No more to say

「ごめん!」
 開口一番謝られて、三上は面食らった。
 いや、厳密に言えば、謝られたことにではなく、その切羽詰った様子に面食らったというのが正しい。
「いー度胸じゃねぇか」
 待ち合わせに遅刻するなんて、渋沢には珍しいことだ。だから、少しばかり心配はしていた。とはいえ、そんなことを素直に言えるはずもなく。とりあえず凄んでみせたけれど、渋沢はひたすらすまなさそうに、身を縮こまらせている。
「本当にすまない…」
 たかだか遅刻くらいで、この有様か。
 待たされて苛立ちはした。しかし、言葉ほど三上が怒っていないのは、この男になら分かりそうなものなのに。
(なんかあったのか?)
 それ以外に、謝らなければならないようなことをしでかしたのだろうか――などと考えてはみたものの、そこから先に進めない。確かにいつもの待ち合わせとは意味合いが少し違うが、目くじらを立てることでもないのにと思う。
「何だよ、ンな必死で謝るようなコトかよ?」
 その態度の理由が解せなくて、首をひねった。俯き加減の頭を小突けば、渋沢は上目遣いでこちらを見る。
「…いや、しかし」
「別に怒ってねーし」
 時間厳守でなければ、死ぬほど困るという約束でもない。
 お互いの誕生日には、外で待ち合わせて夕飯を奢る。それが、いつの間にか暗黙の了解となっていて、今日はたまたま三上が奢られる番だっただけのこと。
(ヤロー同士で誕生祝いってのも寒いんだけど)
 プレゼントの交換なんて論外。だが、それでも何らかの形で祝いたいという渋沢の言葉を、つい受け容れてしまったのが悪かった。そのままズルズルと恒例になり、気が付けば中3の夏以来、欠かすことなく5年目。つまり、今回で都合10回目を迎えるワケだ。
(ちょっと遅刻したぐらいだろ?)
 時間通りに来る三上と、時間より前に来る渋沢。
  それは、大抵において変わることがない。だが、今回とて何時間も遅れた訳でなく、せいぜい10分くらいのものだ。何をそんなに恐縮することがあるのか。まだ店も充分開いているし、今から行けば全然余裕だ。試合のない時期、練習もちょうど同じ頃に終わるから、中間地点で待ち合わせただけなのに。
  そう、思いはしたのだけれど。
  目の前で浮かない顔をされると、かなりウザイ。
  毎年この日は、鬱陶しいくらいに上機嫌のはずの男が、こうまで沈んでいると気にもなる。だから、一応「どうしたんだ?」くらいは訊いてやってもいいかと思って。

「あのさぁ」
「実はだな」
  口を開きかけたところで、言葉が被った。「あっ」という顔を、渋沢が見せる。自分も同じような表情をしているだろうことは、想像に難くなかった。
 ただでさえ、同時に声を発したりするのはバツが悪い。しかも今回は、柄にもなく心配してしまった末の行動だから、始末も悪かった。
(いや、だから心配したワケじゃなくて!)
 慌てて自分に言い訳してみたが、ちょっと恥ずかしかった。
 今更すぎる気もするのだが、いわゆる「特別な仲」というヤツ。どれだけ時を重ねても、この気持ちを認めるのには、抵抗も恥ずかしさもなくならない。
「…なに?」
 そんなこんなで、つい不機嫌な口調で返してしまった。いつもならそんなこと気にも留めないような男が、何故だかこういう時に限って、哀しそうに目を伏せたりして気まずい。とっぷり日の暮れた駅前は、あまり人通りもなく、侘しい気分を盛り上げるには、もって来いの状況だ。
(オレが苛めたみたいじゃん)
 そう言おうと思ったのだが、余計に打撃を与えそうだからやめた。とりあえず話を聞いてからだと、自分に言い聞かせる。

  そして、渋沢の言葉を待てば。

「その…実は今日、持ち合わせがないんだ。すまないが、食事は今度にしてくれないか?」
 
 らしくなさすぎて、耳を疑った。
 この、渋沢が。
 こともあろうに、そんなことを言い出すなんて。

 何重の意味でも驚いて、刹那、思考が停止する。それがどうにか解凍するまで、優に5秒はかかった。

「…おまえ…どうしたんだ? 何かあったのか?」
 つい訊いてしまった三上を、誰が責められるだろうか。
「――…」
 口を噤む渋沢を、促すようにまた小突く。すると、しばらく居心地悪そうにしていたが、どうあっても諦めないらしいと悟ると、ややあってぽつぽつと言葉を紡いだ。その内容は至極まともなものだった。だがそれが今、渋沢の口から語られるのは、実のところかなり意外だ。
 
