*angelichouse内土屋淳研究室にアップしていただいていたものを、こちらに移しました。




はじめに

 みなさま、こんにちは。
 土屋推進委員会・総本部長(だから、この肩書きって…/苦笑)高藤炯乃(たかふじあきの)と申します。
 このたびは、弊委員会Web担当部長・七味ななち(なのち)氏の許可を頂き、当研究室内にて土三を熱(苦し)く語らせて頂く運びとなりました。(日本語がややおかしめではありますが、そこは皆様方の広いお心でお許し頂きたく)しかし、このようなご大層な(え?)肩書きをつけているとはいえ、あくまで、「土三を書き続け、土三なしでは生きられないカラダになってしまった」一同人作家のたわごとですゆえ、今これをお読みのあなたと異なる意見がありましても、「そんなん、ぜっっったいにちゃうわ!」と吼え喚きちらされるより、むしろ「ウチはこう思うねんけど!」と、あなたのお考えの土屋と三井のことを自信たっぷりに、熱く、かつマッタリと語ってやってくださいませ。

 多少長くはなりますが、「土三ってどんなんだ?」と疑問と好奇心を感じているアナタも、「土三ってどうよ?」と疑惑を抱いているアナタも、「土三ってちょっとイイかも…」とツボをくすぐられかけているアナタも、「土三、好きなのよ〜」と萌えているアナタも、「ワタシが土三を背負って行くワ!」と燃えているアナタも、どちらさまも呆れつつお付き合い頂ければ幸いでございます。



1.土屋淳という男。〜土屋は何故三井が好きなのか〜


 土三を語るのに、何故、三井でなくまず土屋を語るのか…と疑問を感じられる向きもあるかと思います。しかし、その答えは簡単。SD愛読者である限り、誰もが三井を知っています。そして「三井受け」である限り、おそらく三井を好きではない人は居ないでしょう。(三井受けのヒトが100万人居るとしたら、そのうちふたりくらいは、そういうヒトもいらっしゃるかもしれませんが/笑)けれど、土屋は違います。SD同人をやっている同人作家さんでさえ「誰それ?」ということは少なくありません。(現に、他カップリングで活動している知人に訊かれてちょっとショックでした…)三井受けの中では、今でこそそれなりに「三井のダーリンのひとり」として認知(笑)されてはいますが、彼がどれだけマイナーキャラであるのかは、こちらの研究室内の別コンテンツにて語り尽くされているところであります。

 皆が知っていて、皆が大好きな三井に関しては、今更わざわざ語るまでもなく。各人、解釈の違いはあれど、三井受けファンのほとんどの人間は、「三井の魅力」というタイトルを与えられただけで、いくらでも語ることが可能でしょう。となれば、ふたりに等しく愛情を注いでいるつもりでも、幸薄い(違)方を贔屓してしまいたくなるのは人情。ついつい、土屋に対して、よりあからさまな愛情表現を行使してしまうのです。

 すでにあるコンテンツと重複する部分もあり、蛇足ではありますが、土屋というキャラクタの考察をも含めながら検証して行きたいと思います。あくまでも一考察と捉えてお付き合いくださいませ。


(1) この男、関西人である。


 大阪代表なのだから、それは当たり前のハナシ。かといって、「大阪人」であるかどうかは、少々微妙なトコロです。というのも、大栄学園のモデル校であるところの大商学園高校は、大阪府でもかなり北西部、いわゆるところの「阪急沿線」に位置しております。阪急沿線というのは、いわば「山の手」、ハイソな雰囲気漂う(ところが多い、というだけですが…)住宅街。あずき色の阪急電車に乗って、少し足を伸ばせば、西は兵庫(神戸・西宮・芦屋など)、北は京都へ向かうのであります。私立のボンボン学校で、スポーツに力を入れているということを考えると、近畿各府県からも生徒が集って来ておかしくはありません。ただ、寮や下宿はあるものの、大阪南部にはバスケなら豊玉(モデル:東住吉工業高校・所在地大阪市南部)、他のスポーツや勉強に関しても、清風、智弁和歌山をはじめ数多くの「名門」と呼ばれる学校があります。(東住吉は府立高校ですが近畿南部からは越境も多いのではないでしょうか。

