仕事用のアドレスだったので、危うく見逃すところだった。
 だがよく考えてみれば、かれからメールを貰ったことなど初めてで、少なからず驚いたのは確か。
 馬鹿正直というのか何と言うのか、フルネームをそっくりそのまま使ったアカウントは、かれらしくもあり。
 こういった類のものが苦手なかれが、慣れるまでには相当の時間を要しただろうと思えば、知らず頬が緩む。

 自分の誕生日など、すっかり忘れていた。
 だが、かれのことを懐かしいとは思わない。
 ただ、予想外の手段でもってもたらされたメッセージに目を瞠ったくらいのもので。

 懐かしく思うのは、「思い出した」から。
 思い出すのは、「忘れていた」から。

 かれのことを忘れるなど有り得るはずもなく。
 その姿も口調も声音も仕草も、こころに描くのに、少しの努力も要することはない。
 だから「かれを懐かしむ」という行為は、前提からして成立しないのだ。

(ああ、でも少し残念だな)
 やや神経質そうな、丁寧な、その文字を見ることが出来ない。
 それは、思っていた以上に、自分を落胆させている。
 不便も無粋も感じたことがなく、むしろ、そこから発生する多くの不都合を補って余りあるツールの利便性を、高く評価していたのだけれど。こういった弊害があるなんてことを、この自分がそういった感情をおぼえるなんてことを、考えてもみなかった。

 返事を書こうとして、やめた。

 少しだけ考えたのち、時計を見、窓の外を見て、コンピュータの電源を落とす。
 上着を引っ掛けると、御手洗は、財布とパスポートをポケットに突っ込んで部屋を後にした。


*******


 空港からタクシーに乗ったことを知ったら、「またそんな無駄遣いをして」と怒られるだろうか。
 荷物ひとつもないのに、横着せず電車を使うべきだとかなんとか。
(怒るんだろうな)
 容易に想像できるのが、おかしくていい。
 いや、それ以前に、思い立った二秒後にはフラットを出ていた自分を、呆れ返って眺めるかもしれない。
 石岡の行動を推測するのはたやすいが、その原動力となる感情の動きまでは、御手洗に理解は出来ない。
 「少しでも早く」と思った時に、それを妨げる物理的な要素がないなら、最善最短の手段を選択するのが、当然というものだ。

 そんなことを、考えながら。

 見慣れた街並み、見慣れたマンションの手前でタクシーを降り、階段を昇る。
 手すりや壁がやや古ぼけたような気がするが、改修工事といったものはしていないのだろうか。

 三階の一番手前、見慣れたドアの前。
 インターフォンを押せば、ややあって、鉄扉の向こう側で気配が動いた。

 こほん、と咳払いをひとつ。
 軋んだ音を立てて開く奥には、呆然としたかれの姿があって。


「ただいま、石岡君」


 ほんの一瞬息を詰めて、その言葉を紡ぎ出して。
 見開かれた瞳の縁に、透き通った雫が次第に大きく盛り上がるさまを、御手洗は瞬きもせず見つめていた。





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