「こんなトコに置いて、はよ食わな溶けるで?」
こたつに寝転がった三井が頭を上げると、土屋はそんなことを言いやがった。
だが、それが三井のお気に入りのブランドであることは知っているはずで、しかも最後の1個を無断でつまむだなんて、イヤガラセだとしか思えない。
「あーーーーっ!! ちょ、てめェ、オイちょっと待てよっっ!!!」
思わずガバっと起き上がって、三井は土屋の胸倉を掴む。今しも「それ」を口に入れようとしていた土屋は、危うく取り落としそうになった。
「なにすんねんなー、もう」
それでも、つまんだ指は離さない。がくがくと揺さぶってみたけれど、三井に見せびらかすようにして、少しずつ口元に近づけて行く。
「オレのー! オレのデメルのチョコーっっ!」
「うわ、もー放せっちゅーねん!」
「それはオレにくれたヤツなんだろーがよっ! なんでおまえが食うんだよッ?!」
もちろん、くれたのは土屋。だが、もらったのは三井だ。
しかも、最後のひとつはハプスブルグ家の紋章入りトリュフ。去年食べた時に、いちばん美味しかったのを覚えていて、わざわざ残しておいたものである。
「こたつの上なんかに置いとったら、ぐすぐすに溶けてまうやろ! 適温ちゅーのを考えぇ! ンなことするぐらいやったらオレが食うたるわ!」
チョコをつまんだまま、土屋も怒鳴り返して来る。確かに言われたことは事実なので、一瞬言葉に詰まった。8個入りのトリュフセットを土屋がくれたのは、三井がそのブランドを好きだとねだったから。三井の方はと言えば、買いに行くのがやっぱり恥ずかしくて、結局今年もコンビニの板チョコで済ませてしまった。
そんな負い目もあったせいで、二秒ほど固まってしまう。
「…あっっ!」
だが、一瞬の躊躇が命取りになった。
その隙を狙ったかのように、土屋は最後の1個を口の中に放り込んだ。そして三井を見て、ニヤリと笑う。
「出せー! 戻せー!」
実際に実行に移されると、あまりありがたくない罵声を吐いて。
さらに土屋をゆさゆさと揺すれば、延びて来た手にグイと頭を引き寄せられた。
(――えっ?!)
何が起こったのかも分からないまま、深く唇を合わせられる。
「…ん、んんっっ…んーーんーーっっっ!!」
とろりと舌に絡みつくのは、濃く甘いカカオ。
熱い土屋の舌にとろけて、中のリキュールまで香り出す。
(な、ん、だ、っって、ん、だ、よっっ!)
怒鳴りたいのに、口を塞がれて言葉を奪われる。
かろうじて唇がぶれる瞬間には、息を継ぐだけで精一杯。
涙さえにじんで来て、ムカついて、それでも口の中に残ったのは、三井の大好きな極上の味だった。
土屋の瞳が嬉しそうに細められているのさえ、視界に入っては来るのだけれど。
「ごっそさんv」
ひとしきり貪られてから、ようやく解放された。息が上がって鼓動が速くなって、三井は肩を上下させる。
「てーめぇーー」
抗議の意をめいっぱいに込めて睨んだが、土屋の幸せそうな表情は曇らない。延びて来た手が今度は前髪をくしゃりと乱して、そっと自分の方に引き寄せた。
「明日、本店行って買うて来たるやん」
(え…)
囁くように告げられた言葉に、大きく目をみはる。
デメルの店の発祥はウィーン。
日本では一箇所しかなくて、デパートなんかではまるで見かけない。そしてその「本店」というのは、確か東京にあるはずだ。今ふたりが住んでいるのは大阪で、大阪ではバレンタイン当日まで、デパートの催事会場に出店している。だが、当然のように、その日が終われば臨時の店舗はなくなってしまうのだ。
今日は、バレンタイン当日。
時間は夜の9時、もちろんデパートはもう閉まっている。
「東京まで行くって?」
だからつい、怒りを忘れた。
いくら何でもチョコだけのために、わざわざ東京まで行くというのだろうか。
大学は入試期間中で休みだが、明日だって練習はあるというのに。三井のためにチョコを買いに、土屋はデメル本店まで行くつもりなのか。