 何せ、ここ数年、大阪1位は東住吉、2位は大商学園というランキングが定着しているようですし、全国での成績もかなりいいようです)大栄学園の最寄路線である阪急電車が大阪市北区(梅田のあるトコロです)以南には通っていないという交通の便を考え合わせても、大阪南部、奈良、和歌山方面からの通学者は少ないと思われます。したがって、土屋淳は、大阪北部、もしくは兵庫県南東部、京都市内の出身(高校当時在住)である可能性が高くなります。

 『じゃりん子チエ』に代表されるような、コテコテの大阪(なにわ)っ子というのではありません。ですが、物心ついた時から、吉本・松竹の二大喜劇が、ごく普通に茶の間のテレビで流れている世界で育てば、自然、関西人気質が身についてしまうものです。たとえ、両親が厳しくテレビを見せてもらえない家庭だったところで、学校に行けば周りにはクラスメートが居ます。部活に入ればチームメイトも居ます。そういう中で暮らしているうち、結局は関西人らしい関西人というものが出来上がってしまうと考えられます。

 関西人は『オモロイこと』(何をオモロイかと思うかは、ヒトそれぞれですが)に対する貪欲さが違います。何がなくとも「オモロくてなんぼ」な世界なのです。それは単に、ウケを狙って寒いギャグを連発するだけの話ではありません。何か自分にとってオモロイと思うことを捜し求め、自分もまた「オモロイ」人間でありたいと望む関西人のハングリーさ(苦笑)は、多くの場合、サービス精神といった形で、時に親切に、時に大きなお世話に発動します。オモロイものを見ると、つい、つついてしまいたくなる。オモロイものが目の前にあったら、黙って見ていられない。(お笑い…というか、業界用語で言うところの「いじる」というヤツですね)オモロイ人間は大好き。そういう相手に、自分もオモロイと思ってもらいたい――それは、関西人にとって、ごく自然な感情の動きなのです。

 さて、我らが土屋君。(ワタシの、と言ったら各所から抗議の声が上がりそうなので/爆) 
 彼も関西人のはしくれ。オモロイものが大好きであります。ただ、彼の場合、持ち前の頭脳やらクールなスタイル(後述)などが邪魔をして、それを素直に表すようなことはしません。好きになった相手は、ねちねちと構って苛めるタイプです。好きだからといって、いきなり「好きやねん、つきおーて!」なんてことは口が裂けても言いません。「好き」という気持ちはもちろん本物。でも、本物であるからこそ、勝負の一言は、ここぞというナイスタイミングで吐かなければなりません。好きになれば、自分だけのものにしたい。このオモロイ存在とずっと一緒に過ごして行ければ、どれだけ自分の人生楽しいか知れない。そんなことを考えてしまうのです。


(2) クールでシニカル


 たった台詞ひとつで、ここまで勝手に性格が決定されるヤツも珍しいとお思いの方もいらっしゃるでしょう。ですが、ここに至るまでに作り上げられて来た「同人的・土屋淳像」にも実はそれなりの原作的根拠があったりするのです。

 まずは21巻、初登場「彦一、大阪へ帰る」のシーン。岸本に「勝負せぇや!」と煽られながらも、挑発には一切乗らず、あくまでもマイペースに試合を進め、いともあっさりとシュートを決めます。その時の、岸本をほとんど見向きもしない徹底した無関心や、点を取った後の、いかにも取ってつけたかのような(笑)さわやかな笑顔がそれを物語っています。笑顔に騙されてはいけません。ヤツは「いけ好かない男」です。にっこり笑って心の中で舌を出す。そーいうコトのできる男であります。