 と、いうのも。

 来る途中、家出少年に出会って、家に帰る金を貸してやったのだという。それもすぐ近所などではなく、本州のかなり北の方らしい。つまり、「新幹線代」を貸してやったということだ。
 そして金を下ろそうと銀行を探し回り、そのために遅くなってしまったとか。しかも結局見つからず、ほとんどすっからかんのまま、ここに来てしまったとか。
 渋沢は、カードを持たない主義だ。だから現金がなければ、無一文と言っても過言ではない。
(なんだかなぁ)
 らしいと言えばらしいのだが、らしくないと言えば、この上もなく「らしくない」。
 面倒見がいいのは昔から。頼られれば無碍には出来ないだろう。しかし、こういう場合の要領のよさは天下一品なはずで、こんな間抜けな展開になること自体、そもそも不思議だった。
「おまえにしちゃ、詰めが甘いよな」
 皮肉のつもりでなく、ただ純粋に珍しいことだと思って言った。だが、渋沢にはそうは聞こえなかったのかもしれない。思い切り情けない顔をして返された言葉に、今度は三上が眉をひそめる。
「…だって、三上に似てたんだ」
 そして続く台詞が、眉間のしわを更に深くさせた。
「ハァ?」
「その子が、小さい頃の三上に何だか似てて」
「…はぁ…」
「泣きそうな顔してるのに、『大丈夫だ』とか言われたら、放っとける訳ないじゃないか」
「――…」
 脱力のあまり、危うくへたり込むところだった。かろうじて踏みとどまれば、渋沢はやっぱり済まなさそうに縮こまっていて。
「この辺、全然銀行ないみたいだし、コンビニもないだろう? あまり待たせるのも引っ張りまわすのも悪いから、日を改めた方がいいかと思ったんだ」
「そりゃまあ…」
 別に構いはしないし、そこまで申し訳ながってもらうことでもない。そう考えるのは、三上が薄情だからなのだろうか。
(つーか、すっからかん同然で帰れんのかよ?)
 なぜかそんな心配をしてしまうのだから、そんなことはないと思うのだが。
 その後の話によると、相手の連絡先もちゃんと聞いたし、バックレてしまうタイプでもなさそうらしい。とは言っても、一時的にしろそれなりの出費で、付近には金を下ろす場所も見当たらない。運が悪いとも言えるけれど、半分は自業自得。けれど、らしくない失態にオロオロする様は、微笑ましいようにさえ感じられた。

(うわ。ダメだ、オレ…終わってる…)
 自分の思考の行き着く果てを自覚して、頭を抱えたくなる。「バッカじゃねーの」とでも言って、鼻で笑い飛ばせればよかった。だが、タイミングを逃してしまったのがマズかった。「可愛いとこあるじゃん」なんて思ったのを、悟られてはならない。
(いや…まあ、つまり、だからさ)
 意味のない接続詞を並べて、平静を装うよう努力する。けれど、よくよく考えてみれば、誕生日は今日なのだ。わざわざ他の日に祝うなんて、なんとも間が抜けている。
(うーん)
 しかし、何もせずに済ますというのは、渋沢が嫌がるだろう。
(コイツん時、奮発しちまったからなぁ)
 高校を出て離れて過ごすようになって、初めての誕生日。
 渋沢の時は、それなりに高級な店でフルコースを張り込んだのだ。こう見えて結構負けん気の強い男が、黙っている訳はない。少なくとも、三上が渋沢に対して持っているのと同じくらいは、三上に対抗心があるようだ。
 それは、三上に対してだけなのかもしれないけれど。
 ほんの少しそう思えば、嬉しい気がしないでもないけれど。
 
