And I wish your happiness

「あのさ」
 ためらいがちに三井が切り出したのは、5月21日も終わろうとする夜更け、土屋のベッドの中でのことだった。
「なに?」
「明日の朝目が覚めて、オレが居なくなってたらどうする?」
 何だろう、と首を傾げた土屋に、もたらされたのはこんな言葉。
 それを聞いて土屋は、ますます首を傾けた。
「居なくなって…て? 明日なんか予定あったん?」
 明日はと言えば、三井の20歳の誕生日。土曜で練習も早番なので、終わってから二人で晩飯でも食べに行こうと言っていたはずだった。三井には知らせていなかったが、もうレストランも予約してある。
「いや、別に予定とかはねぇんだけど」
 だったら何だと言うのだろう。
 言われている意味がよく分からない。
 土屋には珍しいことだった。
 逆に、土屋が言っていることの意味を、三井が測りかねることはよくある。だがそれも、三井を困らせようと、わざと分かりにくい回りくどい言い方をした時に限る。三井はそもそもそういう表現が苦手で、遠回しな物言いはしない。
「ほんなら何で?」 
 その三井がこう言うのだから、きっと朝から出掛けるつもりなのだろう。練習が始まるのは10時だから、それまでにどこかに行くということか。
(まぁ、帰りに用事がある、っちゅーんやないんやったらええか)
 呑気にそんなことを考えていた。だから土屋が起き出すより早く、それを片付けようとしているのだろうと。

 が、しかし。
 三井はひどく何かを言いたそうに――けれど、とても言いづらそうにしていて。
 口を開きかけては唇を噛み締め、土屋の方を見ては目を逸らす。
 そんな仕草を、何度も何度も繰り返していた。

「どないした? 何かマズイことでもあるんか? 明日はおまえの祝いやねんから、都合悪いんやったら無理に合わせんでもええで?」
 本当は、ちょっとばかりムカつかないでもない。
 だが、三井がこんな風に口ごもることはあまりない。
 ということは、それだけ言い出しづらいことなのだろうし、それが、明日のことを計画した土屋に対して申し訳なく思っているからなのだろうとも、容易に想像がついた。
「だから、そうじゃなくってさ」
 しかし、これほどもどかしいこともあまりない。気は長い方だと思う。だが、思わせぶりなやり方が得意でない三井が、ここまで来て何故、自分から話を続けないかということが気に掛かる。
「どないしたんな? なんぼオレでも、言うてくれへんコトまで察せられへんし。用事が朝早いんやったら、気兼ねせんと起きて行ってくれてええで?」
 付き合い始めて、三ヶ月と少し。
 大学で一緒になって、互いの部屋を行き来するようになったのは、それより一年ほど遡る。この傍若無人でオレ様な恋人は、こう見えて時折、驚くほど繊細な部分を覗かせる。今回だってきっと、何か土屋に気を遣っているのに違いない。
 まるでそんなこと、気にも留めなさそうなのに。
 素直で単純なだけではない、不思議にアンバランスな心。
 そして、つい意地を張ってしまう頑なさ。
 そのギャップにこそ、惹かれたと言っていい。
 けれどあまり気を遣われるのは、よそよそしい感じがして嫌だ。
 ――ついこの間そう言ったのは、他ならぬ三井自身なのに。
 何をそんなに、気に掛けているのだろうか。
「うん…だから別に用事とかじゃねぇんだよ」
「ほな何?」
 やっぱり、今ひとつ言いたいことが分からない。
 こんなのは滅多にないことなので、さすがの土屋も勝手が違って戸惑う。
 しかし、続いて三井の口から出て来た台詞は、さらに土屋を悩ませた。

「ハタチになったらさ、オレここに居られなくなっちまうんだ。だからさ、明日にはここを出なきゃなんねぇんだよ」
 ますます読めない。
「…は?」
 思わずぱちぱち目を瞬かせたとしても、誰も土屋を責めないだろう。
 一体全体、何がどうなって、そんなことがあるのだ。
(なんか、そういう約束で家を出て来てるとか?)
 最初に思い浮かんだのは、関西の旧家である自分の実家の親のコト。
 実際土屋は、それに近い約束を交わして、「大学の間だけ」という条件で下宿をしてバスケを続けているのだ。もちろんそんなものは反古にする気まんまんだが、まだ親には伝えていない。今まで何も知らなかったが、三井も同じような境遇なのだろうか。
(いや、けど、そんなんに黙って従うヤツちゃうよな?)
 よほど深い事情があるなら、そんなことも有り得なくはない。だが、三井という人間は、そう簡単に誰かの言いなりになるタイプだとは思えなかった。それに第一、今の今までそれを、土屋に気づかれないように隠し通して来れるはずがない。隠し事が苦手な性分だ。しかも土屋はそういうのを見抜くのが得意だ。そんな重大事を三井が隠していたと、気づけなかったとも思いたくない。

