その映画を見たい、と言い出したのは三井だった。
土屋はそもそも全然興味がなかった。ベストセラー小説の映画化だということと、世間で大絶賛されていること、だが意外に批判の声も多く、一概に「名作」とは言えないらしいということくらいは知っていたけれど。
(まぁ、三井が見たいて言うんやからええか…)
その程度のもの。
ネットで集めた情報によれば、観客は圧倒的に若い女性が多いらしい。だから所詮は、少女漫画めいた安っぽい「お涙頂戴」ものだとタカを括っていたのだ。
がしかし。
実のところ、映画館に入ってみると、予想外の客層だった。
「結構、男も多いんだな」
三井も同じことを思ったようだ。カップル以外の男なんて、自分たちだけかと思っていた。だが、入って来た時のロビーの様子や、周りの客席をぐるりと見渡した感じでは、何故か「20歳前後の若い男ひとり」というのがチラホラ居る。さすがに男同士の二人連れというのは他には居なかったが、これならさほど目立たずに済みそうだ。
(別に、オレは目立ってもええけどな)
180を越える長身の、標準以上にはルックスもいい男が2人。
自分で言うのもなんだが、普通にしていても目立つのは事実だ。
周りからは親しい友達同士としてしか見られないだろうが、実際はそれだけではない。三井には多分あまり自覚がないから、外でベタベタしたところで、さして咎められもしない。それが少し物足りなくもあったが、それでも幸せなことに変わりはない。つい先頃、長い「親友」生活終止符を打ち、晴れて付き合い始めたばかりという関係で、鈍い三井に「すぐ自覚しろ」というのも無理な話だとは分かっているので。
(でも、ちょっとは気にしてくれてんかな)
どさくさに紛れて肩を抱くと、ちらり、と上目で軽く睨まれる。
今までなら、友達同士の間柄なら、何の意識もせず流していた仕草だ。せっかくのオフだから映画でも見に行こう、と言った土屋の言葉に、さして考え込んだ風でもなく、このいわゆる恋愛映画のタイトルが出て来た時には「やっぱり意識されていないのかも」と悩みもしたのだが。
「男ひとりっちゅーんも結構おんねんな」
とりあえずは相槌を打ちながらも、肩に廻した手は外さない。女同士で来ていて、見ている方が鬱陶しいほどベタベタしている2人も沢山居る。街を歩いていても、手を繋いだり腕を組んだりはザラだ。そいつらはただの友達同士なのだろうし、女同士がよくて男同士が悪いワケがない。三井にツッコまれたらそう応えてやろうと考えていた。
「なんでだろーなぁ」
三井も、この映画の情報はネットで調べたらしい。ゼミの女子たちから「凄く感動した」という話も聞かされたという。映画好きの三井は、それで行く気になったようだ。
「せやなぁ…話題になってるから、て見たがるヤツも多いんちゃう? オレも今までは大概ひとりで見に行ってたし」
三井とは微妙に好みが違うが、土屋も映画はそこそこ好きだ。最近でこそツルんで出かけるようになったが、それまで大抵のものはひとりで行っていた。だが確かに、こういう系統だと、男ひとりというのは躊躇してしまうヤツが多いだろう。
「あぁ、まぁそーかもな」
適当に思いついた説明だが、三井は納得したように頷く。土屋は気にしないが、三井の方はおそらく、その「躊躇してしまう」タイプだ。だから、土屋という連れが居ることで、ようやく見に行く決意をしたのだと思う。そうでなければ、せいぜいビデオを借りるくらいだろう。
(オモロかったらええけどなぁ)
正直、あまり期待はしていない。タイトルからして、ひと昔前にちょっと売れたSF小説のタイトルのパクリだ。その後、ヒットしたアニメにもパクられたようで、原作小説の方は、そのアニメのファンからもバッシングを食らったという。どちらもパクリには違いないのだが、アニメの方は一大ブームを巻き起こした人気作である。その方が世間では印象が強いのだろう。原作は読んでいないが、調べたところストーリーもよくある話のようだった。「泣かせる」ことを目的に作られたモノを、素直に受け容れられるほど純粋には出来てない。
(うーん)
見た結果、最初の予想と違わず、というのが土屋の感想だった。