「こないだ買うた夜行バスの回数券、もうじき期限切れるやろ。他に行く予定もあらへんし、1ヶ月切ったら金券屋でも買い取ってくれへんからな」
その話は、確かにしていた。2枚だけ余ったのを、誰か買ってくれないかと探していたのだが、いまどき夜行バスなんて流行らない。大抵は新幹線だし、飛行機でも早割だったらバスより安いくらいだ。もっと貧乏なら、そもそもバス代さえ出せず某鈍行列車専用の回数券のお世話になるくらいだ。
そんなワケで、いっそオークションにでも出そうかと言っていたのだけれど。
「けどさ…夜行だったら二日かかんだろ?」
行きも帰りも夜だから、向こうで時間を潰さなければならなくて。
そのために練習を休みましたなんて言われるのも、三井にはいい気がしなかった。
「なに? 寂しい?」
「あァ?」
しかし、土屋はそんなことお構いナシで。
「昼間はヒマやし、ほなおまえン家でも行って、お母さんに挨拶して来よかなぁ…」
何かたくらみごとを巡らせるかのように、左右に視線を泳がせる。そして、続いてこぼれて来た言葉に、三井はまた目を剥いた。
「ヒサシ君をオレにください、とか言うたらびっくりしはるやろなぁ…」
「なにィ?」
「お父さんは仕事でいたはらへんやろし、今回はお母さんだけかなぁ」
しかもその上、「バスの時間に間に合うんったら、夜まで待っとってもええねんけど…」などと抜かしやがった。
「はぁ?! なんだよソレっ!!」
この男なら言いかねないトコロが、始末に追えない。
思わずバン!とこたつを叩いた拍子に、ウィーンの王宮が描かれたパッケージが床に落ちる。
それをじっと見つめて、三井は考え込んだ。
(…そりゃ、チョコは欲しいけどさ……)
それより何より、こいつを野放しにはしておけない。
いくら何でもいきなりそんなことをされては、ただでさえ低い三井の信頼は、地に落ちるどころか地球の裏側まで突き抜けてしまいそうだ。昔のことがあるから、親には弱いのだ。
(いや! だから「いきなり」でなくてもマズイんだって!!)
ふと浮かんでしまった表現に、気づいて自分でツッコミ。
本当は、「マズイ」であって「イヤだ」ではないところからして終わっているのだが、そんなことには気づかないフリをした。
「明日、買うて来るわ。せやからゴメンな」
しおらしく(もちろん演技なのはバレバレだ)覗き込んで来る土屋の目は、トパーズ色にきらめいている。
こんな時は、本気でよからぬことを企んでいて、それをネタに三井で遊ぼうと思っている時なのだ。少なくともそれが分かるくらいには、深く長い付き合いだったりもする。
(…させるかよ!)
悔しいけれど、今回は三井の負け。
だが、素直に「もういいよ」とは言い出せない。
だからとりあえず、やり返すだけにとどめた。
すぐ目の前にあったさらさら金茶の髪を掴み、頭ごと強く引き寄せる。
そして、もう一度キス。
深く絡めた舌からは、もうチョコの味はしなかったけれど。
負け惜しみだとは認めない気持ちで、驚いた様子の土屋に、今度はこっちがニヤリと笑ってみせる。
「しょーがねぇから、コレで勘弁しといてやるよ!」
そう言って突き放したけれど、心なしか頬が熱い。
そのことに、目敏く気づいたのだろうか、土屋はぱちぱちと瞬きをして三井をじっと見て――それから極上の笑みを浮かべた。
「なんや、遠慮せんでもええのにv」
「してねぇよっっ!!」
完全にキレた三井を見て、更にくすくすと笑う。けれど、ムカつく以上にその幸せそうな顔を見ていると、つい力が抜けてしまうのだ。
こんなことは、こいつには絶対ナイショ。
口を尖らせてそっぽを向いた三井に、後ろからあたたかい腕が回された。
(くそ…)
振り解かないのではなく、力が抜けて振り解けないだけだ。
(そうなんだからな! 別に気持ちいいからじゃねぇからなっ!)
そう自分に言い聞かせて、三井はその腕に身を預けた。
Das Ende
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