 だが、話は土屋の予測の範囲をはるかに超えていた。
 三井が話そうという気になったのは分かっていたから、とりあえずはそれを待っていた。そして、待っていた土屋を迎えたのは、およそ冗談かネタだとしか思えないような「三井の事情」だった。

「今朝、封印されてた記憶が戻ったんだよ。オレ、この星の人間じゃねぇんだ。ハタチまではほとんど変わらないように生活できんだけど、それ過ぎるとダメみたいでさ。明日にはここを離れて、帰んなきゃなんねーんだ」
「…――」
 目が点になる、というのは、こういうことを言うのだろう。
 三井はこの上もなく真剣な様子で、言葉を紡いでいた。
 何を笑えないギャグを…と言おうとしたのだが、なぜか言えなかった。少なくとも、土屋が今まで知る限り、三井はこんなタイプの冗談は言わない。
「だからさ、今日こうしてられんのが最後なんだ」
 そう呟く表情は、作ったものではない。
 それくらいは、土屋にも分かる。
 伊達に、出会ってからずっと三井だけを見て来たのではない。
 ひどく寂しそうで辛そうで、こっちまで胸が痛くなる。
 こんな手の込んだ演技を、三井はしない。
(それとも、何か他にワケがあるとか?)
 バカバカしい理由をでっち上げてまで、土屋の傍を離れなければならない事情が。
 まさか土屋が信じるとは思っていないだろうが、誰か三井に入れ知恵をした者が居るなら。そんな風に勘繰られることも承知の上で、何か更に手の込んだ仕掛けでもあるのかもしれない。
「なぁ、三井なんで?」
「え?」
 そう思うと、哀しかった。
 三井がここを――土屋の傍を離れなければならないというのは、理由は知らないが事実なのだろう。
 だが、その理由を正直には話せない「何か」があって。
 けれど、それがあるということすらも、三井は土屋に話してくれないのだ。
「なんやよう分からんけど、別れ話なんやろ? けど、ハッキリ言われへん事情があるから、そんな風に言うんやろ?」
 だったら、そう言ってくれればいいのに。
「土屋…」
「ガキん頃から、聞き分けはええ方やったで? おまえが言うことなんやったら、どんな理由でもちゃんと納得するで?」
 本当は、そんな自信なんてこれっぽっちもない。
 今だって、「何で?」とか「何のために?」とか「突然すぎるやん」とか、そんな台詞ばかりが頭の中でぐるぐる回っている。だが、哀しいかな、ポーカーフェイスは何より得意だ。三井を騙すくらい、ワケもない。最後まで優しい恋人のフリをして、別れてやることくらい簡単なことだ。三井がそう望んでいるなら、仕方のないことじゃないか。

