「まぁーた、今日も野宿なのかよ?!」
寝床の準備を始めたツチヤを、ミツイは不満そうに見上げた。
「不服か?」
「…不服に決まってンだろ」
「けど、この森から出んことには、宿もあらへんし」
そう言うと、ミツイはさらに頬をふくらませる。
「分かってっけどよ、もう三日も風呂入ってねぇんだぜ?」
それはたしかに、ツチヤにも理解できる。だが、季節は冬を迎え、汗をかくこともない。我慢できないほどのことはないはずだ。
「それだけが理由なんか?」
首を傾げて問い掛ける。ミツイの態度は、それ以外にも理由がありそうな匂いをぷんぷんさせている。まるで、ツッコんで欲しいと言わんばかりだ。
質問の意図に思い当ることがあったらしい。「あれは…」と言い掛けて、ミツイは慌てたように口を閉ざした。
「『あれは…』何?」
ツチヤの方ももちろん、それが何なのか見当はついている。だがその訊き方が、ただでさえ斜め向きな機嫌をさらに損ねてしまったようだ。ミツイはぷいと横を向いてしまう。
「知らねぇよっ!」
しかし、そんなことでメゲるツチヤではない。ミツイの肩に手を掛けて、軽く引き寄せながら言葉を続けた。
「オレはまた、キレイなお姐ちゃんたちとお近付きになる機会が減るから、イヤなんかな…て思てんけど?」
「――…」
口を閉ざしているのは、ヘタに応えて付け込む隙を与えたくないからだろう。それは取りも直さず、ツチヤの推測が的中していたということを物語っている。
最後に宿を取った、三日前の出来事だ。
その宿は酒場も経営しており、折角だからとそこで呑んでいた時のこと。こちらも二人連れと見て、ふたりの女が声を掛けてきた。 どう見ても相手は街の娼婦。婀娜っぽい雰囲気が悪くなく、それなりの器量でもあったのだが、もちろんツチヤは相手にしなかった。
だが、ミツイは違ったのである。
ミツイの方を気に入ったらしい金髪の女と、よろしくやるべく早々に部屋に引き上げた。
翌日の不機嫌さを見ると、コトには及べなかったのか、それとも予想をはるかに下回るレベルだったのかという様子だった。しかし、可哀相だなどとはさらさら思わない。絡み付いて来る黒髪の女を振り払い、はらわたの煮えくり返る想いで一夜を過ごしたのだ。
それ以来、ミツイを抱いてはいない。
他の女が触れたかと思うと、いかに愛しいミツイであっても、当分そんな気にはなれなかった。
――いや、いつでもどこでも本当は欲しいのだ。
けれど、自分の想いだけが空回りしている気がして、やるせない気持ちになる。国を出て来たのだって、実はツチヤから逃げたかっただけではないのかなどと、考えてしまう。
こんなにも求めているのは自分だけで、ミツイの方はただそれに何となく応えているだけではないのか。
ガラにもなく弱気になって、そんなことを思ってしまう。
「…ま、別にいいけどよ…」
渋々といった口調で、ミツイは妥協した。
「今日はとりあえず、地面の上やないからちょっとはマシやろ」
ツチヤが今日の寝床に決めたのは、廃墟――というには少しばかり新しい、壊れかけの建物の跡だった。屋根は半分落ちかけていて、雨が降った時のことを思うとやや不安がある。しかし暖炉らしきものがあるので、火は起こせる。
石造りの床は冷たい気もするが、じめじめと湿った土の上に、寝袋を被って横になることを思えば、敷布を広げられるだけマシだろう。
「ん、まぁな」
と言いつつも、ミツイの視線はきょろきょろと落ち着きなく動き回り、部屋の中を物色しているようだった。
大体においてこの男は、剣士だとか傭兵だとか言って、放浪生活が長かったにもかかわらず、驚くほどわがままで手に負えない。
贅沢というのとは少し違うようだが、風呂にしても何にしても、自分なりのこだわりや好みがうるさくて、それをとことん通さなければ気が済まない性質なのだ。贅を尽くした生活も可能だったはずのツチヤの方が、よほど放浪生活に馴染んでいる気がする。
「何か、食うモンないか探しに行こか」
ひと通りくつろげそうな空間を確保して、ツチヤは言った。ミツイも促されるままに外に出る。
森の中を二人は、言葉も少なく歩き始めた。
◇
「…なんかさぁ、さっきからヘンな匂いがすんだけど」
ミツイが言いだしたのは、四半刻も歩いた頃だったろうか。
「そう言えば、そうやな」
ツチヤは頷いて、匂いの出処を捜そうと辺りを見回した。妙な毒が空気に混じっていないとも限らない。どこかの魔道師の仕業ということも考えられなくはない。
(…いや、でも違うな)
