2月に出張、行き先はウィーン。
この予定を聞いた瞬間、三井が口にした言葉はこうだった。
『みやげは何を買って来っか、分かってんだろな?』
『…も、もちろんデス』
そのあまりの気迫に、思わず丁寧語になってしまった土屋だったが、いざそれを売っている店のショーケースを前にして、ふとあることを思い出した。
(そない言うたら、大阪にも店出来たんやっけ…)
去年の夏くらいだったろうか。ウィーンに本店を置く「三井の大好物」の店が、ふたりの住む大阪にも店を出したのだ。
(てことは)
三井が何を欲しているかくらいは分かっていた。しかし、この時期に「そこ」で「それ」を買うのは、いささか安直かつ危険に過ぎないか。そんなことをつい思ってしまう。
(もしかしたら、誰かから貰うかもしれへんし)
去年までは東京に一店あったきりなのだが、オープン当初も、関西ローカルの情報誌などに結構紹介されていた。自分達の勤める会社からちょうど行き易い場所でもあるので、課の女子社員あたりから貰っている可能性がある。
(ネタ被んのイヤやしなぁ)
その店が、いちばんのごひいきであることも分かっている。
だが、去年も一昨年も、三井のたっての希望で東京まで買いに行っていた。仮にそこで「みやげ」を買うとしても、今年もまったく同じものというのは、芸がないのではないだろうか。
そこまで考えて、土屋は小さく溜息をつく。
(…チョコやない方がええかなぁ…)
帰国は明日、折りしも2月14日。
今、土屋が足を踏み入れている店は、ウィーン市内でも有名な老舗のチョコレート専門店。王室御用達だったという輝かしい経歴もある。
三井は、こよなく愛するこの店のチョコを欲しがっているのだ。
去年までなら、ためらいなくおなじみのトリュフのセットを買ったに違いない。がしかし、今年からは少しばかり状況が違う。
ショーケースの中は、温度が下げてあるのだろう。所狭しと5種類ほどのチョコレートケーキがひしめいている。ケースの上には見慣れたパッケージのトリュフセットや、他には薄くて小さな板チョコが大量に入ったセットなどがあった。
(ううーん)
正直、土屋は菓子のことなどほとんど分からない。甘いものは決して嫌いではないが、確固たるこだわりがある訳ではないし、あまり沢山も食べられない。高かろうが安かろうが、美味しいものを少し食べられればそれで満足なのだ。だから、「他に何か」と思っても具体案が浮かばない。
(…あ、そういや前にどれか食ってたな)
それでも、そんなことを思い出したのは、ひとえに愛のなせるわざか。
普段はトリュフ一辺倒の三井が、一度だけ他の製品を食べていたことがあったのだ。
(えーと、どれやったっけ)
ひとわたり見回せば、すぐに分かった。ひときわ艶やかにチョコレートでコーティングされている丸いそれは、この街で生まれたケーキなのだと聞いた。
(せや、コレや)
迷い始めるとキリがない。三井は美味しそうに食べていた。ケーキの中ではダントツに好きだという言葉も覚えている。思い立ったが吉日とか、善は急げとか、そんな慣用句が頭を掠める。
「すいません、これひとつください」
ケースの向こうの店員に告げれば、片言のドイツ語も一応通じたらしい。にこやかに笑って頷き、箱を用意し始めた。同じものにもいくつかのサイズがあって、土屋が選んだのは二番目に小さいものだった。いちばん小さなものだと、小さすぎる気がする。かといって、それ以上のものとなれば「ホールサイズ」――つまり切り分けて食べるくらいの大きさになる。となると、三井だけではきっと食べきれない。土屋も巻き添えを食らうのは想像に難くなかった。だから、ちょうどいいサイズということで、二番目に小さなものにしたのだ。
(普段やったらかまへんねんけどなぁ)
基本的に三井は口が肥えている。たまにとんでもないジャンクフードにハマることもあるが、大抵は土屋が食べても美味いと思うものばかりだ。だが、今回に限って言えば、三井が食べきれない分を土屋が手伝うというのは不可能に近いのではないかと思う。
何故なら、明日は全世界的にバレンタインデーなのである。
とはいえ、他の国では大した行事でもない。ただ、日本においてはその日は、全国の製菓メーカーをはじめとする商売上手たちによる一大イベントが繰り広げられる。そして、踊らされていると分かっていながらも、あえてその策にはめられる人間たちで、街は溢れ返る。「本命」ならともかく、義理チョコというシステムが土屋は好きではない。他人がそれを実行したり受け取ったりする分には、それぞれの事情があるのだろうし、心情も分からない訳ではない。けれど、自分が対象になるのは面倒だとしか思えないのだ。
(ちゃんと断れるもんばっかりやったらええねんけど)