 そして、唯一の台詞である「尊敬するで、山王」――これにも、土屋の性格がにじみ出していますね。ちなみに、初登場以来、ここに至るまでの間でどんどん顔が変わり、ただのハニワ顔(公家顔ともいう。だから京都出身説を支持される方も多いのかもしれません)の兄ちゃんから、いつの間にか、切れ長ひとえのクールビューティー(ぷ)へと変貌を遂げておりますが、それは、イノタケ氏の絵柄が変わったからというのも大きいのではないでしょうか。とにかく、いつの間にやら、やたら美人になってしまっています。

 そんなことはさて置きまして。

 人間は普通、どういう時に「尊敬する」という感情を抱くのか。
 それが、本心からであれ、皮肉であれ、相手を「尊敬する」ということは、暗に「そんなことは自分には出来ない」と認めているようなものであります。相手の出来ることを、自分も同じように出来る場合は「尊敬する」などとはあまり言いませんね。さてここで、この台詞の出て来るに至った展開を思い返してみたいと思います。山王対湘北、この時点では圧倒的に山王優勢です。しかし、それでも山王は、湘北を完膚なきまでに叩きのめすため、全力を挙げて闘います。そんな山王の勝負に臨む姿勢に、土屋は「尊敬するで」と呟いたのです。

 ということは、つまり。

 大栄学園は「勝てる」と分かっている相手に、全力で勝負を仕掛けることはしないのです。色々な策はあるでしょうが、少なくともそういう戦い方をしないチームなのです。
 そして、その大栄を率いているのは、他ならぬ土屋です。
 要するに土屋は「七割の力で勝てる相手に、十割の力出すなんかアホやん。保険のつもりで、せいぜい八割出しとったらええんやん」とでも思っているのでしょう。

 ――そう、この試合の結末を見るまでは。


(3) 君に胸キュン(笑)


 試合はまんまと、湘北高校の勝利に終わります。誰もが予想しえなかった結果でしょう。流川も花道もリョーちんもゴリも、誰の力が欠けても、湘北の勝利はありえなかったはずです。しかし、贔屓目を抜きにしても、「いちばん印象に残るプレー」というのはやはり三井のプレーだとワタシは思うのです。ああまでボロボロになりながら、それでも立ち向かって行く三井の姿は、他の何よりも印象的だったのではないかと(勝手に)思います。普段、勝負事にさえあまり熱くならず「クールでシニカル」を信条としている(かどうかは定かでないですが/笑)土屋には尚更。土三の定番エピソードとして「全中で出会っていて、土屋はすでに三井に目をつけていた」というのもアリですが、それがなかったとしても、土屋が興味を持つには充分な試合だったのではないでしょうか。

「なんやねん、コイツ」

 おそらく土屋はそう思ったでしょう。そして、大学に入って再会(社会人でも可)するとします。三井という人物の、プレーから受ける印象と、コートの外で対した時に受ける印象が大きく異なるタイプであるという部分は、彼の魅力のひとつに挙げられるでしょう。しかも、その後者でさえも、時によって、相手によって、猫の目のようにイメージが代わります。本人意図したものではないからこそ余計に、それは、見るものの視線を引き付けてやみません。オレ様なくせに小心者で、ガラが悪いくせに繊細で、ガサツなのにどこかボンボンっぽさが抜けてなくて、ひねくれてるかと思えは、時々びっくりするほど単純で、カッコいいのに可愛くて(笑)…ワタシ個人の好み的には、その多大なるギャップこそが三井の最大の魅力であると考えます。
 本来土屋は、他人をいいように「いじる」のも好きです。自分が頭がいいという自覚もある彼は、自分の望んだように、他人が反応を返して来ることが楽しいとも思っています。こう言えばきっと、相手はこう返す。だから今度は自分がこう言って…とシュミレーションし、その通りに話が運ぶことは、バスケのゲームメイクと同じだと思っています。ただ、それだけでは「オモロイ」にはなりえません。「予想を裏切る」というファクターが大事なのです。
 まるで狙った通りに反応するくせに、時々、土屋をすら呆然とさせるほど、突拍子もないリアクションを起こす。そんな三井は見ていてちっとも飽きません。