森の中を、元気に走り回る小動物が、やたらと目についた。そしてその動物たちは、決まって同じ方向に消えて行くのだ。
(ひょっとして、これ…)
ツチヤの頭に、とある考えが浮かんだ。
「ちょお、見てくるわ」
いつものツチヤなら、そんなことはしない。
だが、今日は違った。
「あ、おい待てよ!」
ミツイが止めるもの聞かずに、足を早める。生い茂った樹々をかき分けて、動物の後を追った。
――そして、そこに見付けたものは。
「…すっげぇ…」
ついて来たミツイが、ため息を洩らす。その中には、隠しようもない喜びの色が浮かんでいた。
「――こんなトコに、こんなモンがあったんやな…」
ツチヤも驚きを禁じ得ない。
もうもうと立ちこめるのは、温かい湯気。
妙な匂いだと思っていたのは、鉱物特有の刺激臭。
「温泉…だよな」
「ああ」
砂漠の中のオアシスのごとく、森の中を彷徨っていた二人には、まるで振って湧いたかのような温泉だった。
「…やっと、風呂に入れるぜ」
ホッとしたようなミツイの呟きが、そのあとどれほどの苦行をもたらすのか、その時のツチヤには想像もつかなかった。
頭や身体を洗っている間はまだ良かったのである。動物も浸かっているくらいだから、人体に悪影響はないだろう。鉱物や温泉のことならミツイもツチヤも多少の知識はあったし、書物に記されているのが誤りでないなら、充分に呑むことも出来るもののはずだった。
だが、問題は、そんなことではない。
「はぁー、生き返るぜぇ…」
なとど、どこの年寄りだか分からない台詞を吐きながら、のんびり湯に浸かっているヤツのことが問題なのだ。
血行が良くなるという効用は、当然ながらツチヤも知っている。しかし、目の前に居る男の肌は、ほんのりと紅く色づいて、ただ単に「温まって風呂にも入れてよかったな」では片付けられない感情を、ツチヤの身の内に呼び起こしていた。
(いや、とりあえずココは、耐えなアカン)
かたく唇を引き結び、頭を振る。金の髪が湯の中で揺れ、ぱしゃん、と小さな音を立てた。
「ぬくもったんやったら、帰ろか」
結局、食糧になりそうなものは見当らないというのが、ツチヤの得た結論だった。鉱物の発する空気は、動物には有益であっても、植物にとってはそうでないらしい。辺り一面は、この森の他の場所とは違い、いびつに形を変えた樹々ばかりだった。もちろん、食べられそうな木の実などはひとつも転がっていない。少しばかりあったところで、ここに来る動物たちがとうに食べてしまっているだろう。
「そだな」
ミツイも上機嫌でそれに応じる。
湯浴みくらいなら普通の宿でも出来るが、温泉となるとそうはいかない。泊まり客が使えるように温泉を浴室に引いてある宿もないではないが、とてつもなく高くつくのは周知の事実だ。
限りなくかけ離れたそれぞれの想いを抱えて、二人は一路、廃墟へ戻る道のりを急いだ。
◇
「まぁ風呂には入れたし、今日くらいは野宿でも構わねぇかな」
寒空の下で、薄手の衣だけを身につけて、その上から外套を羽織る。勝手なことばかり言うミツイの姿は、目の毒なことこの上なかったが、ツチヤにはツチヤで意地もある。
そんなことは決して感付かせない自信はあった。しかし、ツチヤの完璧に近い予測や計画から、時として見事なまでにはみ出してくれるのがミツイなのである。
こともあろうにミツイは、廃墟に帰って、仮の寝床をしつらえた部屋に入るなり「暑い」と言って服を脱ぎ始めたのである。
(…コイツは…)
多分、無意識なのだろう。
ツチヤがどれほどの努力で沸き上がる欲を抑えていたのかなど、考えもしていないに違いない。
「ミツイ」
咎めるような色が混じっていたと、自分でも思う。こんな感情に、ミツイはひどく敏感だ。しかし、その理由を察するほど聡くはない。結果的に、何故だかも分からない非難を受けて、不機嫌のボルテージがまた上がることになる。
「…んだよ」
案の定、返って来た応えには、明らかに刺が含まれていた。
上目遣いでツチヤを睨み上げ、ぐいと胸を反らす。
(――もう、限界や)
もし分かってやっているのだとしたら、相当にタチが悪い。だが、無意識なのだろうから、罪作りの度合いは倍増しだ。
ツチヤは完敗を認めて、ほんのり色づいた身体を抱き寄せる。
「何、すんだよ?」
掠れた声の甘さが、ツチヤの欲をかき立てた。
「誘ってるとしか、思われへんわ」
「…何が」
突然行動の自由を奪われて、苛立ちも露わにミツイは口元を歪める。
「おまえの全部」
「あぁ?」
「そのカッコも、その顔も、その目ぇも」
ミツイのすべてが、ツチヤに火をつけ煽って狂わせる。