ただ、それなりにいいと思えるところもあって、こういうのが好きな人間にはたまらないだろうと感じる。とりわけ、回想シーンで高校時代の主人公を演じていた少年の演技が光っていた。
(泣けるか、言われたらノーやけど)
その男が、10代の頃に恋人と知り合って気持ちを深めて行くくだり、そして不治の病を患った恋人と死別するシーンなどもよく描かれていた。だがおそらく、今の自分が見境ない恋をしていなければ、きっと少しの共感も出来なかっただろう。同じような感情を抱いているからこそ、どれだけ粗が目立っても、それなりに感情移入することが出来た。確かに、多少なりとも恋愛経験があるなら、自分のそれと重ね合わせて見ることは可能だ。ありがちだとも思う、常套手段だとも分かる。だが、それに乗せられてしまう人間の気持ちも、分からなくはなかった。
しかし、土屋の場合、柄にもなく思い入れてしまったのには、もうひとつ原因がある。
(ちょっと、似てたもんな)
恋人役の少女が、ふとした瞬間に見せる表情。
勝気そうな瞳とか、時折わずかに翳る笑顔とか、そういったものが。
(うん、やっぱり似てる)
スクリーンに大写しになる、過去の映像。
それを見て、確信は深まった。
――そう、どことなく、三井に似ている気がしたのだ。
(こんなん言うたら、怒られるやろけど)
何より雄弁に心を語る、琥珀色の瞳。
死を前に気弱になっているのだろうに、どこまでも強がって見せる姿。
バカバカしい、と思いながらも、つい隣に座るいとしいひととオーバーラップさせてしまう。
そんなことありえない、と思っていてもなお。
(せやから、やろな)
さすがに涙は出ない。だが、ぐっと来るものはあった。
陳腐でありがち、と評している自分とは別の部分で、もしもこんな風に三井をなくしてしまったら――などとバカげた妄想を繰り広げている自分が居るのだ。
(…アホか)
はぁ、と小さく息をつき、しかし土屋はさり気なく隣席に視線を移し。そして、そのままの姿勢で固まってしまった。
(…三井…)
まじまじと見るまでもなく、大泣きしているのが分かる。
涙ぼろぼろで鼻もぐすぐすいわせている。
幸いなことに、近くの席に座っている女性やカップルは、ほとんど一様に泣いているらしい。すすり泣く声やしゃくりあげる音まで、あらゆる泣き声のオンパレードだ。三井がどれだけ泣いたところで、目立ちはしない。
(あーもう、しゃーないなぁ)
よく考えれば、三井は必要以上に感情移入してしまうタイプだった。
テレビドラマや小説やマンガでも、気がつけば真剣に泣いている。元々涙腺自体が弱いのもあるらしく、自覚もしっかりあるようで、そう思えば、この映画に土屋を伴って来たのも、「周りが女ばかりだと恥ずかしいから」という理由だけではないと気がついた。
男がひとりで大泣きする、というのは、三井にとってはとてつもなく恥かしいことだろう。だが、映画も気になって、ビデオやDVDに落ちるまで待っていられない。だからせめて土屋という連れが居るなら、恥かしさは半減すると考えたのだ。ダシに使われたのは今更だとしても、こういう思考回路の果ての決断なら、少しは報われたような気もする。
相手が土屋だから。
土屋になら、泣いているところを見られてもいい、と思ったから。
(喜んでええんか、哀しんでええんか分からんけど)
無防備に心を開かれている、そのこと自体は「恋人」としては嘆くことなのかもしれない。だが、三井が意地っ張りなのはよく知っているし、こんな瞬間に隣に居ることを許すほどには、懐かれているのだとも思う。
(少なくとも、他の誰にもない特別扱いやんな)
そう考えれば、嬉しくないワケがない。
伸ばした手で、そっと頭を引き寄せる。
刹那、ビクリとした三井は、それでも素直に土屋の肩に頭をもたせかけて来た。
ごしごしと手で涙を拭いながら、少しだけ土屋の方を気にして、けれどスクリーンからは目を離さない。ある意味、土屋には出来ない器用な芸当に、微笑ましい感情さえおぼえる。
やわらかな髪をかき回し、ぽんぽんと軽くはたいた。次第に嗚咽が収まったのか、ばつが悪そうな視線を向けて来た三井に、小さく笑みを返す。三井も、土屋の笑みにからかう色がなかったことは悟ったのだろう。さっきのように睨んでは来なかった。こんな暗がりでも、お互いの表情だけは分かるから不思議だ。