 「オモロイわ、コイツ」

 こう思ってしまったのが、運のツキ。
 気が付けば、土屋の心の中には、すっかり三井にハマりこんでいる自分が居ました。
 そもそも、何かに執着したことも、手に入らないものに焦がれたこともなかった自分。その自分が、初めて本気で欲しいと思ったものがある。なりふりなんて構っていられません。どんな手を使ってでも自分のものにしたいと思います。けれど、ヒネているように見えても、三井は根本的に真直ぐな性分です(と、少なくとも土屋には思える。まぁ、土屋からしてみれば、大抵の人間は真直ぐなのではないかと思われますが)。だから、本当なら「汚い手を使ってしまえ!」と思うところです。そうしようと思えば、お人好しの三井をだまくらかして丸め込むことくらいワケもありません。

 なのに、そんなことがまかり間違って三井にバレたら、嫌われてしまうかもしれない――せっかく、持ち前の策略と当たりのよさで三井に近づいたのに、ここまで築き上げて来たものが全部パーになる。そう考えただけで、ついうっかり「いいひと」を演じてしまいそうになるのです。
 ここで、鬼畜まっしぐらなのもワタシ的には全然おっけーなのですが、三井には笑っていて欲しいと願うワタシとしては、やはり、つい弱気になってしまう土屋希望です(笑)。「ということは結局、正面切って真剣勝負しかないんかい…」と、ちょっと絶望的な気分になってしまうのもいいカンジ。それでもやっぱり、三井をいじるのが楽しくて、ちょこちょこと突いては怒る三井を見て「ああ、かわえぇなぁ…」とうっとりするのが、土屋の土屋たるゆえん。けれど、他人が三井をからかうのは我慢なりません。「自分が」三井をからかうのが大事なのです。
ここで、土三の魅力・その1が浮かび上がってくる訳です。

クールでいけずな頭脳派が、三井の魅力に参ってしまって、ついずるずると身を持ち崩し…もとい、メロメロのヨロヨロになってしまう。そんな姿を見るのは、三井ファンにとってもなかなか楽しいことではないでしょうか。

  

2.それは、運命?〜三井は果たして土屋を好きになるのか〜


(1)三井君の場合


好きにならなきゃ、土三じゃないですからね――などと挙げ足を取るのはやめましょう(笑)。

人間、誰しも「意外な展開」には弱いもの。ことに、根が素直な三井君などは、その典型と言えるでしょうか。最初はクールでイヤミなヤツだと思っていた。つきあっているうちに、実は結構いいヤツかもしれないと分かった。そして、何でもサラッと流す淡白なヤツなのかと思いきや、本当は時々凄く熱い感情を抱いているようでもあって…と、とにかく土屋という男は意外性の連続です。土屋にとって三井がそうであるように、三井にとってもまた土屋は「読めない相手」なのです。それが恋愛感情に発展するかどうかはともかく、興味を抱くという点においては、まず疑いないでしょう。土屋がことあるごとに三井をからかい、そのたびに三井は怒ります。けれど、どうしても嫌いになれないのは(苦手ではあると思うのですが)それが悪意ある感情からだとは思えないからです。挫折を経験して、傷ついてもぼろぼろになっても立ち上がって来る闘志が三井の強さなら、おそらくは、周囲に愛情を注がれまくっていたのだろう環境で、他人に対して基本的に懐疑的になりきれない部分が、三井の弱さでもあるのではないかとワタシは考えます。意地っ張りなくせに、甘え上手です(しかもきっと無意識)。ということは、他人から好意を向けられることに慣れているとも言い換えられるでしょう。そんな中で、土屋の感情が「特別」であると認識させるのは至難の業(…は! いつの間にか土屋ビジョンで語っている!/笑)。ただし、ここで退いては土三にならないので(笑)土屋はとことん食い下がって行くのです。



(2)気のせいも恋のうち

 