不幸中の幸いと言うべきか、当日は土曜日だ。前日にわざわざ会社まで義理チョコを持って来る者は、そう多くない。せいぜいが、直接つきあいのある営業課内の女子社員くらいだろう。その辺りには、土屋は「甘いものが嫌いな上に、ヤキモチ焼きな彼女が居る」と吹聴し回っているので、さすがに誰も持っては来ない。
がしかし、土屋と三井とは、会社のバスケ部に所属している。この土曜はたまたまオフだが、チームの事務局やマネージャー経由で届いているものまで、贈り主に返す訳には行かない。
というわけで結局、土屋も大量のチョコレートに責め苛まれることになることが、ほぼ決まっている。日持ちするものばかりならいいが、最近は生チョコの類も多い。捨てたりすれば、同居人でもある三井には容易にバレる(何故か、そんなことに限って三井はえらく勘がいいのだ)。そして鉄拳が飛んで来るのは明白で、急いで食べなければならないものから片付けているうちに、「当分チョコなんて見たくもない」という境地に陥るのだ。そんな毎年を振り返ると、おそらく三井を手助けしている余裕などないのが分かる。
だったら、お互いに贈るのをやめればいいだけだろう、と言われるのかもしれない。
けれど、三井は無類の甘いもの好きで、とりわけチョコレートには目がない。
みすみす他人だけに、三井を幸せにする機会を譲りたくないのだ。そして沢山の贈り物の中でも、自分のものがいちばん三井を幸せにしているのだという手応えを得たいというのもある。
(まぁ、ワガママっちゅーたらワガママやわな)
それでも、三井が喜んでくれるから、つい調子に乗ってしまう。
三井もまた、自分が甘党だからか、あまり深く考えずにチョコをくれるようだ。ただその間にも照れや葛藤が色々あるらしく、毎度毎度じたばたしている。それを見ているのがどうにも楽しくて、要らない、とは決して言えない。
それに「男にチョコをやるなんて」と、三井にしては最大級に近い憤りと屈辱を感じている風なのに、それでも土屋にチョコをくれる。その決意が何より、土屋には嬉しいのだ。
そんなこんなで、支払を済ませ、包装を待っている間に気がついた。ショーケースの横にプレートが立ててあって、そこには「送料」という単語が見える。
「あの、これって配達とか出来るんですか」
そう尋ねたのは、配達先として国内だけではなく国外の地域名も書いてあったからだ。「アジア」という名詞があるということは、日本にも送ってもらえるのだろうか。
「はい、空輸になります」
返って来た答えはそれ。
言われてみれば、そんなような話を以前、三井から聞いたような気もする。
『これって、本店から空輸で通販も出来るんだぜ』
自分のことのように得意げに、確か三井は言っていた。それはこの店、このケーキのことではなったか。
(空輸てことは、クール便みたいな感じなんやろな)
この時季、飛行機の中は暖房が効いている。溶け易そうなチョコでコーティングしてある菓子を送るなら、冷蔵庫なり何なりに入れてあるはずだ。
更に詳しく聞けばまさにその通りで、なんと専用の冷蔵庫がある飛行機をチャーターしているのだとか。
(自分で持って帰るよりええか)
さすがに16時間、暖かい機内に持ち込むのは気が引ける。そう考えて、土屋は空輸便を頼むことにした。
「ほんなら、これで配達してください」
ちょうど土屋が日本に着くのと同じ頃に、配達できる便があるようだ。なるべくなら当日に渡したいというのもあって、考えるまでもなくその便を選ぶ。
伝票に住所を書き、送料分を追加で払った。実は、ケーキ本体より高くついたのだが、風味を損なわないようにしようと思えば仕方ない。
(喜んでくれるやろか)
早く帰って、三井に会いたい。
本当は、何よりもそれがいちばんで。
ほんの一週間程度の出張だ。同居する前には、それくらい離れて暮らしたことなどいくらでもある。それなのに今は、たった一日でさえひどく辛い。
三井に出会うまで、想いを交わすまで、ひとりの時間を自分は、一体どうやって生きて来たのかさえ思い出せないのに。
「三井…」
いとしいひとの名を、そっと唇にのぼらせて。
小さなケーキをかれのために選んで、土屋は帰途に着いた。
◆ ◆
「やっぱ、毎年チョコじゃ芸がねぇよなー」
ぶつぶつ呟きながら、三井はデパ地下をうろついていた。
土屋とつきあい始めて四年、同居して二年半、いい加減あいつのワガママの方向性は分かって来た。
『三井からもチョコが欲しい』
そう言われて、渋々コンビニで板チョコを買って来たのは最初の二年ほど。いまだに抵抗も照れも、ちょっとどころではないくらいにある。けれど、結局最後には負けるのは三井の方だ。それなら――どうせやらなきゃならないハメに陥るなら、あいつを驚かせたり喜ばせたりする方がいいような気がして来たのだ。
(だって…なぁ、)
あいつばっかり、いいカッコをしてずるい。
三井だって好きなのに。
いつも一方的に世話を焼かれたりプレゼントをもらったりばかりしていると、気持ちの強さが負けているように感じられて、それが悔しかった。