(…ま、愛されてる、て思てもええんかな)
まだ三井には、やっぱりあまり自覚はないのだろうけれど。
そんなのは、これから追い追い思い知らせて行けばいい話だ。
(そうそ。時間はたっぷりあるし)
離すつもりはさらさらないし。
いささか不穏な考えを、こっそり胸に抱きながら。
土屋は、そっと三井の頭を撫でた。
◆ ◆
ここまで本気で泣いてしまうとは思わなくて、カッコ悪いことこの上なかった。
だが、奇妙にやさしい土屋の手が頭を撫でて、心が落ち着いてゆくのを感じる。
普段なら、女にするみたいな仕草はムカついて嫌なのだ。けれど、今それほどウザいと思わないのは、やはり映画に影響されているのかもしれない。
(しょーがねぇよな)
確かに、ネットで見かけた批判にもあるように「ありがちな話」だとは思った。泣きどころをあからさまに差し出されて、鼻白むヤツが居るのも分かる。だが、登場人物に思い入れがちな三井には、それでも涙が止められなかった。ほんの一瞬、もしもこの男の恋人が、自分にとっての土屋みたいな存在だったら――なんてことを考えてしまったのが原因かもしれない。大事な相手が死んでゆくのを、つらく思わない人間なんて居ないはずだ、そう思ったら、頭が勝手にバカな妄想を作り出したのだ。
(あー、カッコ悪りぃ)
とは言え、どうにもいたたまれないのは事実で。
だから、席を立ち、出口に向かう通路で、小さな囁きが聞こえた時には盛大に驚いて目をみはった。
「まぁ、オレも、おまえが死んだら一生引きずるやろけどな」
自嘲混じりのような言葉は、ざわめきの中でなお、三井の耳にだけは届いた。
(え…、っていうかそれって…)
らしくない話だが、それは土屋もまた、三井と同様に、映画の人物に感情移入していたということだろうか。
そうでないにしろ、少なくとも自分と主人公とを重ね合わせていたということか。
(なんか、珍しいよな)
土屋は、そういう見方をしないのだとばかり思っていた。だから、こんな感想が出て来ること自体が、意外だったのだ。
(ああ、でも)
こいつが、同じようなことを思っていて嬉しい。
それは、どう考えても本音だ。
(…それで、かな)
頭を撫でられて、抵抗する気になれなかった。
それどころか、ついうっかり素直に身を預けて、されるままにしていた。
いつもなら慌てて手を振り払うはずなのに、そんな自分の行動が不可解だったのだけれど。そう言えば、いつもみたいにからかうような様子がなかった。もしかすると、無意識のうちに土屋の表情にも、それが滲み出ていたのかもしれない。
(まぁ、だったらいいか)
とりあえずは納得。
映画そのものより、隣に座っていた男のことの方が気になった。そんなコトだけは、間違っても口にするつもりはないにしても。
ロビーをすり抜け、出口を出て外へと向かう。映画館はビルの5階で、混み合うエレベータよりは、と階段を選んだ。だが、そう考えていた客は他にも居たらしく、がやがやといくつかのグループが階段を降りて行くところだった。その中で、少し前を歩いていた女ふたりが唐突にこんなことを言い始める。
「よかったよねー」
「ホントホント。やっぱり泣いちゃったぁ」
「そう言えばさ、男の子も結構居たよね。意外〜」
このあたりまでは、普通。
しかし、その後に続けられた言葉が大変なモノだったのだ。
「そうそう。あたしたちの斜め前の男の子ふたりとかね。ひとりのコも多かったけど、男の子同士でも来るんだねー」
「あ、あの二人連れ。ふたりとも背が高くてちょっとイイカンジだったよね」
背が高い、と聞いて、どき、と息が止まりそうになる。
思い返してみれば、その話し声には聞き覚えがあった。開演直前まで、近くの席でかしましく話し込んでいたOLらしき2人組だ。そう言えば、斜め後ろあたりから聞こえていた気がする。
しかも、極め付けにこんなことを言ったりして。
「なんかさぁ、すっごい仲良さげだったよねー。片方の子が泣いちゃったみたいでさ、もう片方の子が頭撫でてあげたりしてんの」
「そう! 見た見た! かなりアヤシイ?!」
思わず隣を歩く土屋を見る。土屋も気づいたようで、笑いを堪えているのが分かった。
(なんだよソレはっ?!)