 というのは、ワタシの持論でもありますが(某バンドの曲のいちフレーズです)。
 恋のきっかけなんて、いろんなところに転がっています。少なからず親しい相手から、自分は特別だという意思表示をされた場合、思い切り引いてしまうか、何となく相手のことが気になり始めるかのどちらかではないでしょうか。前者の場合は、なかなかキビシイ状況ではあるでしょう。三井にとって、土屋の気持ちは晴天の霹靂。つい今まで友達だと思っていた相手に、告白なんてものをされれば(…いつそんなコトに…)、「コイツってそーいうヤツだったワケ?」と引いてしまうのも仕方のないことで。ただ、引っ張りすぎたゴムは、急に放せば反動をつけて返って来るものです。そう、何事にも「反動」というものは存在します。人間関係にしても然り。そもそも、土屋のことを嫌いだったワケではありません(妄想度120%)。まとわりついて来て、いちいちヒトをからかったりするのがウザくはあったけれど、いつしかその状況にも慣れてしまい。けれど、三井が引いてしまったため、土屋は以降ぱったりとちょっかいを掛けて来なくなります。となると、最初は「せいせいしたぜ!」と思っているのですが、何となく、「あるはずのものがない」というのは、寂しいような気持ちに陥ってしまうのです。早い話が、土屋のツッコミなしでは居られない、マジボケ体質になってしまったということでしょう。

 鈍感な三井君が、そこまで気付けばしめたもの。あとは頃合を見計らって、もう一度押すだけ。幸いにして(三井にとっては不幸の始まり?)、機を見るに敏な土屋は、巻き返しのタイミングを誤ったりはしません。(そこで間違ってこじれても、それはそれで楽しいものではありますが)というわけで結局、ほだされた三井は「しょうがねーなぁ」と思いつつも、自分の気持ちを認めざるを得なくなってしまうのでありました。
  そして、後者の場合はどうでしょう。
 土屋に告白されて、何となく、土屋のことが気になり始める三井。けれど素直に意思表示など出来るものなら「三井寿」はやっていません。それとなく態度に出すこともせず、むしろあからさまに土屋を避けてくれるのが、やはり定番的展開というものでしょう(笑)。しかし本来、我慢強いたちではない三井。土屋との仲が妙な按配になってしまったことに、そう長くは耐えられません。自分の気持ちに気づくのが先か、土屋からの再アプローチが先か、それは話によって好みによって異なるところではあります。ただし、ここでも決して土屋は諦めてはいけません(笑)。他のホモ話にも言えることでしょうけれど、攻めが、一度や二度冷たくされたくらいで諦めていては、ホモ話そのものが成り立たなくなってしまいます。言ってみれば、世間の流れに逆らう恋愛をしようと思うなら、そうそう簡単に相手のことを諦めてはならないのです。お約束です。出来ることなら、結ばれる(ぷ)までに、もうひと波乱ふた波乱あった方が、読者的にも萌えるのではないでしょうか。色んな事件があって、不幸があればあるほど、その後にやって来る幸せの大切さが身に染みることでしょう。

(3)だって三井は受けなんだもん


 元来、三井は「オレ様」です。そこがいいんです。だから、たとえどれだけダーリンのことを好きでも、あまりへにょへにょになってもらっては、(ワタシが)困ります。これはまぁ、個人的好みの問題ですが、やはり、同人界いちの「愛され受け」たるもの(笑)、堂々と男らしく凛々しくカッコよく、攻めの気持ちを受け止めてあげて欲しいものです。(でも、いきなり納得されてもちょっとビックリします。適度にぐるぐるイジイジもして、「悩む三井」の可愛らしさを、ダーリンや私たちに見せつけて欲しいところではあります)

 ダーリンは、情けなくてもオッケーです。もとい、情けないところを曝け出して、「三井が好きやねん!」と大通りのど真ん中とかで叫んでしまえるだけのパワーで、三井を押し切って頂きたく(もちろん、土屋の場合は、そんなことをすれば三井が嫌がることは重々承知の上です)。