最近は、女から男にチョコをあげるという図式だけでなく、女同士や、男から女へというパターンも増えて来ているという。さすがにデパ地下の特設チョコ売り場では少しばかり目立っているかもしれないが、周りもみんな自分のことで精一杯のようで、それほど三井のことを気にしている風にも見えない。
(うーん…でも…どうすっかな…)
チョコ以外のものを買う、という思いつきは、ちょっとよさそうだ。「バレンタインといえばチョコ」としか考えられなかったが、会社の女子に聞いたところ、たとえば相手が本命だったり、甘いもの嫌いだったりすると、他のものをプレゼントする場合も多いらしい。
だが、洋菓子系の店は、やっぱりどこもチョコレートに占領されている。その隣の酒類コーナーでさえ、チョコつきのワインセットなどを販売している。
(なんだろ…何か違うんだよなぁ…)
いかにも取ってつけたようなセットというのは、ベタ過ぎる。それならチョコで充分だ。
しかし、自分が好きなせいか、どうしても発想が「甘いもの」から離れない。第一、手袋とかマフラーとかもアリだと聞かされたけれど、そういうものなら別にバレンタインでなくてもいいだろう。クリスマスあたりにでもプレゼントすればいい。
バレンタインらしくて、でも取ってつけたようでもなくて。
かと言って、あまり遠く掛け離れもしないプレゼント。
(なんかねぇかな…)
その考えが具体化したのは、菓子売り場を少し外れて、輸入食品や食材のコーナーに迷い込みかけた時だった。
「あ」
ありがちだけど、盲点。
女ならすぐ思いつくのかもしれないが、三井は今まで考えたこともなかった。
「…作るってのもアリか…」
食材コーナーでさえ、やはりバレンタイン仕様になっているのは否めない。いつもならほとんど目にすることのない「手作りチョコ用」の材料チョコや、製菓器具などがずらりと並んでいる。
(そりゃいい手かも)
土屋に特訓されたおかげで、料理も少しは出来るようになった。今年は手作りチョコというのもいいかもしれない。
これまでずっと、食事は土屋の担当だった。だが、去年のはじめに土屋が大風邪を引いて寝込んだ時、看病していた三井は、代わりに食事も作ってやろうとした。
結果は惨敗。
危うく大やけどをしかけて、「二度と厨房に立つな」とまで言われた。がしかし、そんな風に言われては腹が立つやら悔しいやらで、逆に引っ込みがつかなくなった。
(ぜってー美味いって言わせてやるからな!)
その時の決意と同じ台詞を、心の中でもう一度唱えてみた。日常の食事の方は、少しは上達したと思うのだ。チョコだってコツは同じだろう。
(でもやっぱ、単にチョコってのはありがち過ぎかなぁ)
確か、湯煎で溶かして型に流し込むのが基本だと、何かで見たような記憶がある。ということはつまり、あまり技術を要さないもののはずだ。
(そんなの、上手く出来たって当たり前じゃん)
実際はどうか知らないが、少なくとも三井にはそう思える。それよりはもっと高度なモノを作って、土屋をしこたま驚かせたい。
だとすれば、一体何を作ればいいだろうか。
「うーん…ケーキとかか?」
それとも、チョコでも見るからに難易度の高そうなものというのがあるだろうか。
唸りながら、もう一度特設チョコ売り場に取って返した。気になるブランドを、端から端まで覗いてゆく。
(あー…いいなぁすげー美味そう…)
ついつい意識が違うところに行ってしまうのを、何度も必死で呼び戻した。そして、愛するあの店の前まで来た時に、天啓が降りて来たのだ。
「…こいつだ」
ピンと来た、というのがまさにピッタリだった。
艶やかな焦茶色が、丸く平べったい物体を綺麗に覆っている。
(えーと、外側はチョコ…いや、それだけじゃなかったよな)
微妙に「チョコ」だけとは違う味だった。
ざらめ糖みたいなのが混じっていて、更にアプリコットジャムが重ねてあった。中のスポンジケーキは、ココア生地だろうか。甘すぎると言われようが、三井にはとてつもなく美味なケーキだった。もったいなくてあまり頻繁には食べないが、細かいところまでちゃんと覚えている。
(確か、向こうじゃ砂糖抜きのホイップクリームつけて食うんだったよな)
甘いものについては、無駄に知識も多い。作りたいもののイメージが、簡単に頭の中に出来上がった。念のため、How to本の1冊でも買えば大丈夫だろう。
「つーか、コレだったらオレも食いてぇかも」
しっかり食べて味の研究をしよう。いつ何時、それが何かの役に立つかもしれない。
「だったら、大き目のヤツ作るかな」
夕飯の後に、ブラックコーヒーでも入れて、ふたりで食べるのもいい。
ついでに土屋のみやげのチョコとくれば、この上もなく幸せな時間が過ごせそうだ。
(今日がオフでよかったぜ)
飛行機の時間は、夕方に関空着だったはずだ。今から帰って支度すれば、充分に余裕はある。
(へへん。あまりの美味さに泣いて喜べってんだ!)