「何言って…」
拒むような言葉を、皆まで言わせず唇を奪う。
「もう、限界や」
薄く笑って、軽く耳朶を噛む。途端にミツイは背を震わせた。その言葉に込めたツチヤの本音など、気づく由もない。
薄ものの衣を肩から滑り落とし、さしたる抵抗もしない身体を、敷布の上に押し倒した。首筋から胸元を丹念にたどり、ほどなくミツイが声を上げるまで、執拗に責めを続けて行く。
「…はっ…ああ…ん…」
情欲の色を帯び始めた声が、夕闇の迫る空に響く。屋根の落ちかけた部分から空が見え、外界の時の流れがはっきりと感じられる。 ――今、ミツイの視界には、空は映っているのだろうか。
ツチヤ以外の人間が、触れた肌。
ツチヤ以外の人間を、抱きしめた腕。
ツチヤ以外の人間に、睦言を囁いた唇。
すべてを奪って、すべてを壊して、すべてを引き裂いてしまいたかった。
けれど、ひとたび求めるように腕を絡められたなら。
――こんなにも簡単に、堕ちる。
愛しくて、恋しくて、仕方がなかった。
いっそ抱き殺してしまえるのなら、それもいいかと思えるほどに。
それなのに、出来ずにいる。
「ツチヤ…」
意地っ張りの唇が、ツチヤだけを呼ぶ。そのキツい瞳が、与えた愛撫に応えるように、やわらかく潤んでいく。重ねた唇の奥で、ツチヤの侵入を待っていたように、その舌が応えを返して来る。
この愛しい存在を手放すことなど、できる訳がなかった。
――愛してる。
そう言って伝わる想いなら、こんな風に焦れることもない。
抱いて自分のものになるのなら、何も悩むことはない。
誰にも縛られず、何にも囚われないその魂をこそ、護りたいと思うから。
だから、いつまでも迷うのだ。
「――ミツイ」
どんなにその名を呼んだとしても、決して伝わることはない。
どんなに身体を重ねてみても、想いのすべてを感じさせることなど出来ない。
それが、ツチヤには、はがゆかった。
「…んっ…ああ…」
数日振りに抱いたミツイの身体は、今まで以上に反応が良かった。
(あの女にも、こんな姿、見せたんか)
この感情は、嫉妬以外の何物でもない。
抱く時と、抱かれる時で、同じな訳がない。分かっていても、納得できない心を抑え込むように、ツチヤはミツイの中に自分を突き入れた。
「…あっ…ツチ、ヤ…」
「なに?」
耳元で囁いてやると、それだけで身体が跳ねる。飛びそうになる意識の中で、それでも何かを言おうとしているのだけは感じられた。身体に這わせた手の動きは止めず、聴覚だけをミツイの言葉に集中させる。
「…あの、女…とは、なんで…もね…っ」
(――!)
切れ切れに紡がれた言葉に、ツチヤは目を見開いた。
このこだわりを、見抜かれていたというのだろうか。
「あの女…て?」
下肢の動きを止め、視線を泳がせるミツイを抱き起こしながら、ツチヤは問い掛けた。突然深くなる結合に、ミツイは顔をしかめる。
「こないだの、酒場に居た…ふたり連れ…」
「ああ、あいつらな」
ツチヤは、まるで今思い出したとでも言うように、片眉を上げてみせる。どうやらツチヤの葛藤が見破られていた訳ではなさそうだ。
「…片方が、おまえにコナ掛けよ…として、て…」
「うん?」
「…それ…で、ムカついて…っ…」
ミツイが嫉妬してくれたらしいという事実に、顔が緩みそうになる。だが、気を取り直してツチヤは、さらにミツイをいたぶる言葉を口にした。
「ムカついて…誘いに乗った?」
「…ちが…っ」
「何が、違うんや?」
当て付けだとしても、その女を抱いてしまったのなら同じことだ。実際ツチヤは、もうひとりの女には目もくれなかった。
愛を囁いていても、その想いのどれだけが伝わっているのか。
疑問に思うのはこんな時だった。
ミツイ以外の人間に、ツチヤが欲情するとでも思っているのだろうか。
髪をかき上げて、抜き差しを再開する。ミツイはこぼれる声を噛み殺しながら、ツチヤの首に腕を絡めた。
「…きなかった…んだよっ!」
「――え?」
不覚にも、一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「…腹いせに、あの女と…って思…た…のに…」
じわじわと水がしみ込むように、ツチヤの頭に言葉の意味が拡散して行く。
もう理解できたも同然だった。けれど、その先が知りたくて。ミツイの口から聞きたくて、敢えてミツイを促した。
「思ったのに?」
ミツイは、目尻に涙さえにじませている。感じているのだか、悔しいのだか――多分その両方なのだろう。
「だか、ら…出来なかっ…んだって!
