日曜の夜、21:30すぎ。別れ際に大喧嘩をした。
(…ったく、なんだよ…)
走り去ってゆく新幹線を見送って、三井は悔しさに唇を噛んだ。
理由なんて、覚えてない。多分些細なできごと。なのにあいつも妙にムキになっていた気がする。煽られるように――というか、売り言葉に買い言葉というヤツで、ついついひどい喧嘩にまで発展してしまったのだ。
「あー、くそ」
久しぶりに会ったのに、その態度はどうだ。
これでも一応、遠距離なんとかというヤツで、3年越しのつきあいである。
おととい、ようやく同じ企業の内定が出て、来年の春からは一緒に暮らそうだとか言っている仲なのに。
(あいつ、やっぱ時々ワケわかんねぇ…)
知り合ったのはバスケがらみ。だが、大学は大阪と東京で、遠く隔たっている。それが、どういうワケだかヒトに言えない仲になり、いつの間にか丸め込まれるように、「将来の約束」までさせられてしまっていた。
正直、不本意だという気持ちもなくはない。
いや、別にあいつのことが嫌いなワケではないけれど。
(…つーか、それ以前に男同士だろが)
そんなことすら忘れるほど、自然にあいつは三井の心に入り込んで来た。
一緒にバスケをしたのは数えるほどだが、来年から同じチームでプレーできることを、嬉しくも思っている。
好きか、と言われればもちろん答えはイエス。
だが、流されたのではない、と断言できる自信もなかった。
在来線を乗り継いで、とぼとぼ下宿に帰る。
とりあえずさっぱりしようと風呂に入っても、気分は晴れなかった。
(次、会うのっていつだっけ…)
壁に掛けたカレンダーに目をやりそうになり、慌てて視線を戻した。ムカついているはずなのに、そんなことを気にしてしまう自分が、あいつのこと以上にムカつく。
(さっさと謝っちまえよ)
そんな考えが、頭をよぎらないでもないのだ。だが、何がどう悪かったのか、そもそも自分が悪かったのか、何より喧嘩の原因さえ思い出せない。一方的に頭を下げるなんて、そんなことができるはずはない。
「もー、とっとと寝よ」
ウダウダ考えていたって仕方ない。明日からまた一週間学校がある。講義はもう毎日はなかったが、もちろん練習はあるのだ。あまり遅くまで起きていたら、寝過ごしてしまうかもしれない。月曜の朝というのは、それでなくともダルい。
そう考えて、ベッドに潜り込んだ。
同時に、携帯からメールの着信音が鳴る。
(ん?)
反射的に手を伸ばして、画面を開いた。そこに表示されていたのは、見慣れたヤツの名前だった。
「ったく」
ムカつきは収まってなかったが、それでも開けたのには理由がある。
時計を見れば時刻は23:58。まだ家には着いてないはずだ。
(なんかあったのか?)
あいつは宵っ張りで、メールが夜中に来ることなんてしょっちゅうだ。いつもは、家に帰ってから「着いた」と連絡がある。新大阪からの乗り継ぎは、確か最終電車だと言っていたし、終電はラッシュなみに混むとも聞いた。道中で呑気にメールを打つ余裕なんて、そうそうないのではないだろうか。
ということは、もしかしたら何か、常ならぬ事態が起こっているのではないか。
それとも、新幹線が遅れて、どう転んでも終電を逃してしまいそうなことが確定したとか。
(なにやってんだよ)
どの推測が正しいかは知らない。だが、いつもと何かが違うのは確かだ。
そう思って、メールの中身を開いた。
そこに書かれていた文字は、ごくごくわずか。
『さっきはごめん』
「…はぁ?」
思わず、三井が気の抜けた声を出してしまうくらいの短さ。
(や、そりゃまぁ…な)
謝られたこと自体は、悪くないと思う。先を越されてしまって、ちょっとばかり悔しい部分はある。だが、自分の非が三井は思い出せないし、何をどう謝ればいいかも分からない。だから、先にあいつが折れてくれたのは、ありがたいと言えばありがたいのだけれど。
(なんだよ、そりゃ)
わざわざこのひと言のために、いつもは打たないタイミングでメールを打ったのだろうか。
それ以上のことが、何かあるのではないのか。
(あいつのことだからな)
絶対ない、とは言えない。
(でもな…)
喧嘩してしまったことを、後悔したのは自分だけじゃない。
そう分かったことが、不思議なほど綺麗にわだかまりを溶かしてゆく。
「あーあ」
そう自覚すると、無性にあいつの声が聞きたくなった。
悩むこと、1分と少し。
そして結局三井は、メール画面を閉じ、アドレス帳からヤツの携帯番号を呼び出した。
そして発信ボタンを押す。
時計は0:00ちょうどを指していた。
ほどなく、あいつの声が聞こえて来る。
『三井、』
「…おう」
耳に心地よいトーンは、この3年弱で聞き慣れてしまったもの。
わずかに笑いを含んだ声は、けれど、どこかホッとしたような色を滲ませている気がした。
(やっぱ、こいつも同じこと考えてたのかもな)
だが、次の瞬間もたらされた言葉は、三井の予想を越えたものだった。
『誕生日、おめでとう』
「――へ?」
思わずすっとんきょうな声を出してしまって、今度はきっぱりとカレンダーを見る。
よくよく今の日時を思い出してみれば、5月21日深夜――もとい、5月22日になったばかりだった。