珍しく、びっくりまなこになる土屋の姿を想像してみる。
そしてその表情が、次の瞬間には見慣れたやわらかな笑顔に変わるのだ。
至福のケーキは、その名をザッハトルテという。
一説では、三井の愛する専門店に端を発するとも言われ、日本でも多くの洋菓子店が独自のレシピを編み出している。さっき覗いた特設コーナーの店のショーケースにも、チョコレートにくるまれた姿は何度も見かけた。
それを口にした時の、土屋の賞賛のまなざしを思い描く。
何となくくすぐったい気分になるのは、何故だろうか。
(オレって結構けなげだよな)
自分の頭に浮かんだフレーズに、自分で吹き出しそうになる。けれどどう考えても、そのケーキを作ることも、帰って来た土屋が嬉しそうに食べることも、自分もそれを食べることも、すべて幸せに繋がることに違いない。
(そうそう、みやげもあの店のチョコだろうしな)
あいつは三井の嗜好を熟知している。ウィーンといえばあの店だ、と言いたかったのをちゃんと汲み取ってくれただろう。そしてそれはきっと、バレンタインのプレゼントになる。自分がもらう分には、あの店のものなら「芸がない普通のチョコ」でも充分すぎるほどに嬉しい。
思わず顔がほころぶのが、自分でも分かった。
慌てて頬をぺしりとはたいて、三井はふたたび食材売り場へと足を向けた。
◆ ◆
空港から電話をして、夕飯は作らなくていいと伝えた。最近三井は料理にハマっているようで、土屋が作れない時は替わってくれることが多いのだ。まるでそんなものとは縁がなかった三井に、泣き付かれて特訓したのは誰あろう土屋自身だ。最初のうちは気が遠くなるような苦行だと思っていたが、生来の凝り性と味覚の鋭さで、ほどなくそれなりのものが作れるまでになっていた。
(後片付けさえちゃんとしてくれたら、満点やねんけどな)
散らかすだけ散らかして、作って食べたら興味がなくなるらしい。土屋が自分で料理するときは、そもそも散らかさずに済むように、片付けも最小限で済むように気を付けている。三井はそういうのが苦手なようだから、仕方がないのだが。
(中途半端な時間に食うたから、胃ィおかしなったやんか)
出張の多い営業職とは言え、海外はあまり慣れていない。小腹がすいて、うっかり機内食に手をつけてしまったのがマズかった。いつもなら夕飯を食べるくらいの時間なのに、ちっとも空腹を感じない。
(ま、あいつも外で食うなり何なりするやろ)
オフ日だからと言っても、家でゴロゴロしてばかりではない。土曜は練習がなくても、結構ふたりで出歩いたりしている。
(…あー、でも今日はアレかいな)
帰り道、電車の窓から見えるデパートの壁面は、クリスマスさながらのデコレーションが施されている。さすがにプレゼントなどは皆もう買っている者が多いだろうが、便乗商法の亡者たちは、当日である今日も「最後のお願い」に余念がない。
ふと視線を滑らせれば、隣のビルはステーションホテルだったか。ディナーつき特別パック料金のCMが、垂れ幕で吊るされている。
(こーいうのは、好かんねんけどなぁ)
それでも、チョコ好きの三井にとっては、下手をすればクリスマスや誕生日よりも大事なイベントではないだろうか。コンビニのチョコ菓子でさえ、気に入ったのを食べる時の三井と来たらそれはもう幸せそうで。たまに「季節限定・イチゴのなんとか」とか「変わらぬ美味しさ●●板チョコ」とかいうパッケージにさえ嫉妬をおぼえることがあるほどだ。
(あいつが幸せなんやったら、しゃーないよな…)
土屋自身は、味には多少のこだわりがあるものの、三井のようなマニアックさはまるでなかった。だからそのあたりは全然理解できないのだが、三井が幸せであることに勝ることなどない。
(そーいや、アレはもう届いてんかな)
今日の夕方以降に着くように、発送の手配をして来た。土屋が帰宅するのとどちらが早いだろうか。できれば自分の手で渡したかったのだが、間に合うかどうかは微妙なところである。
◇
「ただーいまー」
どうにかこうにか帰り着いたのが、夜の9時過ぎ。
2DKの我が家に上がると、キッチンから三井が顔を出した。
「おう、お帰り」
何やら、作業をしているのだろうか。「今、手が離せません」と顔に書いてある。
「まだメシ食うてへんの?」
「いや」
即座に否定の応えが返る。奥を覗き込もうとしたら、あからさまに阻止された。
「なに? そんな散らかしてんか?」
あまりに散らかしっぷりが酷い時には、説教を垂れることもある。だからそれで隠したがっているのかと思ったが、そうではないらしい。甘い匂いが、奥の方からふんわりと漂って来たのだ。
これは、チョコレートの匂い。
それくらいは嗅ぎ分けられる。
(ひょっとして「手作りチョコ」いうヤツ?)