アヤシイ、などと言われて、驚くやら腹が立つやら。
実際アヤシくない訳でもないのだが、まさか、見ず知らずの女たちからこんな風に言われるとは思ってなかった。
(おまえのせいだろ!)
口に出すワケにも行かず、それでも意思を伝えようと、土屋の腕を掴んだ。しかし、あと少しでその腕を抓り上げるところで、女たちの会話は更に違った展開を迎える。
「きっと予行演習だよねぇ。彼女と一緒に見に来て、泣いちゃったらカッコ悪いとか思うんじゃない?」
「ホントは自分が見たくて、でも泣いちゃうのが分かってるからあえて、男友達誘ってるのかもよ」
「あー、ありそう。ひとりで来て泣いちゃったコって、帰りとか困りそうだよね」
「そうそう。っていうか、女でもひとりだと結構キビシくない?」
そんなことを言いながら、ずんずんと階段を降りて行く。
とりあえず、彼女達の見解はそういうところに落ち着きそうだった。追いかけて行って何かを言ってやりたい気もしたが、それでは「アヤシイ」どころか、ただのアブナいヤツだ。それくらいは三井にも分かる。とは言え、喉のところまで出かかった言葉を飲み込んだのは、掴んだ腕と逆の手で、土屋が三井の肩を引き寄せたからだったのだか。
「…んだよ」
元はといえば、コイツの行動が悪い。
そう思うと、つい声が尖ってしまう。
ほんの少し前まで穏やかな気持ちだったのに、こんな些細なことで腹が立つのも不思議だ。しかも、それを煽るかのような土屋のひと言。
「予行演習やなしに本番や、て言うたってもよかったんやけどな」
くく、と笑いながら、悪戯な光を金茶色の瞳が浮かべる。
「おまえなぁ」
「だって、ホンマのことやろ?」
そう言われると、強く反論できないのが余計にムカついた。
今だって、いつ誰が通るか分からない場所で、過剰なスキンシップを図ろうとしているらしい。足を止めたせいで、他の客はほとんどもう降りて行ってしまったおかげで、あたりに人影はないけれど。
「だったら何だってんだよ」
がしかし、噛み付いてやろうという勢いは、返された言葉に奪われてしまった。
「オレはおまえ置いて死んだりせぇへんから」
ずるいことに、その瞬間の土屋のまなざしには、静かで深く熱い色しかない。
まっすぐ三井を見据えて、バカバカしいほど真摯に、繰り出されるその言葉。
「ば…」
バカじゃねぇの、そう言おうとしたのに。
そんなの何の保証もないだろ、と、珍しく理性的な反論で切り返そうとしたのに。
「ああもう、ほら、泣かんと」
さっきの映像が、その時の感情と同時に甦って来て、条件反射的に涙がにじんだ。こぼれ出すまでは行かなかったけれど、目敏い土屋には、すぐバレてしまったらしかった。
「そんな話かよ、バカ」
それだけを言うのが精一杯。
なのに土屋と来たら、性懲りもなく更に言葉を続ける。
「オレにとっては、そういうハナシやったみたいや」
茶化したような口調なのに、そこに込められた真実に、容易に三井は気づいてしまった。
「おまえなんかと見に来たオレがバカだったぜ…」
思わずそう口にしてしまったのは、半分だけ本音。
残り半分はただの勢い、少しでも噛み付いてやりたいというだけの気持ちからだった。
「なに? ほんなら三井は『本番』は誰かと見に行くん? オレは『予行演習』?」
縋るような口ぶりも、本当はフェイクだと知っている。だが、そんなこの男にムカつく以上に、自分の中にある想いが大きくなっていることを、否定はできない。
「…なワケねぇだろ」
他に行くヤツが居るなら、おまえなんか誘ってねぇよ。
そこまでは言わなかったけれど、今の台詞に隠された気持ちを、土屋も気づいてしまったようで。
「それ聞いて安心したわ」
やわらかく笑む表情に、不意に胸が痛くなる。知ってるくせに、と思いながらも、そんなことを言えば余計に、コイツを調子づかせてしまうような気がしたので。
「もう、何だっていーだろ。さっさと帰ろうぜ」
その腕を掴み直して、ぐいと強く引いた。