身体…が、全然…その気、になんね…んだ…」
切なげに訴える瞳で見られ、クラクラしそうだった。抑えていた微笑みが、自然と口元に浮かんでしまう。
「んだよっ…おまえのせい…んだか、らな…っ」
あまりの喜びに、きつく抱きしめた。ミツイの腰がビクリと揺れ、締めつける力が強くなる。
「――責任、取らなアカンかな…」
囁き掛ける声は、耳に届いているのか。くすりと笑うと、かかる吐息の感触に、耐えかねたようにしがみついて来る。
「…ったりめーだ…ろっ」
それでも憎まれ口の口調は、変わることがない。
「ま、おまえが身体ぐらい素直になったらな」
「…んっ…ああ…も…っ…」
「この償いは、一生賭けてでも」
言いながら、ミツイのものを刺激してやる。高まっているものは、可愛いくらい素直に、反応を返して来た。
「…っとに…だ、な…っ…あ…っ…」
「もちろんや」
「は…っ…んぁ…」
手の中でミツイが跳ねる。
突き入れるリズムに合わせてやると、目を閉じて快感だけを追い始めた。
「…そうや…それでええ…」
自らの波をコントロールして、ツチヤはミツイの愛撫を続ける。ミツイが放ってすぐ後に自分も達するということが、何故か充足を高める気がするのだ。
「…ツチ…ヤっ…」
全身を震わせて、ミツイが果てる。
そして、わずかの間を置いて、ツチヤも精を放った。
抱き返して来る腕が、どうしようもなく愛しくて。
汗ばむその肌に、どれだけ口づけても足りない気がした。
そして、半開きの唇を塞ぐ。
――自らの唇で、吐息さえも奪い尽くすように。
◇
「…背中、痛てぇよ」
起き抜けのコトバが、これだ。
「もうちょっと、しっとりとしたコトは言えんのか」
それでも気を遣って、そっと抱き起こしてやる。ミツイは顔をしかめて、どうにか身を起こした。
「星がさ…すげぇキレイだったんだ」
思い出を辿るように、わずかに目を眇めてみせる。やわらかい飴色の髪に指を差し込み、その身体を抱き寄せて囁いた。
「なら、今度は青空の下ってのも、ええかな?」
「――?」
問い返すようにミツイは、首を傾げる。
「ミツイが『その気』になってくれるんやったら、場所はどこでもええわけやん?
せやったら、いろんなトコの方が気分も変わってええかな、て思てんけど」
「…おまえ…っ…オレがせっかく『しっとりしたコト』を…っ…」 ミツイは言葉を失い、耳まで赤くなる。やっと話が通じたようで、予想どおりの反応にツチヤはにっこりと笑った。
「一生賭けて、償わせてもらうわ。――じっくりとな」
ことさらに、甘い声を出す。
けれどミツイの口から、反論は出て来なかった。ここで反論がなければ、ツチヤは自分のいいように解釈するつもりだった。
ミツイが腕を伸ばし、ツチヤの頭を引き寄せる。額がくっつきそうな距離で、琥珀の瞳がツチヤを見つめていた。
「その言葉に、嘘はないな?」
それは、初めて出逢ったあの日に、ツチヤが言った言葉だった。 ミツイの唇がこんな言葉を紡ぐとは、思っても見なかった。
ツチヤは、深く頷きを返す。
そして、あの日のミツイの言葉をなぞった。
「――神かけて」
それはツチヤにとって、掛け値なしの真実。
応えるようにミツイの顔に微笑みが浮かぶ。
――何よりもその笑顔を、抱きしめていたくて。
Das Ende
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