とても意外だったが、確かに料理にハマっている今なら、手作りものをあげようとするのは分かる。ただそれが三井のイメージにそぐわないだけで、結構な味のものが食べられるのではないかとは思った。
が、しかし。
事態はそれだけでは終わらなかった。
「なんや、チョコ作ってくれてんの?」
そう言って、阻む三井を押し戻し、大荷物を廊下に置いてキッチンへと踏み込む。
「うわ、何してやがんだよっ!」
「ええ匂いしてるやん」
「オイてめ、こら!!」
この動揺ぶりからして、よほどとんでもないシロモノが出来つつあるのかと一瞬不安になった。だが、たとえば最初の頃によくあったみたいに、焦げたような匂いとか、何とも言えない得体の知れない匂いはしない。
(ん? なんで?)
だったら何故三井は、こんなに慌てているのか。
失敗作でないなら、堂々と――むしろ自慢げな顔をしているはずだ。
まだ完成していないなら、ひとことそう言えばいい。
不思議に思って、室内を見回した土屋の視界に、「あるもの」が飛び込んで来た。
「え…これ…」
その時、嫌な予感がしたのだ。
そして次の刹那、それがまんまと的中してしまったことを土屋は悟る。
「さっき、クール便で届いたんだよ…」
応える三井は、ばつの悪そうな、どことなく悔しそうな表情。
「あ、ああ」
土屋もまた、多分同じような顔をしているだろう。
「今年はコレにしたんだな」
「いっつもトリュフやったら芸がないて思てな」
「――そ、か」
土屋がウィーンから送ったみやげが、テーブルの上に置かれていた。しっかりした木箱から見えているそれは、艶やかで芳醇な香りも高い、件の店のチョコレートでくるまれている。小ぶりなサイズだが、きっと三井の気に入る。そう思って買ったものだが、三井にとってはたいそう複雑な心境のはずだ。
(そらこっちもやけど)
頭を抱えたい、というのは、こういう時のことかもしれない。
例によって散らかったシンクの中を見て、焦茶色の粉にまみれたテーブルを見て、それからその上、つまり土屋のみやげの横に置かれた大きな皿の中身を見て、土屋はぼんやりとそんなことを考えた。
「ってゆーか、おまえの作ってるヤツて…」
「ああ…うん、」
三井も、同じ気持ちのような気がする。
さっきから浮かんでは消える言葉は、きっと「どーしよう、コレ」だ。
皿の上には、おそらく手作りであろうチョココーティングされたケーキ。
その名前がザッハトルテというものだと、土屋もよく知っている。
(まさか当の本人とネタかぶるとはな)
いくら三井が甘党だと公言していても、まさかザッハトルテを贈るようなヤツは居ないと思っていたのも確か。その読み自体は間違っていなかったようだが、毎年同じ店のトリュフだと芸がないということを、三井も考えていたに違いない。
それはそれで、何となく嬉しい気がしなくもない。
これほど性格も思考回路も違うのに、たまに同じようなことを考えている時があって。
つきあいが長い夫婦には、そういった事象が起こることがたまにあるらしい。そんな話を思い出して、不思議と幸せな気分になる。三井に出会うまでの自分には、考えられないことだった。
それでも、単に同じ種類のものがふたつあるというだけなら、こんなに途方には暮れない。三井だってきっと、「ちょっと気まずい」というくらいにしか思わなかっただろう。土屋がキッチンに入るのを、あそこまでして阻止しようとは思わなかったはずだ。
それだけでは、ないのだ。
土屋がいちばん気になっていること、そしておそらく三井がいちばん困ったことというのは、ネタがかぶったということではなかった。不味そうな訳でもない、むしろ、それほど甘党でなくても、それ自体は美味そうに見える。問題はそういう部分ではなかった。
「けど、いくら何でもコレはデカすぎひんか?」
最初に見た時から、「どーしよう、コレ」の原因になっている事実。
三井が作った方のザッハトルテは、どう軽く見積もっても4人分ほどあるサイズなのだ。
「…オレも半分食うし」
三井は、ぼそりと呟いて不機嫌そうに視線を外す。
「そら、めっちゃ美味そうやけどなぁ…おまえが手伝うてくれたかて、さすがにこれ全部は食えんわ…1/3ぐらいでちょうどええて」
前半部分も、お世辞ではない。ただ、この場合重要なのは後半部分だ。1/3というのも、土屋にしては結構な譲歩のつもりだった。
「…――」
「チームでもろて来る分もあるやろ?」
「それも今日来た」
顎で指し示された先を見れば、椅子の上にはダンボール。宅配の伝票が貼り付けてあって、差出人はマネージャーになっている。