 話が逸れてしまいましたが(というより、最初から終始一貫して逸れまくっているので、もはや本題がどこに行っているのかワタシにもわかりません)土三のもうひとつの萌えポインツをご紹介いたしましょう。
 萌えポイント・その2です。要チェックです。

 土屋は、「三井を振り回すダーリンである」ということ。

 それももちろん、半分以上の部分において「意図的に」ということです。意地っ張りでオレ様なところが三井の魅力であることは、多くの三井受けファンの皆様の、共通した意見かと思われます(そうでない方はすみません)。そのオレ様な三井が、土屋のからかいによって、赤くなったり青くなったり、怒ったりほだされたり、泣いたり笑ったり――どうでしょう、「ああっ! ワタシも土屋になって三井を苛めたいっっ!!」と思いませんか?…思いませんか…そうですか(笑)。すみません、ワタシはどうやら思ってしまうようです。自分からつついておいて、泣き出した三井を慰めてやれるのも、いちばん傍に居る者の特権。それを土屋にシンクロして味わうことが出来るのも、土三の魅力ではないでしょうか。



3.「おまえ100まで、わしゃ99まで」〜一生やってなさい〜

 さて、上手い具合に話がまとまった(のか?)ところで、私的カップリング論など。ここまでも充分に私的だったと言われれば反論の余地もありませんが、土三書きとしては、自分の中に存在している土屋と三井(電波ですか)について、少し語らせて頂ければと思います。要は、自分設定限定の、土屋と三井のお話です。主に「ALWAYS」というシリーズの土三がメインとなっておりますので、ご存知の方がいらっしゃいましたら、「ああ、あれか」と思い出していただきたく。



(1) 土屋の生い立ち

9月27日生まれ、てんびん座のAB型。
大阪府豊中市出身(実家は上野東3丁目にある、温室つきの大邸宅)父は、大企業の会社社長、母(故人)はその愛人でした。高校時代に母を亡くし、後継ぎとして半ば強引に父の籍に入れられてしまいます。今、実家には父と継母と義妹が住んでおり、父以外とは不仲ではないものの、実家にはあまり近寄っていません。母方の伯母が金沢で旅館を経営しており、祖母は京都で日舞の家元。余談ではありますが、この、厳しくいけずな土屋のばーちゃんは、実の孫より三井のことを可愛がっており、土屋と三井との心強い味方だったりもします。土屋は幼い頃、祖母の跡取にされるため祖母宅に預けられていたことがあります。しかし、バスケの楽しさを知ってしまい、結局、日舞に打ち込むことはなかったのでした。

 中学時代、全中で三井に出会い、ひとめ惚れ。その後探しまくるも会えず、高校最後のインターハイで見つけた三井を追いかけて、大学は東京に進学。まんまと三井の下宿の隣の部屋をゲットします。そして大学の四年間で愛を育み(笑)卒業後は同じ実業団のチームに所属の予定。
 すっかり、オリキャラですか。
 はい、さようでございます。
 ただ、他のどのキャラも、よくよく思い返してみれば、家族がどうだとか、生い立ちがどうだとか、ほとんど語られていることはありません。「原作にない捏造物だ」という理由で怒られてしまっては、SDパロはとても難しいのではないでしょうか…。そんな訳で、「ああ、このヒトの頭の中ではこんな世界が展開しているのね…」と広い心で捉えて頂ければ幸いでございます。