 そう言い聞かせているのに。

「…何だよ、おまえオレの言うこと信じてねぇのかよ?」
 三井はそう言って、眉を逆立てて声を尖らせた。だが、怒り以上にその顔からは、哀しみや辛さ切なさといった類の感情が、隠しようもなく滲み出している。
(な…もしかしてマジなん?)
 哀しいのは、こっちの方だ。
 そう言ってやりたかったのに。
 けれど、どれだけ苦しくても、その表情が本物かどうか見誤るほどバカではない。
 話の真偽はともかく、三井が心の底から土屋と別れたいと思っている訳ではないらしい。それは分かった。
(でもそんなん、普通信じへんやろ)
 それがすべて事実だったとしても、土屋が三井の立場なら、そのままストレートに話して聞かせはしないだろう。いくら何でも、すぐ信じてもらえるとは思わない。
(…せやけど…)
 琥珀の瞳の中には、何かを隠している疚しさも、誰かに唆されて、そう思い込んでいるような様子も窺えない。もちろん、何かを企んでいるような素振りも感じられなかった。ということは、やはりすべて事実だということなのだろうか。
「けど、急にそんなん言われてもなぁ…つーか、大体なんで、その『この星の人間』やないヤツがここにおんねん? 何か深い理由でもあるんか?」
 もしそれが事実なら、いちばん引っ掛かるのはそこだ。
 わざわざこの星以外の人間が、ここにやって来るのは何故なのだ。
(まさか、オレとおるんも、その「理由」があるからとちゃうやんな?)
 考えられることと言えば、例えばこの星を征服する目的で、事前調査に来たとか。
 もしくは、いずれ交流する目的で、地球人の生態調査に来たとか。
 そのサンプルとして選ばれたのがたまたま土屋で、だから三井は土屋の傍に居るのだとか。
 そんな事情なら、まだ納得が行く。しかし、三井が続けた言葉は、また土屋の推測とは掛け離れていた。
「オレの生まれた星はさ、人口が増えすぎてヤバイんだよ。地球も相当なモンだけどさ、もうマジ資源がなくなるとか自然が壊されるとか、ここ以上にひでぇんだ。でも、ハタチの年まではオレら、二酸化炭素を吸って酸素を吐いて生きるんだ。だからここに来るのは、ここの人間のためにもなるってコト。ただ、ハタチすぎると身体の構造自体が大きく変わっちまうからさ。見た目はそうでもねーんだけど、レントゲンとか撮ったら、もうバレバレ。それに、ここの人間と一緒で、酸素を吸って二酸化炭素を吐くようになるからな。自分ちに帰って、酸素吐くガキどもとのバランス取らなきゃなんねぇんだよ」
 確かに、辻褄は合っている。
 いや、いくらでっち上げであっても、三井はこんな発想はしないだろう。
 かと言って、他人に知恵を授けられた風でもない。
(やっぱ、マジなんか?)
 そう思うと、絶望的な気分になった。
 三井が自分とは違う生き物でも、気持ちが変わる訳ではない。
 だが、だとすれば、ここを去らなければならないという言い分も納得が行くし、それを覆せるような何かが、自分にあるとは思えないのだ。
「なんやねんなソレ…」
 思わず、言葉が口をついて出る。
 泣きたい気持ちで、両手で顔を覆う。
「しょーがねぇ、んだよ」
 信じた、ということは、三井にも伝わったらしい。
 諦めたような、拗ねたような呟きが耳元に落ちる。
 肩まで被ったシーツを、握り締めた指が白く強張っている。
 意志の強さをはらんだ輝く瞳は、哀しみに沈んで伏せられた睫毛の下で今は見えない。

(――いや、でも)
 どうにかして、ここに残るすべはないのか。
 三井が知らないだけで、本当はあるかもしれないのではないのか。
 そんな埒もないことを、考え始める始末。
 そして、その考えは土屋の中で次第に大きくなり、どれだけ自分が三井を手放したくないと思っているかを実感させた。

「オレは嫌や」
「…え」
「おまえがおらんようなってまうなんか、オレは絶対イヤや」
 そんなのは、駄々を捏ねているだけだと分かっている。
 だが、ここで諦めてしまえば、すべては終わり。
 だったらせめて悪あがきをしなければ、気持ちが収まらない。
(そうやないな)
 方法なんて知らない。
 でも、三井と離れずに済むやり方がどこかにあるはずだ。
 そう思ったから。

「土屋」
 困惑した表情の三井を、ぎゅっと抱きしめる。
 その髪に顔を埋めて、囁くように告げる。
「何か道はあるやろ? おまえと離れんで済むんやったら、オレは何でもする。せやから、おまえもそんなコト言わんとってくれ。どないかして、ここにおれる道を探してや」
「土屋、おまえ」
「帰らな死ぬ、とかなんか? それとも、帰らなおまえの星の人類が絶滅するとか?」
「…いや、そういうワケじゃねぇけど…人間のフリしづらくなるし。バレたらやっぱ、居られねぇだろ?」
 畳み掛けるような土屋の言葉に、三井は途切れがちな答えを返した。
(そういうコトか…)
 何となく、おぼろげではあるが事情は飲み込めた。
 聞いた限りでは、ここに居ることが、三井の身体や故郷の世界に悪影響を及ぼすという訳ではないらしい。
 ただ、この世界の人間ではないということが露見すれば、ここには居られなくなる。
 人間として暮らして行くことが、出来なくなる。