「あれ、いつもより少ない?」
ふたり分のはずだが、予想していたほどの量はない。それでちょっとばかりホッとしたのだが、返された言葉に土屋は更にげんなりした。
「全員の分をいっぺんに持って行けねーから、とりあえず多いヤツのだけ先に、昨日までのを送っといたんだとさ」
「…さよか…」
ということは、月曜に練習に行ったら、残りがやって来るということだろう。
(まあ、そっちは週明けてからでもええか)
日持ちのしなさそうなものだけ、明日食べておけばいい。少しずつなら、決して嫌なものではないのだ。
「こんなことだったら、メシ食わなきゃよかったぜ」
もちろん自分で食べるつもりで、大きめのを作ったのだろうとは思う。だが、それにしても直径にして30センチばかりある。4人家族だとかふたりともが大の甘党で、他に何も食べるものがない時なら、あるいは食べきれたかもしれない。がしかし、土屋も腹は減ってない。三井も晩飯は済ませたらしい。この状態で、全部平らげるのは無理な話だ。
「ひょっとして…分量、まちごうた?」
「るせぇな」
短く吐き出される台詞は、その推測が当たっていたことを示している。
「いや、おまえの手作りやから、半分ぐらい食いたいけどな。それこそいっぺんには無理やて」
地雷を踏んでしまったらしい、と気づいて、慌ててフォローしたが遅かった。悔しげに睨んで来る三井は、一気に気分が急降下したらしい。
「…――」
爆発直前の静けさというのはすぐ分かる。それでも必死で土屋は、言葉を重ねた。焦るあまりに、つい声が荒くなる。
「せやかて、こんなんすぐ食わなあかんやろ! 冷蔵庫なんか入れとったら、せっかくの風味が落ちるやんけ!」
「るせぇ! 気に入らねぇんなら食うな!! おまえの分もオレが全部食ってやるっ!!」
ぶち、と何かがキレた音が聞こえた気がしたのは、錯覚だったろうか。応じる三井の口調も激しい。テーブルの上の皿を引き寄せて取り上げ、三井は腕の中に抱え込んだ。
「み、」
「言っとくけど、こっちもオレんだからな!」
そう言って手を伸ばしたのは、土屋が贈ったザッハトルテの木箱。まさか三井は、両方ともひとりで平らげようというつもりか。
「いや、食う、食います、食いたい!」
「知らねぇよバカ!」
「食わせてくださいお願いします!!」
皿の中身を落とさせないように、細心の注意を払いつつも取り縋る。実際かなり本気で頭を下げれば、一瞬だけ三井が怯んだのが分かった。
その隙を、見過ごす土屋ではない。
「おまえが作ってくれたヤツやから、食いたいねん」
「え」
不意に声をひそめ、トーンを変えた。そうして、さっき考えて言いそびれたことを、静かな言葉ではっきりと告げる。
「たまにはちゃうモンがええやろ、て思てくれたんやろ? オレとおんなじコト考えててんやろ?」
「…つ、ちや」
「ネタがかぶったんはビックリしたけど、おまえが作ってくれたんやもん。食いたないワケないやろ。他のんやったら、無理して食いたいとも思わへん。おまえが怒らへんねやったら、全部放ってもかまへんぐらいや」
それは全部本音だ。
あまりのデカさに驚いて脱力しただけで、食べたくない訳では絶対ない。こんなところでおあずけを食らうのは、まっぴらごめんだ。
「そーいうのはダメって言ったろ。食いもん粗末にすんじゃねぇ」
不機嫌そうな表情は変わらない。だが、そう応えた声音は、さっきより随分と穏やかになっている。皿と木箱を三井から取り上げて、ふたたびテーブルに置いた。
「せやから、せぇへんて。けど、今日はおまえのんだけで腹一杯やな」
「…ああ」
「とりあえず、半分はおまえの分やろ? ほんでも、どないしても食いきれへんかったら、もうちょっとだけ手伝うて?」
そういう表現なら、角は立たなかった。言ってから気が付いても遅い。そのことについては不覚としか言いようがなくて。それでも悪かったと思っているのは、どうにか伝わったらしい。きりきりと張り詰めていた風な肩のラインが、不意に力をなくす。
「最初っから、そう言やいーだろ」
拗ねたように口を尖らせる三井。
だが、今回に限っては、悪いのは土屋の方だ。
いくら大きすぎるのを作ったとしても、そこには三井の気持ちが込められているのに。
「せっかく作ってくれたのに、ごめん」
土屋だって、三井に喜んで欲しくて頭を悩ませた。三井も同じ気持ちで、考えてくれたのだ。
それが分かっていたのに、きつい言い方をした。三井が怒るのは当たり前だ。
「もーいいって」
うなだれて黙り込めば、ようやく落ち着いてくれたのだろうか。目の前にある腕を取っても、振り解かれたりはしなかった。