 長いつきあいを思い返し、しょーがねぇ、と心で呟く。
 傍から思われているほど、善人でもなくて。だが、時々肝心のところで抜けていたりすることが、この男にはある。
  実は、そんなギャップが結構気に入っているだなんて、口に出しては言わないけれど。
 実は、ちょっとどころではなく大事に思っているだなんて、口が裂けても言わないけれど。
 何のかんの言いつつ、結局こいつには弱いのだ。
 こいつにとっても自分が「特別」であることも、認めてしまっている。しかも、どうにか浮上させてやれないだろうかなんて、そんなことまで思ってしまう始末で。
(…ったくよ)
 どうすればいいのだろうか、とあれこれ考えて。
 ふと閃いたものは、ささやかでありがちな手だとは思った。
(でも、まぁ)
 しかし、他には思いつかなかったし、三上的にはかなり「オイシイ」。渋沢に比べて、自分はどちらかと言うと、気安い雰囲気の方が好きなのだ。そういう意味から考えても、いいアイディアなように思う。
 
 そんなワケで、タイミングよく冷蔵庫の中身を思い出した三上は。
「気にすんな」
「三上…」
 ニヤリと笑って、落ち込んでいる風情な男の肩を、ぽんぽんと叩いた。
 ――そして告げる。

「本領発揮、させてやるよ」
 

                                                    ◆          ◆


 最初は三上が一体何を言い出したのか、よく分からなかった。だが、その表情を見るに、怒っても苛立っても居ないことは分かる。
「…本領発揮?」
 問い返す渋沢には答えず、三上は吹き抜ける風に髪を遊ばせる。艶やかな漆黒が、白く透き通る頬をなぞって、さらさらと揺れる。
 見つめて来る瞳は、強い輝きを集めて、闇で固めたような彩。
 街灯と駅の明かりと、わずかばかりのネオンを映し、そのまなざしの中には悪戯な光が見える。
(ああ、これは)
 何かを企んでいる時の顔だと、ふと思った。
(いつも、驚かせてくれるからな)
 他人の考えていることを、読むのは得意だ。三上のことも、過ごした時間の長さも手伝って、大まかな部分は分かる。
 だが、時にその予測を軽く飛び越えることがあって。
 意地っ張りで天邪鬼なのに、時折ひどくストレートで。
 それは多分、その心にある、何にも侵されない真直ぐな部分ゆえだと思うのだけれど。
(三上)
 重ねて来た時の密度と、一度は崩れそうになったこともある絆と、それでも取り戻すことの出来た幸せに胸が痛む。手を伸ばして抱きしめたい衝動を、堪えるのに必死で――。

「肉がさ、あるんだよな」

 だが、想いに耽る甘さは、続く言葉で払拭されてしまった。思わず目を見開いて、渋沢はふたたび問い返す。
「に…肉?」
 他に聴き間違えようのない名詞は、何を意味するのか。「本領発揮」とやらと関わりがあるのだろうか。激しく肩透かしを食らった気分で、答えを待った。しかし、その唇からこぼれた言葉は、やはり渋沢の予測をはるかに超えていた。
「隣の部屋のヤツがさ、松坂出身なんだよ」
「は?」
 三上が住んでいるのは、チームが借り上げたマンションで、言ってみれば寮のようなもの。隣室も同期のチームメイトだと聞いたことがある。
(でも)
 それが「肉」とどう繋がるのか、とっさには分からなかった。頭を悩ませる渋沢をよそに、三上は続ける。
「で、実家から大量に送られて来たらしくて、おすそ分け貰ったんだけど」
 そこまで言われて、ようやくなるほどと思った。
 三上はあまり料理が得意ではなくて、そのくせ口は肥えている。学生時代も学食の食事より、渋沢の手料理が好きだと言ってくれていたくらいだ。

 ということは、つまり。

「三上、それって」
 だが、まだ半信半疑というのが正直なところ。本来なら、誰より盛大に祝ってしかるべき自分が、この体たらくなのだ。怒っていないにしろ、呆れては居るだろう。
(だって、本当に似てたんだ)
 外見が、というのではない。強いて言うなら、身にまとうその空気が、出会ったばかりの頃の三上とよく似ていた。小さな足で精一杯に地面を踏みしめて、他人の手を跳ね除けて。不安で仕方ないはずなのに、目に映るものすべてを睨みつけて。
 それでも、決して輝きを失わない。ただの錯覚かもしれないけれど、あまりに重なるイメージに、気が付けば構っている自分が居た。そして返される反応が、ことごとく昔の三上のようで、つい余計な世話まで焼いてしまったのが事の発端。

 三上がそれほど、「記念日」好きでないことは知っている。だが、三上の生まれた日を自分は祝いたいのだし、そのためにわざわざ待ち合わせたのも事実。それを自分から反古にするような行動を取ってしまったのが、腹立たしいやら情けないやらで。言い訳をする気にすらならなくて、今に至っているのだが。