 そう思ったから、行方をくらまそうとしていたのだろう。
 そう思ったから、土屋の傍を離れようとしていたのだろう。

「そんなこと、させへん」
 そう言って、更に強く三井を抱きしめる。
 三井は突っぱねようとしているようだったが、本気でないのは土屋にも見て取れた。
「おい、」
「おまえが何でも、そんなん関係ない」
 三井が三井であるなら、それだけでいい。
「つち…」
 土屋の名を呼びかけた唇を、そっと唇で塞ぐ。
「アカンて言うても、離せへんからな」
 縋るように囁き掛ければ、刹那、抵抗が止んだ。
 三井が自分を嫌いになって、離れたいと思っているのではない限り。
 勝手に別れを決めるなんて、そんなことは許さない。
(そうや)  
 三井の気持ちは、こうしていれば分かる。
 触れた素肌から、トクントクンと、鼓動が伝わって来る。
 それは、いつもと同じ三井の音だ。
 だが、いつもよりほんの少しだけ――けれど確実に早かった。


「…分かったよ」
 
 ややあって、かすかにこぼれた言葉は、確かにそんな風に土屋には聞こえた。
 シーツの端を握り締めた指を、そっと外させて絡め取る。

「約束やで」
 口を尖らせて三井は、それでも小さく頷いた。
 胸に広がるあたたかい気持ちは、じんわりと全身に広がって心を充たす。
「ありがとう、三井」
「――…」
 応えは、なかった。
「それから、おめでとう」
 そう言ったのには、笑い混じりの声が「ついでかよ」と返す。
「おんなじ意味やからええねん」
 三井という存在のすべてに感謝する。
 そして、それをここに在らしめるすべてに。
「なんだよソレ」
 そう言いながらもきっと、三井も分かっている。
 その証拠に、照れたようにそっぽを向く首筋は紅い。
「おまえの誕生日、一緒に祝えるんが嬉しいんや」
 ほんの少し前までは、これほどその喜びを実感してはいなかった。
 そう思えば、冗談のような、けれど泣きたくなるような事態の勃発も、悪くないかもしれない。
 何をどうすればいいのかなんて分からないけれど、とりあえずそれは朝が来てから。
 ひと眠りして目覚めれば、いい知恵も出るだろう。
(いや、どないしてでもコイツを引き止めたるし)
 自分が、追い詰められて開き直るタイプだとは、初めて知った。
 だが、三井を離さないためなら、本当に何だって出来る気がした。
 土屋の指に絡んだ三井の指が、きゅっと強く握られる。
 空いた手で恋人の頭を引き寄せ、土屋はひとまず目を閉じた。


 しかし。


 翌朝、土屋が目覚めた時、隣に三井の姿はなかった。
 起き出して部屋の中を探しても、どこにも見つからない。
 それどころか、三井の部屋を見に行っても、荷物も服もCDも、およそその存在を感じさせていたものすべてが、そこから消え失せていた。しかも、周囲の人間は、誰も三井のことを覚えて居ない。
「…なんで?」
 あの時、「分かったよ」と言っていたのに。
 まるでひとことの相談もなしに、勝手に居なくなってしまうなんて。
 さよならも言わずに行ってしまうなんて、そんなことあるはずがない。
 いや、約束を破るようなヤツだとは思いたくない。

 ――けれど、どれだけ探してみても、三井は見つからなかった。

「…それやったら、オレも忘れさせて行けや…」
 ふたたび戻って来た部屋に膝をつき、手のひらに顔を埋める。
 熱い雫が頬を伝って、指を濡らしてゆく。
「三井のアホ…」
 それなのに、憎めない。
 憎むことなんてできない。
 切なさよりも、哀しさよりも、ただいとしさだけが、静かに静かに胸に降り積もる。

 静寂をわずかに乱す時計の音を、いつまでも土屋は聞いていた。
 それでも、土屋の元に三井はもう戻っては来なかった。


          ◇ 


「――て、いう夢を見たんや」
 そう土屋が結ぶと、三井は何とも言えない嫌そうな顔をした。
「おまえなぁ…どんな夢見てんだよ…」
「しゃーないやん。夢やねんもん。どんなん見るかなんか、オレに選べるもんちゃうやん」
 バカみたいなことを、と思っているのだろう。
 しかし何だって、よりにもよってこんなめでたい日に、別れの夢なんて見るのか。
 それはむしろ自分の方が、自分を問い詰めたい気分だ。
「夢は願望の顕れ、とか言うだろーがよ」
「そんなワケないやろ!」
 思わず反射的に叫んでしまう。
「ホントかよ」
「あたりまえやっ」
 だが、三井は信じているのか居ないのか。