「そんな急かさんでも、おまえの行くトコにいつでもオレはついて行くやん。一心同体やろ?」
おどけて肩を竦めて、土屋はうそぶく。にやりと笑われて、カッと頭に血が上った。
「それを言うなら一蓮托生だろっ!」
ちょっと――いや、かなり意味が違うような気もしたが、とんでもない熟語を否定しようとして、つい口が滑ってしまった。しかしその発言は、やっぱり土屋を調子づかせたらしい。いきなりぎゅっと抱きしめられて、思わず声にならない叫びを上げた。
そしてとどめのひとこと。
「『一緒』や、てトコは否定せぇへんねや?」
「――っっ!?」
「ココロとカラダ、全部がひとつやなくても、運命をともにするんやったらそっちの方がええかな」
そう言いながら、にこにこにこにこ。
あまりに嬉しそうな笑顔に、こっちまで力が抜けそうになる。だが、それでも必死で抵抗しようと、その胸に腕を突っ張る。
「…って、運命…って」
単に「道連れ」という意味だけではないのか。
確かにそう言えなくもないけれど、普通は三井の思っているようなニュアンスで使うことが多いはずだ。そう思ってツッコもうとしたが、続く言葉で完膚なきまでに叩きのめされた。
「極楽の同じ蓮華の上に生まれること、ていうんが発祥やねんよな」
仏教用語やで、と耳元で囁かれる。
そういう含みがあるのだとまでは知らなかった。墓穴を掘ってしまったことに、今更気づいても遅い。
「どこまででも、一蓮托生でええやん?」
「バっ…」
バカヤロウ、とか、ふざけんな、とか。
そういうのが負け惜しみだと分かっているから、一層分が悪い。
怒鳴りかけた声は、その上、軽く触れた唇に封じ込められた。
「――て、てめぇっ!!」
さすがに殴ろうと身を離し、とっさに拳を振り上げた。しかし、聞こえて来たざわめきにすんでのところで思い止まる。こんなところでケンカをして、いちばん困るのは誰あろう三井だ。
「さ、帰ろか」
ぽんぽんと肩を叩かれて、睨み返す。
そう言いながら、それでも歩き出そうとしない土屋の腕を、今度こそ三井は強く引いた。
「帰るぞ!」
「へぇへぇ」
くすくす笑いながら、土屋は一旦、三井の手を軽く振りほどく。そしてそのまま、指を絡めて手を握って来た。
(っとに、コイツだけは…)
ムカついて、けれど離せば何を言われるか分からない。そう思って精一杯の抵抗を実行に移す。握られた手を、死ぬほど思い切り力を込めて、ぎゅっと握り返してやったのだ。
「…いったぁ…」
涙目の土屋なんて、そうそう拝めるものではない。ほんのわずかな意趣返しに、気分は浮上する。
「ほら、もう泣いてんじゃねぇよ」
そう言って、ぺしりと金茶色の頭をはたいた。土屋は目尻に涙を浮かべたままで――しかし、決してやられっ放しではいなかった。
「ほんなら慰めて〜」
わざとらしく懐いてくる男を、必死で押し退ける。けれど、どれだけ歩みを速めても、すぐに追いついて来ることについては疑いようもなかった。
「なぁなぁ、みーつーいー」
「るせぇよ、とっとと帰るつってンだろ!」
怒鳴りながらも、声に笑いが混じってしまう。
それには土屋も気づいているだろうが、何も言われはしなかった。
不思議にあたたかくなる心は、きっとコイツも同じ。
そう思えば、込み上げて来る笑みを抑えることが出来ないのだ。
たいがい終わってる、と心の中でこっそり呟いてみても。
しかし多分同じくらい「終わってる」ヤツの傍に居れば、目立たないだろう、なんてことを考えてみたりして。
それで許せてしまうのが、恋の愚かさというやつで。
――とか、そんなフレーズがナチュラルに思い浮かんでしまう自分が、三井はちょっぴりイヤで。
けれど、ほんのちょっぴりだけ、実は嬉しかった。
Das Ende
* この物語はフィクションです。文中に登場する映画は、実在のものとは一切関係ありません(笑)。
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