 その、自分を。
 三上は多分、元気づけようとしてくれていて。

(ああ――)
 いつだって、そうなのだ。
 気遣っているつもりが、肝心なところで先回りをされる。普段は皮肉屋で意地悪なくせに、時折どうしようもなく優しい。そんな芸当が出来るのは、世界広しと言えど他には居ない。
(そう、だよな)
 それは酷く悔しくもあったけれど、同時に酷く嬉しかった。紡ぎ出される言葉は、やわらかに涼やかに鼓膜をくすぐる。
「…おまえの作るビーフストロガノフってさ、あれ結構イケるよな…」
 聞き返すまでもなく、要は、それを作ってくれということだろう。
 となると当然、その肉がある三上の部屋に行くということになる。

 何度か行ったことがあるが、食事をともにしたことはない。学生時代、同じ部屋で過ごしていた頃には、このありがたみは分からなかった。離れて暮らすようになって初めて、「恋人の部屋を訪れる」という喜びを得ることが出来たのだ。
 そう思ったら、重いわだかまりは綺麗さっぱり消えた。
 代わりに心に広がるのは、どうしようもない愛しさだけで。

「お褒めに預かり恐悦至極」
 知らず、顔が緩んでいたのだと思う。
 思いっきり嫌そうな顔を、三上はした。
「はァ?」
「ぜひ、腕を揮わせてもらうよ、三上の部屋で」
 そう言って微笑めば、「しまった」と言わんばかりの顔をして、慌てたようにそっぽを向く。しかし、そのまま逃がしてしまうのは惜しくて、渋沢は畳み掛けるように続けた。
「そういう意味じゃなかったのか?」
 まさかそんなはずはない、と思いながらも、とりあえず訊く。視界に入る白い頬が、かすかに色づいているような気がしたから――本当は、ちゃんと分かっていたのだけれど。

「…おまえ、立ち直り早すぎ…」
 ぼそり、と呟く声は、忌々しげで。
 けれど、否定の色はどこにもなかった。

 そんな三上を、もっと困らせてみたいと不意に思って。
 そっと顔を近寄せ、耳元で囁く。

「何なら、別の『フルコース』もつけるけど?」
「――っっ?!」
 ガバっとこちらを振り向いた表情が、次の瞬間、悔しそうなものに変わった。すぐに意味も分かったのだろう、ほのかに染まっているだけだった肌が、今は夜目にも判るほど紅い。
「ダメ、かな?」
「お・ま・え・な!」
 軽く傾げた頭を、ぐいと押し退けられる。だが、こんなところで挫けるつもりは毛頭なかった。
「嫌ならしょうがないけど…」
 寂しい表情を、わざと作って。
 それが演技であることは、三上も承知しているだろうけれど。

 何ということのない日常のなかにある、ささやかなこの時。
 ただそれを守りたいと思うことは、間違っているのだろうか。
 三上もそう思ってくれているなら、どれだけ幸せだろうか。
 それでも、今日が終わればそれぞれの道を、同じゴールに向かって進まなければならないから。

 ――せめて、今は。
 互いの歩みをひとときだけ止めて、寄り添っていられればいいのにと思う。
 この先も歩き続けてゆく、その力を得るために。


                                                    ◇


 いらえを待つ渋沢の髪を、三上は乱暴に掴んで引き寄せ。
 そして、さっきのお返しのように、耳元で小さく告げた。

「…充分、祝えよ?」
「――っ!」
 今度は、渋沢が動揺する番だった。息を飲む姿を見て、三上は楽しげに笑う。
(やっぱり、敵わないか)
 つられたように苦笑して、込み上げる想いに身を委ねた。
 どこまでもどこまでも、仕掛け合い煽り合い、ゆけるところまで行きたいと願う。

 きっと、かれも同じ想い。
 今ならば分かる。

(そう、だよな?)
 窺うように視線を向ければ、無言で手が差し出される。その手を恭しく持ち上げたのには、やっぱり嫌そうな顔をされてしまったけれど。
 それでも、振り解かれなかったことにホッとして。
 繋いだ手が外から見えないくらい、寒いふりをして身体を寄せた。

 ここから先は、言葉はいらない。
 ふたりだけが知ることのできる、このひそやかでひめやかな時間。

 

 ――かれの生まれた夜に、ただ静けさが降り積もる。



                                                    Das Ende
 






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