土屋の前髪をひとしきりかき乱し、ぱしん、と軽く頭をはたく。その指先からは、甘いチョコレートの匂い。
ホッと小さく息をつきながら。
片方の手で引き寄せた背中に、もう片方の腕を廻した。
◆ ◆
土屋が、この男なりに考えてくれたのだというのは分かっていた。
三井ほど甘いものが好きなワケではないのも知ってる。
だが、それでもムカつくものはムカつくのだ。
(何だっつーの)
同じことを考えて、同じ結論にたどり着いてしまったということは、何となく気恥ずかしいようにも思う。けれど、せっかく作ったものをないがしろにされたようで、それがどうにも我慢ならなかった。
(でも)
爆発させた怒りを、持続させることは出来なかった。思い切り素直に謝られて、一瞬どうしていいか分からなくなる。
「せっかく作ってくれたのに、ごめん」
いつもの土屋の意地悪な言動を知らなければ、「今更そんな風に謝られても」と思っただろう。だが、どうやらこいつが本気で悪いと思っていることは、感じ取れてしまった。
土屋でも、自分の言葉を後悔することはあるのだ。
そう思うと、珍しい発見をしたような気分になって、そこで更に勢いが削がれる。
俯いて、呟くように告げた口調。
まるでらしくない、しょんぼりした姿。
こんなことくらいで、許してしまう自分もどうかしているのかもしれない。だが多分、お互いの好みの違いから生まれた些細な捉え方の違いで、本当は目くじらを立てるようなことではないことは、三井にも分かっていたので。
「もーいいって」
暗くなっている土屋を見ていたら、怒るのもバカらしくなってしまった。そのサラサラの髪を乱して、軽くはたく。ゆるく抱きしめられたが、逃れ出そうと抵抗するのも止めた。
(まぁ、あれだ。オレが大人の余裕見せてやりゃいいだけの話だよな)
こいつは普段は同い年とは思えないほど大人のクセに、時々びっくりするほど子供っぽい時がある。こんな時こそ、三井だってこいつを受け止めてやれる余裕があるのだと、思い知らせてやらなければならない。そう思い直す。
(出張で疲れてたんだろーしよ)
そのあたりは、三井も同じ職場で同じ仕事をしている身だ。言われなくとも分かっている。そんな中で時間を割いて、三井のためにわざわざ例の店に行ってくれたことも。
(あそこのは、ザッハトルテだって美味ぇもんな)
それに関しては、疑う余地がない。何と言っても、この甘党の自分が、いちばんに贔屓している店なのだ。風味を損なわないために空輸にしたのだろう。ということは、余分な金も掛かっているはずだ。
三井のため、だ。
嬉しい、と思ってないはずがない。
ただ、それを素直に伝えられない要素が、たまたまいくつか重なって現れただけで。
分かっているのだ、本当は。
そして多分、こいつの方も。
しょうがねぇな、と心の中で呟いて、空いた手を土屋の首の後ろに回す。
驚いたように目をみはる表情が、ちょっとばかりいい気味だ。そのままキスを仕掛けようかと思ったのだが、直前に吐かれた台詞に、思わず動きを止める。
「手伝うてくれるんはありがたいけど、オレがあげた方、先に食うてや?」
「…へ?」
「オレはもちろん、おまえが作ってくれたヤツしか今日は食わへんけど…おまえには、オレがあげたヤツから先に食うて欲しいねん」
もちろんそのつもりだが、何故わざわざそんなことを言うのだろう。甘やかな空気を土屋が壊すのは珍しい。不思議に思って首をひねると、続く言葉がその疑問を解き明かしてくれた。
「だって、おれのヤツで最初におまえを幸せにしたいやん」
「あぁ?」
「おまえが甘いもん食う時、どんな幸せそうな顔してるか知らんやろ? 最初に食うんがオレのやなかったら、なんぼおまえが自分で作ったヤツでも、絶対妬いてまうもん」
解き明かされはしたが、ちょっとばかり呆れたおかげで、返す言葉は出て来なかった。
「妬く、って」
「せやけど、他のん食うな言うんは無理な話やん。せやから、せめて最初にオレのん食うて欲しいねん」
おまえはどこの駄々っ子だよ、とツッコミそうになったが、土屋の声音がかなりマジだったので出来なかった。代わりに、頭を掴んで引き寄せ、乱暴に唇を貪る。
「バカ、何でおまえが妬く必要があンだよ」
「三井」
「心配しなくったって、オレはいちばん好きなもんから先に食う主義だっつーの」
「――…」
こんなヤツだと分かっていたけれど。
それでも、バカじゃないのかと思いつつ、少しは嬉しい気がしなくもなかったので。
「けど、食いすぎるかもしんねぇから、その時ゃカロリー消費に協力しろよな」
