何度かの危険な旅ののち、ようやく、彼女はかれを、その告げられた気持ちを信じることになる。
 そして、最後に彼女が救われたことは、ふたりを見守っていた者たちと、観衆の知るところとなる。

 しかし、そのためかれは自分の身を犠牲にした形となるのだ。
 おそらく彼女とは二度と出会うことがないだろうと、予測される結末。

 そのことが、三井にはどうにもしっくり来ないらしい。
 それは、土屋にも分かる。

「うーん…まぁな…」
「おまえさ、作者のヒトと知り合いなんだろ? なんか聞いてねーの?」
 そんなことまで言い出す始末だ。
 確かに、世に出ている作品の中には、いわゆる「大人の事情」というヤツで、作者の当初の構想通りに発表できなかったものもある。そして、不思議なことに三井の勘は、この件に関しては外れてはいなかった。
(けど、バラされへんよなぁ…)
 土屋が知っているこの話には、まだ続きがあった。
 もちろんそれは、その作者も望んだ通り「完全無欠のハッピーエンド」なのである。
(でもなぁ)
 それを何故、土屋が知っているか、というところに問題があるのだ。
「なぁなぁ」
 無言の土屋を何と思ったのか、三井は肘で脇腹を小突いて来る。
 こんな反応をする時、土屋は何かを隠している、と気づいたのかもしれない。
(けどなぁ…あれは一応、社外秘やし…)
 どこまで話してよくて、どこからがダメなのか。
 それを上手いこと頭の中で切り分けなければ、大変なことになる。

 というのも、土屋の勤める会社は大手重機メーカーの子会社で、その研究開発を請け負っている。
 しかし、土屋の配属されている開発三課というのは、表立っては公表されていないが、実を言うと、タイムマシンを開発している部署である。

 そう、件の物語に出て来る会社と同じ。
 いや――本当のことを言うと、元々土屋の会社がその物語に出て来る会社のモデルなのだ。

(まさか、ほんまに書いてまうとは思わんかったし)
 知り合いのSF作家に、たまたま酒の席で面白いネタがあると語ってしまった。
 もちろん、話したのはほんの断片だけ。その作家が「ここから何かひらめきそうだ」と言ったので「使ってもいいですよ」と冗談交じりに返した。
 まさかそれをもとに作品を書いて、それがこんな風に舞台化までされてしまうとは、土屋にとっても青天の霹靂だった。
(まぁ、全然違う話になってるけど)
 舞台の脚本が、原作を上手く脚色してあったように。
 原作の小説も、土屋の話からひらめいたエピソードをもとに、上手い具合にドラマとしてまとめ上げている。
 わずかの部分しか話さなかったのに、足りない部分を想像できちんと補って、「現実」とは違った、そして当然ながら「現実」より面白い物語として成立しているから、そこはやはり才能なのだろう。

 だが、それをすべて暴露してしまうことはできない。
 何故ならば、その話の主人公にあたる人物こそが、土屋自身であるからだ。
 しかもこの場合、救われたヒロインにあたるのは、誰あろう三井である。

(記憶操作は上手いこと行ってるみたいやけど)
 本来なら、歴史を変えてしまった場合は、なるべく他に影響が出ないように、関わった人間の記憶をすべて消してしまうことになっている。そして、その慣例というか決まりごとに従って、「それ」に関する三井の記憶は、ちゃんと消されている。
(オレのことは覚えてへんはずや)
 交通事故で死ぬはずだった三井を、不完全なタイムマシンで土屋は過去に救いに行った。
 その部分の記憶はないはずだから、三井にとって土屋は、普通に大学時代からのチームメイトでしかない。
 それから想いを告げて、今のような関係になったことも、今の会社に入ってタイムマシンの開発を始めたことも、土屋が三井を助けたこととは、何のかかわりもないはずなのだ。

 本当にごくわずかのことを語っただけなのに、作家はさすがと言うべきか、土屋の想いを汲み取って、そこだけはそのままに、他はちゃんとオリジナルなストーリーを作り出している。タイムマシンの機能も、もちろん作品に出て来たものとは違う。だから三井に話したところで、決して思い出したりはしないはずなのだ。

 けれど。
 ようやく手に入れた幸せを離したくなくて、臆病になるのは仕方のないことで。
 
「なに黙ってんだよ?」
 三井が不思議そうに顔を覗き込んで来る。
 こんな些細な仕草さえ、いとしくてしょうがないのに。
「やっぱ、企業秘密」
「えー」
 何だよソレ!とぶーたれられるのは、分かっているけれど。
 やはり、どうしてもすべてを話すことは出来そうにない。
(でもな)
 ただ、それで三井の心が離れていくとは思わない。
 だから、ほんの少しだけ秘密を共有するつもりで、こんな風に告げた。