 夢の中の土屋の台詞は、すべてそのまま土屋の気持ち。
 それに相違はないけれど、そんな状況を望んでいる訳では決してない。
「大体、地球人やないのが何やねん。見た目変わらんねやったら、どないでも誤魔化せるやんけ。地球にずっとおったら死んでまう、とかやったらしゃーないかもしれへんけど、それでも、何にも手ぇ打たへんまま別れるつもりなんか絶対ないからな! アカンて言うても離せへん、て言うたやろ!」
 夢の中で言っただけなのだが、あの時夢の中の三井はちゃんと分かってくれた。
 この目の前の三井が、分かってくれないはずはない。

「分かったよ…もう、そんな怒鳴んなっての」
 土屋の剣幕に面食らったようだ。顔をしかめて三井は、手をひらひらと振る。
 だが、その態度ほどには気持ちは嫌がってないらしい。そう気がついたのは、あの時夢で見たのと同じ――わざとらしく横を向いた三井の首筋が、やっぱり紅かったからだ。
「分かってくれたらええねん」
「ったくよ」
 背中から抱きしめて、その指に自分の指を絡める。
 まるで夢をなぞるような自分の行動に、我ながら健気だと感心して苦笑してしまった。

「ありがとうな、三井」
 だからその言葉も、もう一度言ってみる。
 多分、この先何度でも、こうして告げるだろう言葉を。
「それから、おめでとう」
 こめかみに口づければ、三井は照れくさそうに顔だけをこちらに向けた。
「ついでかよ」
 三井の応えまで同じで、思わず息を呑んだけれど。
「おんなじ意味やからええねん」
 あれは夢だと分かっているから、安心して言える。
 胸に湧き上がるあたたかい感情も、消えはしないから。 
「なんだよソレ」
「おまえの誕生日、一緒に祝えるんが嬉しいんや」
 そう言って笑えば、応じるように三井もくすりと笑った。
「別に、ありがたがるほどのコトじゃねーだろ」
 返された言葉に込められた意味は、土屋の願いと同じ。
 これから先、ずっと自分たちは共に在る。
 だから、珍しくもない出来事なのだと、そう言ってくれているのだ。

 それでも、ストレートに口には出来ない照れ屋なところとか。
 そんな時には無闇に乱暴になるところとか。

 振り解かれた手に、前髪をぐしゃぐしゃと掻き回される。
 そして、こんなところさえいとしいと、思い知らされてしまう。

 
 降り注ぐ朝陽が、ブラインド越しに部屋に初夏のきらめきを運んで来る。
 この幸せがずっと続けばいいと、土屋は思った。


          ◇
  
 
 数日後。
「やっぱり、出来なかったんだよ」
 三井の部屋から洩れ聞こえる言葉に、ふと土屋は足を止めた。
(何や?)
 部屋の中には他には誰も居ないはずだ。携帯ででも話しているのだろうか。
 そのまま通り過ぎようとして、だが妙に気に掛かって。悪趣味だと知りながら、立ち聞きしてしまった。そして続けられた台詞に、思わず目をみはる。
「あいつの記憶だけは、やっぱり消せなかったんだ。だからさ、おまえには感謝してんだって。みんなの記憶も、オレだけじゃ戻せなかったしさ…あーハイハイ。分かってるって。あいつは夢だと思ってっから。バレないように上手くやるっての。ああもう、うるせぇよ! 切るぞ!」
 そして、電話を切ったのだろうか。何かをベッドに思い切り投げつけたような、ぼすん、と鈍い音が聞こえた。

(…マジ?)
 その意味は、すぐに分かった。
 もしかして、やっぱりあれは夢ではなかったとかいうのだろうか。
(嘘やろ?)
 だが、嘘ではないと考える方が、しっくり行くような気がする。
(ホンマかいや)
 そう自問してみるけれど、どうしても今のが演技やただの思い込みのようには思えない。
 ということはつまり、「あれが夢だった」ということの方が嘘なのだ。

 ショックだった。
 言葉が出て来ない。

(いや…でも…)
 それならそれで、喜ぶべきこともある。
 三井は、土屋の記憶だけは消せなかったと言った。
 そして、それでも今ここにこうして居るということは、つまり「何らかの道を見つけた」もしくは「見つかる可能性がある」ということだろう。
(やっぱり、オレが惚れただけはあるわ)
 三井だって本当は、最後まで諦めてはいなかった。
 だからこそ、これからもきっと傍に居ることが出来るのだ。
 少なくとも、そのための方法を探す猶予が得られたのだ。
(今の言葉は、嘘やないよな?)
 多分そんな器用な嘘を、三井はつけない。
 そして恐らく「今ついている嘘」さえも、いずれ土屋にはバレてしまうだろう。