 土屋のような性格の人間が育つには、ごくごく普通の家庭というよりは、ちょっと世間一般とは違った環境があった方が納得できるかな、と解釈した上での設定です。
 子供時代の環境というのは、ある程度、人間の人格を決定づけると言っても過言ではないでしょう。自分の両親や兄弟たち、というのではない、それ以外の大人たちにも囲まれ、「いい子」であることは当然だと思って育った子供は、成長して「いけ好かないヤツ」に成り果てることが多い気がします(オレのことか?/笑)。自分の感情をストレートに現すのではなく、持って回った言い回しを好み、相手との距離を測りつつ、対人関係をこなして行く。例えば三井のように、「これまで自分が作っていた周囲との壁を壊してでも、近づきたいと思う相手」に出会わない限り、土屋はずっと、どこまでもイヤなヤツなのではないかとワタシは思うのです。(個人的にはそういう土屋もイイと思いますが/笑)土屋にとって、三井とは、カッコイイ言い方をしてしまえば、暗闇の中で見た、一条の光明なのです。三井に出会って初めて、土屋は、自分が暗闇の中に居たことを知ります。それまでは、自分のことに無頓着すぎて、自分がどれだけ寂しい人間だったのか、気づかなかったのです。
 きっかけはただ「オモロイヤツだから」。
 それだけのはずだったのに、いつの間にか、深みにはまり込んでいる自分が居て。周囲の愛情をふんだんに受けて育ち、自分自身もまた、他人を愛すること(広い意味で)をなんのためらいも疑問もなく成し遂げてしまえる三井は、土屋にとってただひとつの救いなのです。
 だから、三井が欲しい。
 それは、自己防御であり自己満足でもあると思います。
 言ってみればエゴです。
 けれど、そんなことを分かっては居ても、三井を求める気持ちを止めることは出来ません。
 自分の心をあたたかくして、自分を安らがせてくれ、そして自分の興味を刺激してやまない存在を、好きにならずに居ることは出来ません。
 本当の自分を晒せば、嫌われてしまうかもしれない。
 今まで、誰も愛することの出来なかった自分を知られてしまったら。
 そんな不安に苛まれつつも、三井を愛することをやめることは出来ないのです。
 

(2) らぶらぶのバカップル


 そーいうのが、好きなんです。ええ。不幸は、幸せを際立たせるためのスパイスだと思っていますので、不幸な展開は大好きですが、あまり不幸すぎると、書いててつらくなってしまう軟弱者なのです…。
 土屋という人間は、自分の弱さを三井にだけは曝け出してしまえるひとだと思います。
 というよりは、それは土屋にとって、捨て身の攻撃なんですね。
 両刃の刃とでもいいましょうか。
 三井に嫌われてしまうかもしれない。けれど、三井に本当の自分を知ってもらうしか、三井の気持ちを自分に向けさせる手段はないかもしれない。
 そして三井は、ああ見えて「アニキ」(アヤシイ意味ではありません)な部分もあるヒトだとワタシは思います。少なくとも、自分が好意的な感情を抱いている相手に、頼られて悪い気はしないでしょう。しかも、基本的に情が深く、わがままなくせに相手を思いやる心をもっているヒトではないかと思うのです。土屋の過去や生い立ちを知らされ、それを土屋が言えずに苦しんでいたこと、三井にだけはそれを曝け出してくれたことに、少なからず心を動かされることでしょう。
 もちろん、土屋は三井に嘘はつきません(多分)。
 日常的なあれこれは別として、本当に大事な部分では、三井にだけは真実を投げかけるのです。だからこそ、三井も絆されてくれるのではないかと。
 ここで、萌えポイント・その3。

 あくまで対等に。お互いがお互いを支えあう。足りないところを補い合うふたりである(あってほしい)ということ――でしょうか。
 土屋は、三井を甘やかすことはしません。構ったりつついたり苛めたり甘えたりはします(笑)。三井に甘い、という部分もなきにしもあらずです。何と言ってもメロメロですから(笑)。しかし、甘いのと甘やかすのとはまた別です。三井を大事にしているからこそ、互いに対等でありたいと思うのでしょうか。少なくとも、ウチの土屋はそう考えるようです。

 ワタシ個人の好みとして、受けだろーが攻めだろーが、男である限りは、自分の選んだ場所で、足を地面に踏みしめて、闘って、自分の手で幸せを掴み取って欲しいのです。そして、その闘いの場が同じであれ、別であれ、お互いを最高のライバルと見なしてともに闘って行く…というのに、激しく萌えるのです。苦悩して傷ついて、それでも立ち上がる三井は、とてもうつくしいと思うので(微笑)。
 例えば、パラレルでもそれは同じ。