「ほんまはちゃんと、ハッピーエンドやねんで。でもな、実はあれモデルがあって、そのモデルのヤツと『ラストまでは書かへん』て約束で小説にしたらしいわ」
 口から出任せもいいところだ。だが、まるっきり嘘という訳でもない。
 もしかしたらそのひとは、すべてを気づいていたのかもしれないと、後から作品集を読んで思ったのだ。
 その話には関係ないのだが、同じ本に収められている、同じタイムマシンが出て来る別の物語で、土屋をモデルにしたとおぼしき研究員が居る。そしてそれが、今回の話と同じように、好きな相手のために不完全なタイムマシンを使って過去へと遡るのだ。
(それに、あの後に続く話が実はある、てのも嘘やないしな)
 何を思って、そこまで描ききっていないのかは知らない。ただ、土屋のことでなく小説になったストーリーの方にも「その先にどこかで主人公は想い人と再会したかもしれない」という描写が、実は存在するのだ。
 何度も読み返さなければ、軽く読み飛ばしてしまうかもしれない部分だ。
 だがそれも、実際に土屋がタイムマシンの開発に関わっているからこそ思いついたことで、作者に確かめてみたら、他に指摘した人間は居なかったという。他にも気づいた者が居たかもしれないが、それは気づいた者だけのお楽しみ、ということにしていて欲しいと請われた。
(ま、そらそうやろ)
 コアな読者だけの、密かな楽しみ。
 土屋も一応はそれなりにディープなSFファンなので、気持ちはよく分かる。
(二重の意味で企業秘密やなぁ)
 タイムマシンの開発に関わっているというのは、そのひとにも内緒。
 ただ、どうも薄々は感づかれているらしい、という気はする。
(ま、単にそう思た方がおもろいからかもしれへんけどな)
 半分冗談だけれど、そう思った方が何となく楽しい。
 そういう考え方を、その作家はするのだ。
 そしてそれは取りも直さず土屋と同じで、だからこそ、親子ほど年が違うのに「飲み友達」たりえるのだと言えるかもしれない。

「で、ほんとにハッピーエンドなワケ?」
 声をひそめた土屋に、合わせでもしたのだろうか。
 妙にこそこそとした様子で、三井は訊いて来る。
「ん。もちろん」
 三井についた嘘の筋書きで行けば、そのモデルは一応、三井と自分になるのだから。
 ハッピーエンドでなくて何だ、と本当は言ってやりたいけれど。

 だが、そこで話を終わらせようとした土屋に、思いもかけぬ攻撃がやって来た。
 三井がぐいと土屋の腕を取り、身を離そうとした土屋を引き戻したのだ。
「だったらいーけどよ」
「大丈夫やて」
 嬉しさに顔がニヤケそうになる。それでついうっかり口を滑らしそうになるのを、必死で堪える。
 
 しかし、それで終わりだと思ったのは甘かった。
 ごく稀に――いや、本当は結構頻繁に、三井は土屋の予想を越えた言動をやらかしてくれる。

「ま、一応信じといてやるよ」
 そう言って、更に顔を近寄せて来た。
「…え…」
「おまえのおかげで、今オレはこうしてられるんだし」
「な、三井…?」

 今一体、かれは何と言ったのか。

(もしかして…覚えて…?)
 土屋が三井を助けたことを。
 覚えていたのか、もしくは思い出したのか。
 何らかのきっかけで記憶操作が効力をなくしたとか、それとも最初から効いていなかったとか。
(で、もしかして、それで?)
 その恩を感じたから、こうして傍に居てくれるのだろうか。
 本当は土屋のことを大して好きでもないのに――自分の命の恩人だという気持ちから。

 そんなことを、ふと思ったけれど。

 唇が、軽く触れてすぐに離れた。
 かすかな声で、こんな言葉を耳元に落として。

「おまえでよかった、って思ってるぜ」
「――三井、」
 伸びて来た手が、目をみはる土屋の前髪を小さく乱す。
「他の誰かだったら、こんなことしねぇよ」
 それだけを告げて、腕をほどいた。その瞳の奥には、深い深い三井の想いが見える。

 離れようとした三井を、今度は土屋が引き戻す番だった。
 逃れてゆく手首を、とっさに捕まえる。
「三井、おまえ」
「な、おまえもあんな気持ちだった?」
 それは恐らく、舞台の主人公のことを言っている。

 信じてもらえなくとも、彼女を救いたい。
 たとえ想いが通じなくとも、ただ伝えられればそれでいい。
 そう思って、かれは何度も過去へと飛んだ。 

(おんなじや)
 どんなことをしてでも救いたい、それはまるで同じ想いで。
 言葉にはしていなかったはずのそれは、ちゃんと伝わっていた。
 その物語を書いたひとにも、舞台を作ったひとたちにも。
 ――そして多分、三井にも。

 当たり前やろ、と言いたいけれど言えなかった。
 認めてしまえば、すべてを話さざるを得なくなる。
 まだ、それは早い。
 いつか時が来たら、三井には話したいと思っていた。けれど、今はまだその時ではないと思う。

 黙り込んでしまった土屋は、それでも手を離せない。
 ただひとつ、三井と触れ合った指先が、熱を持っている。

 離しては、いけない。
 離したくない。

 その言葉だけが、土屋の胸の中で何度も木霊して。
 つよく引いても、抵抗はなかった。抱きしめた腕のなか、三井はやわらかく笑ってこちらを見上げて来る。
「ハッピーエンド、なんだろ?」
 たとえどんな真実を告げられても、土屋を信じていると。
 その瞳に、その表情に、教えられた気がする。
「…三井次第かな…」
 不揃いな褐色の髪をそっと梳き上げれば、気持ちよさそうに目を細めるいとしいひとがいて。
「じゃあ、確定だ」
 首に回された腕が、軽く力を込めた。引き寄せられるままに土屋は、もう一度その唇に唇を重ねる。

「企業秘密、そのうち教えろよ」
 興味津々の声音で囁かれた言葉には、ニヤリと笑って返したけれど。
「それは、約束できひんなぁ」
 こっちも研究者生命かかってるし、などとウソくさい台詞を続けてみせれば、三井は大仰に顔をしかめた。
 それを抑え込むように、さらにキス。

 三度目のそれは、いつもより深く長くて。
 かすかな抵抗を諦めた三井が、やがて土屋の腕に身を預けきるまで。  
 甘い吐息が白く、静かに闇へと溶けた。

 ほんとうの「秘密」は。
 それでもふたりだけが知っている。

 時の向こう側、ひそやかに眠っているそれを。
 けれどあるいは、もしかしたら――運命の神もまた。
 
 
                                      Das Ende
   

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