「ああ…ほんならちょっと考え直さなアカンかなぁ…」
 そう思ったら、つい言葉が口をついて出た。
 唇の端が、笑みの形に吊り上る。
 あれが夢なら、気にすることはなかったのだけれど。
 三井が地球人でないなら、考え直す必要のあるコトがあった。
「せっかく地球人になりきってたのに」
 自分でもほとんど忘れていたことを、不意に思い出したのだ。
 三井の言うところの「記憶を消す」というのを、土屋が自分自身に施していたものだ。そして、その事実すら、土屋は自分で消してしまっていた。
「まぁ、オレらはどんな生き物にでも擬態できるからええけど」
 この場合、擬態というのは姿かたちだけでなく、その性質や寿命、身体の機能や構造までも完全にコピーすることを言う。それを可能にする生体コンピュータを、土屋たちの種族は体内に持っているのだ。
「そのうち、三井の星の人間の特徴を、どないかして聞き出さなアカンな」
 そうして擬態して、同じ生き物になる。
 ただ、三井はこのことがバレてないと思っているから、少しばかり厄介かもしれない。
「けど、大丈夫やろ」
 時間はいくらでもある。
 この先もずっと、三井の傍に居る。
 それは土屋だけでなく、三井自身の望みでもあるのだから。
「適合できそうやったら、オレんとこの星へ一緒に連れてってもええけど…まだしばらくは、バスケしてたいやろしなぁ」
 土屋の住んでいた星では、生殖能力の著しい低下のため、人類は種の絶滅の危機に瀕していた。だから他の星へ渡って、混血でも子孫を残せたなら、その子達を連れて帰るという目的で地球へ来ている。だが土屋には、どうやらその使命は果たせそうにない。
 そんなことをすべて、土屋も自分の記憶に封印していたのだ。
 ――今の三井の密談を聞いて、封印が解けた。

 三井だけを伴って、帰ることも不可能ではないと思う。しかし三井はまだ、バスケというスポーツが出来る、この星に未練があるだろう。土屋自身もまた、自分の中に三井と同じ気持ちがあるのを否定できない。
「当分は、ここの人間のフリしとこか」
 厄介だとは言っても、それを補って余りある幸せが、この世界にはある。
 
 静かに笑った土屋は、三井の部屋の前を離れた。
 いとしいひとをこの手に抱きしめ続けてゆくのは、案外骨が折れるものらしい。
「ま、それも幸せ、っちゅーヤツやな」
 この面倒で大きな幸せを、三井にもしばらく噛み締めてもらおう。
 そんなことを考えて、くすくすと声を立てて笑う。

 三井がすべての事実を知るのは、まだ少し先のこと。
 だが、何より骨が折れるのは、拗ねて怒鳴ってヘソを曲げた三井を宥めることだろう。
 それだけは、今もうすでに火を見るより明らかだ。
 しかし、その様子を想像することも、今の土屋にはこの上ない幸せに他ならなかった。





   <Monologue>

『離れたくないと思ってんのが、自分だけだと思うなよバカ…』
 こんなことは、アイツには言えないけれど。
 あまりに必死な姿を見ていると、胸が痛むけれど。
 それよりずっとあたたかな感情が込み上げて来て、思わず泣きそうになったのも内緒。
『絶対、どうにかしてやるよ』
 そのためなら、何だってする。
 アイツがそう言ってくれたから、三井もおなじことを心に誓った。
『でも、泣いてるアイツの顔って、ちょっと見てみてぇかも』
 珍しいものを見れば、何となく得をしたような気になるから。
 それが誕生日プレゼントだろ、などと言ったら、きっと怒るだろうけれど。

 そんなことを思いながら、三井は小さく笑う。
 五月の風が、樹々の間をすり抜ける音がかすかに聞こえた。





 すべての真実が明らかになるのは、まだ少し先の話…。





                                             Das Ende







     ちょっとSFちっくに迫ってみました。
     結局、どこへ行っても何者でも、この二人の仲を邪魔できるものはないと
     思ったりするのですが。
     …バカップル万歳v(←またそれですか)。

     いつも一緒に萌えてくださる、同志の皆様に捧げます。
     みっちゃん、お誕生日おめでとうv
     私たちの最愛のハニー・三井寿くん、
     そして最愛のダーリン・土屋淳くんの未来に幸多からんことを祈っております…。
     (結婚式スピーチ風に)
     読んでくださって、どうもありがとうございましたv



                                         2003.05.22
                              あきの(高藤炯乃@レプリカ亭)





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