 三井にはバスケというものが欠かせないと思っては居ます。むしろ「バスケ×三井」と、以前とある三井受け作家さまが仰っていましたが、それはまさに究極のカップリングだとも思います。バスケというのは三井のアイデンティティと密接に関わっているでしょう。ですが、パラレル設定の場合は、必ずしもバスケが存在する世界とは限りません。けれど、それでも三井に「闘う男」であって欲しいとワタシは思うのです。そのため、パラレルでも必ず、三井には、心の底から打ち込み人生を賭けられる「何か」を追い求めているという設定を作っています。それは、「惚れたハレた」とはまた違った違った部分での、萌えポイントでもあるのですが。

  またまた話が逸れてしまいましたが、ワタシ的にはやはり、自分的解釈による「三井の幸せ」を追求したいのです。バスケをできる幸せだけでなく、「惚れたハレた」もまた、人生における重要なファクター。三井が幸せで、ダーリンも幸せ。それが何よりだと思ってしまうワタシは、根が能天気に出来ているのかもしれません。恋愛がすべてなんて人生は、まず滅多にありえない。土屋が三井を好きで、三井が土屋を好きで。それだけで乗り切れる人生じゃない。けれど、ふたりならどうにか乗り切れるんじゃないかと信じて、生きて行って欲しいのです。綺麗ごとかもしれなくても、叶うはずなんてなくても、前に進み続けていれば、いつかどこかに辿り着くんじゃないかと思って、歩いていて欲しいのです。ひとりでは心細い道も、傍に大事な誰かが居れば、少しは心が楽になる。先なんて見えない未来でも、進んで行こうという気持ちになれるのではないでしょうか。つまずきながら、立ち止まりながら、それでもコイツが居るなら大丈夫かもしれない。お互いのことを、そう思っていて欲しいのです。そして、お互いに出会えて、お互いを愛せた幸運と幸福を、大切に、誇りに思っていて欲しいのです。

 

おわりに

 幸せの形は、人間の数と同じだけあります。それぞれが求めるものは、違う人間だから違っていて当たり前。自分ではない人間のことなんて、とれだけ愛してたって理解するのは不可能。それでも、分かち合いたい、理解したい、と思う感情が、お互いを引き寄せあい、結びつけ、そのことを幸せだと感じさせてくれるのだと思います。土屋と三井には、そうであって欲しいと、心から望んでいます。
 願わくば、そんな土屋と三井を、ずっと描いて行ければと思っています。そして何より、より多くの三井受けファン・土屋ファンの皆様が、土屋と三井というふたりを心で愛でてくださればと思います。読み専もヨシ、描くのもヨシ、書くのもヨシ。土三を書き始めて、四度目の夏が巡って来てしまいました。丸三年で43作というのは、果たして多いのか少ないのか分かりませんが、まぁ、100ページを越えるクソ長い話も多いということを考えると、かなりの時間を彼らと過ごしている(笑)のではないかと。ワタシにとってはすでに、自分の息子のようなふたりです。あくまで自分の解釈による私的な捏造のふたりではありますが、やはり、幸せになってほしい気持ちは、とどまるところを知りません。読む分には、三井が愛されてて、カッコよくて可愛いければ、わりと総受けオールオッケーな人間です。ただ、書き手としてのワタシの頭の中には、「三井には土屋、土屋には三井」という公式しか存在しないようです。夢見がちな電波で大変申し訳ありませんが、もし、ほんの少しでも共感・興味を抱いていただければ幸いです。夏コミ修羅場中に(笑)、書き散らかした甲斐もあろうというものです。おかげさまで、自分の中でも土三を見つめ直すいい機会になりました。こんな機会を設けてくださったなのち様、きっかけを作ってくださった皆様には心からの感謝を。そして、長々とした文章をここまで読んでくださった皆様、どうもありがとうございました。




高藤炯乃(あきの)