そう言った瞬間の驚きっぷりは、更に三井をいい気分にさせた。さすがに意味はすぐに分かったのだろう。大きく開かれた淡い色の瞳が、次いで、す、と細められる。
その、嬉しそうな様子ときたら。
確かにこれが立場が逆で、こんな顔をさせているのが他の誰かだったら、自分も妬いてしまうかもしれない――なんてことを、つい思ってしまった。
(何でだよっ)
自分の考えに、思わず自分でツッコミ。
だが、それを完全に否定してしまうより早く、背に回された腕に、強い力が籠もる。
「分かった。ひと晩中でも協力させてもらうわ」
やっと「らしい」表情を浮かべた男が。
吐息の触れる距離で、かすかに笑う。
「言っとくけど、食ってからだからな!」
ゆっくり背をまさぐり始めた手のひらは、その言葉を聞いてぴたりと止まった。
「はいはい」
その隙を見計らったように、ふたたび唇を合わせる。一瞬の躊躇のあと、軽く開いたそこから、誘われるように熱い舌が忍び込んで来る。
深く、甘いキス。
金茶の瞳に映る自分の顔は、いつも鏡で見ているのとは違う。でもきっと、この男は、こんな三井も見慣れているのだろう。そう考えれば、何となく悔しい気がした。
「…あんま見んなよ」
じっと見られるのが居心地悪くて、呟いた言葉に苦笑が返る。
「そら無理」
「おい」
「ちゅーか、今のんでオレは腹一杯かも」
しかも、こんな台詞を吐きやがった。
「ちゃんと食うつっただろ」
がしかし、どういう訳か応えはすぐには返って来ない。不審に思っていると、足払いを掛けられてバランスを崩した。
「っ、てめ…ッ」
抱きしめられているおかげで、転ぶことはなかった。しかし、油断している間に、気がつけばキッチンの床に押し倒されている。
「とりあえず、先に食前の運動…ていうのはアカン?」
「ちょ、おまえな」
手足をじたばたさせて、必死で起き上がろうともがいた。けれど、押さえ込む力が強くて、まともに身動きが取れない。
「だって、一週間ぶりの三井やもん。がっつくな言う方が無理な話やん」
そう言って、押し付けられる身体は熱かった。掠れた声が、ふとに生々しい欲を滲ませる。
「…っかやろ…」
「食後の運動にも、もちろん付き合うし」
な、と耳元に息を吹き込まれて、びくりと肩が跳ねる。
(ああ、くそ)
このぬくもりに、この熱に。
会いたくて、触れたくて。
――焦がれていたのは、自分も同じだ。
ただ、すぐに認めてしまうのはこの上なくムカついたので、せめてもの抵抗とばかりに、最後の言葉を放つ。
「食後の運動は、違うヤツにするぞっっ」
外でランニングするとか、散歩するとか、他にいくらでもあるはずだ。そう続けるつもりだったのだが、三度目のくちづけにたやすく奪われた。
「…あんまり遅い時間んなったら、外出てウロウロすんのは近所迷惑やろ?」
どうやら、そこまで読まれてしまっていたらしい。反論を考えている間にも、追い上げられそうになって声を噛み殺す。
「――っ…」
「全身運動やし、有酸素運動やし、部屋ん中で出来るし、こっちの方が効率ええで?」
どうあっても譲る気はない、と無言の主張。
どくん、と自分の鼓動が大きくなるのが聞こえて、血液の流れが早くなってゆくのが分かった。
「ホントに、半分ちゃんと食えよ」
「もちろんやん」
「ぜってー食えよ。途中で音あげんなよ?」
言いながらも、首筋を降りてゆく頭を捕らえようと思えないあたり、もう負けは目に見えているのだけれど。
「先におまえ食べさしてくれたらな」
囁かれる甘い言葉が、何年経っても慣れなくて。
無意識に応えてしまう自分が、それでも否定できなくて。
「もー、いい加減にしろ…」
ようやく力を抜いた三井を、真直ぐな視線が見下ろしていた。
そのまなざしに込められた痛いほどの想いが、嬉しくて、恥ずかしくて、悔しくて、憎らしくて、誇らしい。
「いい加減にしてええんか?」
意地悪く笑う声すら、いとしい自分がイヤになる。
だが、とりあえずのところは、抱いた背中をぺしんとはたいた。
「そーいう意味じゃねーだろっ」
それだけを言って、髪に指を差し入れる。
こめかみのあたりからかき混ぜれば、見上げた瞳がやわらかく緩んだ。
上昇する熱を抑えることを、三井はすでに放棄した。
チョコレートの香りにむせ返る、キッチンで。
静かに空気が揺らめき、吐息と衣擦れの音が響く。
それは、何よりも甘い。
そして、誰よりも甘い。
Das Ende
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