『かけて来てくれへんかったら、こっちからかけよ思ててんけど』
そう告げる言葉が、どこか勝ち誇ったように感じられるのは気のせいだろうか。
「…って、おまえ」
もしかして、この男は。
『うん、ちょうどええタイミングやったやろ?』
そしてその推測を裏付けるような、ヤツの台詞。
「いま、どこに居んだよ」
『梅田。乗り換えの途中やけど』
駅と駅の間ぁ、結構遠いねん。家帰ってからやったら時間過ぎるし、と付け加える。
「もしかして、そのためにこのタイミングかよ?」
0:00ちょうどに三井は、あいつに電話をした。
多分、あいつが言うように、三井がかけなければ一瞬あとに、向こうからかかって来たのだろう。
『そ。だって最初の三井の声、オレが聞きたかってんもん』
こんなワガママなことを、言うあの男が。
「…あのなぁ…オレの誕生日なんだけど?」
オレが聞きたい、とかいうのはどこまでもあいつの勝手。
そもそも三井の誕生日なのだから、三井を喜ばせるようなコトでもするべきじゃないのか。
そう続けようとしたが、あいつの方がほんの少し早かった。ざわつく背後のノイズが、ふいに途切れる。
『せやから、オレの声聞けたやろ?』
電話の向こうで、得意のニヤけた笑いを浮かべているのが見えるようだ。
「は? なにがだよ? それがプレゼントってつもりかよ??」
意外なほどクリアに聞こえて来た言葉に、鼓動が早くなったなんて絶対に言ってはやらない。
だからつい、即座にキツい台詞を返したつもりだったのだけれど。
『オレはそこまで言うてへんけど』
えらい察しええやん――と、からかうような声音。
「な…ッ」
『プレゼント、渡しそびれただけやねんけどなぁ…』
喧嘩したおかげで、タイミングを逸した。その詫びを言いたかっただけなのだと、ヤツはそう嘯いた。
(くそ、ンなワケねぇだろっ)
あの策士が、そんな普通の理由でこんな言動を取るはずがない。
その程度には、三井はヤツのことを理解してもいた。
そもそも、察しがいい、とヤツは言った。ということはつまり、最初からそのつもりだったということのハズなのだ。
「別にっ! おまえの声なんて聞けても嬉しくねぇしっ!」
そう返す口調が、不自然なのは承知の上。
案の定、ヤツにも伝わってしまったらしい。この頬がカッと熱いことまで、バレたかもしれない。
『はいはい、ほんならそーいうことで』
「そーいうことってなんだよ!」
更に食い下がろうとしたが、また背後のノイズが増えた。駅に着いたか何かかもしれない。
『でも、オレ的には嬉しかったで。今年の一年分の三井を先取りした気分』
なんかそんなバカげたことを、相変わらずほざいているけれど。
途切れがちになった音声は、その向こうから電車の到着を知らせる音楽をかすかに運んで来る。
「…――」
『そろそろ乗らな。これ最終やし』
やっぱ混んでるわ、と言う声も、ほとんどかき消されそうで。
「あ…」
電車がホームに入って来る、そんな音が聞こえた。
もう切れるかもしれない。多分あいつにはもう届かない。
そう思ったからこそ、素直に言えた。
ブツ、と音が途切れる寸前、ありったけの想いを込めて。
「ありがとなっ!」
――同時に、ツーツーという話中音。
あいつの耳には届かずに、電話は切れたはずだ。
(これでいいんだよっ)
聞こえていたら聞こえていたで、後から何を言われるか分からない。だからあいつには聞かれていない方がいいのだ。
(だよな)
本当は、あいつの声が聞けて嬉しかっただなんて。
プレゼントを渡しそびれていたとか、そういう事実より。
誕生日を迎えて、初めて聞いたのがあいつの声だったことが、こんなに嬉しいなんて。
(プレゼント、あったんだ)
それはそれで嬉しいが、また別の話。
三井自身ですら忘れかけていたのに、あいつはちゃんと覚えていたとかいうことも。
さっきまでのモヤモヤやムカつきは、どこかに消えて行ってしまった。
こんな現金な自分も、あいつには知られたくないけれど。
(ま、これですっきり寝れるしな)
口元が知らず緩むのも、気にしないフリで。
シーツを頭から被って、三井はほどなく眠りに落ちた。
ヤツが家に着いたのは、1時ちょっと過ぎらしい。
それから送られたメールを、三井が目にしたのは翌朝のことだった。
『どういたしまして。来年は、直におめでとう言えるからな』
(聞こえてたんじゃねーかよっっ!!)
言った言葉を取り返したいと、思っても後の祭り。
結局、何もかもが土屋の思惑通りだったのではないのかと。
喧嘩したことすら、策のうちだったのではないのかと。
そう思ったけれど、とりあえず、今は黙っておくことにした。
「くっそー」
それでもあたたくなかった心は、否定できないから。
「覚えてろよ…」
あいつの誕生日は、一体どんなことをして驚かせてやろう。
そう考えること自体、すでにあいつの術中にハマっているのかもしれない。
浮かんで来たそんな不安を振り払い、三井はベッドから起き出した。
窓を開ければそよぐ風が、やさしく頬をすり抜けて行った。
Das Ende
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